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2020.02.20

史実は昼ドラより奇なり。日本三大悪女のドロり愛憎劇

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悪い女になりたいけれどなれない乙女のこころを歌った中島みゆきの名曲がありますが、愛ゆえに悪女になった女性たちがいました。

日本三大悪女とされる、北条政子・日野富子・淀の3人をご紹介しましょう。

破壊系悪女・北条政子(ほうじょうまさこ)

北条政子は、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の正室です。気が強い女性で、周囲の言いなりにならなかったエピソードがいくつも残っています。

政子の父・北条時政(ほうじょうときまさ)は伊豆の豪族で、戦に負けてこの土地に流されてきた頼朝の監視役でしたが、政子は頼朝と恋仲になってしまいます。当然、周囲の大反対にあいましたが、政子はそれに従うことなく、心に決めた頼朝と結婚しました。

政子は嫉妬深く、第2子懐妊中に頼朝が通っていた亀の前の存在を知ると、その邸宅を壊させてしまいます。また、政子の怒りを恐れて、頼朝との結婚を取りやめた女性もいました。いろいろな事情が政子にもあったようですが、一夫多妻制が当然だった時代、こうしたことが悪女のレッテルを貼られてしまった原因となっているようです。

しかし、夫・頼朝の弟である義経の恋人・静御前とその子を庇うなど、とても愛情深いエピソードも残っていますし、家中のいざこざの仲裁をしたり、後には将軍の代行を務めたりと、必死に鎌倉幕府を守ろうとした、芯の強い女性です。

貯め込み系悪女・日野富子(ひのとみこ)

日野富子は、室町幕府8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)の正室です。こちらも気が強く、義政の乳母や側室を追放してしまいました。

また、戦国時代の始まりと言われる「応仁の乱」の原因を作ったのも日野富子だと言われることがあります。義政の世継ぎがなかなか生まれなかったため、富子は僧侶になっていた義政の弟・義視(よしみ)を呼び戻したのですが、翌年に富子が男の子を生んだために義視が邪魔になってしまいます。このゴタゴタから、京都を焼き尽くした10年間にも及ぶ乱が巻き起こりました。

この応仁の乱の最中も、日野富子は財産を蓄え続けて、批判を浴びます。また、将軍の去就に深く関わったことも、彼女が悪女と呼ばれる一因となっています。

ただ、日野富子の行動の背景には、一貫して幕府を守る、という意志が働いていました。夫の将軍・義政が充分に政治手腕を発揮できない状況にあったことが、そもそもの発端となっているのかもしれません。そう考えると、悪女、と呼んでしまうのはかわいそうな気もしてきます。

ツンツン系悪女・淀(よど)

淀は、茶々(ちゃちゃ)の名前でも知られる、天下人・豊臣秀吉に溺愛された女性です。戦国一の美女と謳われた織田信長の妹・市と、戦国大名・浅井長政(あざいながまさ)の長女で、豊臣秀頼の生母でもあります。

父と兄を伯父・信長との戦いで、母・市とその再婚相手である柴田勝家(しばたかついえ)を秀吉との戦いで亡くした後、秀吉の側室となったという、波乱万丈の生涯を送りましたが、そのためか、とても気の強い女性だったようです。

秀吉の愛情を一身に受けていたとか、息子・秀頼の後見人となって政治に介入したとか、そういったことによって「悪女」と呼ばれるようなのですが、秀吉の死後も豊臣家を守り続けようとした、強い女性です。

悪女ってやっぱり魅力的

日本三大悪女、こうして見てみると3人とも、自分勝手に生きたから、というような理由でそう呼ばれているわけではないようです。
「悪」という字には権力などに容易に従わない、という意味もあるのだそうで、この3人にはそちらのほうが当てはまりそうです。

自分を持っていて、簡単にはなびかない強い「悪女」。悪女ってやっぱり魅力的ですね。