Culture
2019.09.03

相撲の起源は神話の時代?歴史や用語・作法をわかりやすく解説!

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まずは知りたい「相撲」の歴史

今ではスポーツとしてもとらえられている相撲(すもう)ですが、歴史を遡ると神事であったことがわかります。江戸時代では町人たちにも大人気で、河原で相撲を取っている場面が描かれている画が残っているように、古からたくさんの人に愛されてきました。1500年以上前から受け継がれ、現代に至るまで相撲がどんな形で歩み、いかに発展してきたのか、その歴史を辿ります。

相撲の起源はいつ?

日本において「相撲」がいつから行われていたのかは、定かではありません。しかし、古墳時代の埴輪には、明らかに力士の姿を想起させるものがあり、このころすでに力くらべとしての相撲が行われていたことが想像されます。また、古事記の中の「国ゆずり神話」に、「建御雷神(たけみかづちのかみ)」が力くらべで国ゆずりを遂行した様子が語られていることから、相撲の起源は神話の世界にまで遡ることがわかります。

実際に、日本書紀の「野見宿禰説話(のみのすくねせつわ)」には、垂仁天皇7年7月7日に天下一の強力として名を轟かせていた大和国の当麻蹴速(たいまのけはや)を諌めるため、天皇の勅命で出雲国の野見宿禰が招聘(しょうへい)され、相撲が組まれたとあるのです。この相撲に勝った宿禰には蹴速の領地が朝廷により授けられたとあり、相撲による力くらべがいかに重要な位置を占めていたかが想像されます。

祭りの儀式として発展していく

「野見宿禰説話」を起源として、奈良時代になると毎年7月の七夕祭の際に、天皇や貴族たちを前に相撲が執り行われるようになり、これが平安時代には「相撲節会(すまいのせちえ)」として、宮中の年中行事となっていきます。このように奈良時代以降、宮中で相撲が行われるようになったのは、日本各地でその年の農作物の収穫を占う儀式として相撲が盛んに開催され、これを宮中での五穀豊穣、天下泰平を祈念する神事として発展させたことが原点であると考えられています。

「平安朝相撲節会之図」日本相撲協会蔵 奈良時代以降、宮中では盛んに図のような相撲の節会が開かれた。

大名から庶民まで。江戸時代では広く親しまれる存在に

武家社会になった鎌倉時代には純粋な力くらべと戦闘の訓練として武士たちの間に相撲が広まり、源頼朝などはたびたび上覧相撲(将軍の前で披露される相撲)を開きました。

室町時代以降は、狩野永徳の「洛中洛外図屏風」などにも、庶民が川辺で相撲を取っている場面が描かれているように、もはや相撲が権力者たちだけのものでなくなっていたことが窺い知れるのです。むろん、依然として武士たちの間でも強さを誇示するものとしての相撲は奨励され、かの織田信長も相撲を愛したといわれています。各地の大名たちは相撲の強い者を家臣にするなど、相撲が職業的な側面をもつようになっていきます。

国技館のエントランスには、相撲の歴史が壁画とあって表されている。写真は織田信長による上覧相撲の模様。

このような流れが江戸時代に一気に花開き、相撲は興行化され、庶民の娯楽として発展。力士は歌舞伎役者とならび称されるほどの花形職業となっていくのです。

オマケ 「花道」の由来は相撲から?!

力士が入退場で通る道のことを「花道(はなみち)」という言葉は、宮中での「相撲節会」の際に、東方の力士が葵、西方の力士が夕顔の花を頭につけて入場したことに由来しているのだとか! いまでは花をつけている姿が見られないので想像することしかできないのが残念です。髷のどの辺りにお花を挿していたのか…少し気になります。

これって作法だったのか! 相撲の作法超入門

現場で観戦したことがなくても、テレビ中継やニュース映像を通してならだれもが取組の一部始終をみたことがあるのでは? 普段何気なく目にしている力士たちの一挙手一投足にも、相撲が日本の国技として受け継がれてきた意義と、次代へ受け継ぐべき伝統が込められています。取組を始めるにあたって大切な作法とはどういったものでしょうか。

「塩まき」によって土俵上を清める

土俵に入る前には必ず塩をまきますが、これは「清めの塩」といい、土俵の邪気を祓い、土俵を清め、神に祈るという意味があります。ちなみにこの塩まきは、十両以上(関取のこと。力士として一人前になった証)になるとまくことが許されます。本場所中、1日に使われる量は、約50kgにもなるといわれています!

「蹲踞(そんきょ)」は土俵上の基本姿勢

土俵に上がった力士がまず取る姿が「蹲踞」。つま先立でひざを大きく広げ、背筋を伸ばして手を軽くひざにのせます。入門するとまず覚えなければいけない姿勢で、ぐらつかないように保つには訓練が必要です。この姿勢は相手に対して敬いの念を示すという意味があるといいます。

「塵(ちり)」をきって、正々堂々と戦う姿勢を見せる

「蹲踞」に続いて力士は柏手(かしわで)を打ち、両手を大きく広げる動作をとります。これを「塵をきる」といい相手に対して刃物などを持たず、正々堂々と戦うことを示しています。正式には「塵手水(ちりちょうず)」といい、水がない野外で草などで手を清めた動作の名残だといわれています。

「四股(しこ)」を踏み、邪気を祓う

土俵上の所作で、最も目につくのは力士が踏む「四股」。力士にとっては大切な準備運動でもありますが、四股とは本来「醜いもの」という意味があり、力士は四股を踏むことで地中に潜む邪気を祓っているといわれています。

「力水(ちからみず)」で身体を清める

土俵の赤房(あかぶさ)と白房(しろぶさ)の下には桶があり、ここに「力水」と呼ばれる水があります。一度塩をまきに行った後、前の取組で勝った力士から水をつけてもらい、口をすすいで身体を清める。その後、桶に備えてある「力紙(ちからがみ)」で顔や身体をめぐって再び土俵へと向かいます。

ちなみに、「赤房」「白房」というのは、俵上の吊屋根の四隅に備わっている4色の房のこと。それぞれに四季と、そこに祀られている四神を表しています。

青(北東)は春で青龍神(せいりゅうしん)・赤(南東)は夏で朱雀神(すざくしん)・白(南西)は秋で白虎神(びゃっこしん)・黒(北西)は冬で玄武神(げんぶしん)を表しています。

撮影/永田忠彦

※「和樂」2008年 8月号を再編集しました。