禅の服装には目的と意味がある
——伊藤仁美さんは、着物の美しさに気づいたきっかけとして、僧侶の方々の袈裟をあらためて見た経験を挙げておられました。東凌さんのお立場からは、その点についてどのように感じますか? 僧侶の方々の服装について教えてください。
伊藤(以下、東凌):まず、座禅をする際の衣装があります。その後、会議などをする際は「作務衣(さむえ)」を着ます。同じ作務衣でも、畑仕事など泥まみれになってもいいものを「作務着(さむぎ)」と言います。11時に法要する際は「袈裟(けさ)」を着けます。これで四つです。土日であれば午前中だけで4回着替え、午後から子供と出かける際は5着目に私服を着ます。
——禅では服装一つずつにその目的と意味があるのですか。
東凌:そうですね。朝のお経を読むとき、午前8時から海外の方と座禅会をするときなど、その場面に適した衣装を着けて臨むということにこだわっています。
法要の際は「法衣(ほうえ)」の上に紫の袈裟を着るのですが、その中のものは変えません。いま一番上に身に着けているのは「絡子(らくす)」といって略式の袈裟に当たるもので、「五条袈裟」とも言います。これは僧侶であることの証明のようなものです。
法衣はお坊さん同士では「衣(ころも)」と呼びますね。なお、法要時にはこれとは別に、七条袈裟を着用します。
——色の違いにはどのような意味合いがあるのですか。
東凌:位を色で表すと黒が一番下で、グレー、水色、黄土色、紫と上がります。ちなみに正式な法会のとき、現在、私の法階では法要の際は紫の衣を着ます。日常の読経や坐禅の際は黒い衣を着ます。
修行僧は「手巾(しゅきん)」と呼ばれる太い帯を巻いています。また、修行僧が着る素材は化学繊維ではなく、夏は麻、冬は木綿の藍染に近いものです。修行を終えた後も、坐禅会のときにそれらを引っ張り出して着る僧もいます。
「目的に向かう姿が美しい」と
——伊藤仁美さんは同じく両足院で育たれました。澤田瞳子先生との対談では、祖父の法要のときに僧侶の方々の立ち姿そのものを美しく感じたとおっしゃっていましたが、その僧侶は具体的にはどういうものをお召しになっていたのですか。
伊藤仁美(以下、仁美):それまで黒と紫の袈裟はよく見ていたのですが、その法要のときは特別で、全員の色が違っていて綺麗でした。さらに文様が入っていて、そうしたところも本当に美しくて、見たことのない景色に魅了されていました。
先ほど、東凌さんからよく着替えるというお話がありましたが、父や祖父が家で着替えている姿がとても印象に残っています。また、誰かに会うときや、そこでどうしたいかといった目的に向かう姿が「美しいな」と幼少期のころから思っていました。
東凌:先代の年回法要の際は、僧侶の衣は色衣といってそれぞれの法階の色の衣を纏って読経を営みます。袈裟の色は全員違っていて、同じ黄土色でもグラデーションがあります。ほかに緑の人もいれば、ベージュやグレーの人もいて、全員違っていましたね。
袈裟はかなり高価なものなので、代々受け継がれていきます。私も祖父が身に着けていたものを借りることがあります。もともと高い法階を表す白い房が付いていましたが、ボロボロになったので橙色に変えて着直しているものもあります。そうやって引き継いでいくものなんです。
仁美:着物も自分のものという感覚はあまりなくて、買うときは3代先のことを考えています。とりあえず、私が生きている間を引き受けさせてもらっているという感覚です。
この前、澤田瞳子先生との対談でもお話させてもらったんですけれど、お着物を頂く機会が多くあります。持ち主が大事にされていたものをお預かりする、また私も大事にして人に手渡すみたいなところは着物文化にはありますね。
「無駄を省く」という思想
——禅の教えの中で「服装など華美にならないように」といったものはありますか。
東凌:「なるべく無駄を省く」という禅の思想はあります。ただ、衣は他の宗派に比べてサイズが大きいんですよね。
建仁寺を開かれた栄西禅師は、比叡山を降りて中国へ渡り、禅を新たに持ち込んだ方なので、当時は禅師に対する風当たりも強かったようです。あるとき「大きい衣を着て両手を振って歩いているから、つむじ風が京都で出た」と揶揄されると、「普通の人がつむじ風を起こせるものか。もしそれを起こせるんだったら、それは人を超えた存在だ」と切り返したらしい。「大袈裟」という言葉がありますが、そうした言い伝えとリンクしていると思います。
曹洞宗になると、衣がさらに長くなります。衣を着て生活するのは、おそらく曹洞宗と臨済宗、黄檗宗のいわゆる禅宗しかないと思います。
仁美:衣で生活するということそのものに、修行の要素がある。
東凌:そうです。
——黒にこだわる理由は。
東凌:黒と言ってもその中にグラデーションがあります。僕は、正絹と綿の黒が合わさることでできる陰影やテクスチャーの違いが良いと思っています。
仁美:私も昔から見ていて、かっこいいなと思っていました。あと、個人的には、夏の白い襦袢が透けたときの黒が美しいと思っています。濃淡があるからいい。
——着物で考えると、女性にとって黒の着物というのはかなり格式高い色になりますよね。
仁美:そうですね。やはり結婚されてる方、つまりミセスの第一礼装としての黒留袖の印象が強いです。他の場面で黒を着るとどうしても礼装に見えがちなので、コーディネートは工夫する必要がありますね。
東凌:相当モダンに着るみたいな感じならいいよね。赤をズバッと入れる、みたいな。
仁美:それはすごくかっこいいね。私も黒が大好きです。黒とゴールドの市松の帯をしたり、中途半端でないほうが「ファッションとして着ている」と見てもらえるので、お着物はそういう感覚が大事なのかもしれません。礼装なのか、ファッションとして着てるのかを分かりやすく表現したほうがいいと思います。
スタイリングは〝引き算〟で
——個人的な偏見ですが、僧侶の方が服装の中でテクスチャーや素材感の違いを意識したり楽しんでいるというのは意外に感じました。
東凌:僕が少し変わっているだけかもしれませんが、僕はそういうことにも楽しみを感じるタイプなんです。
仁美:東凌さんも言うように、同じ色で違うテクスチャーを組み合わせるのは私も大好きです。テクスチャーや素材が違うものを合わせることで奥行きが出てきますよね。それが違いを合わせる楽しみだと思います。
たとえばテクスチャーを見せたいと思うときや、職人さんの技が光る素材が着物の中にある場合には、それ以外の要素を全部"引き算"してしまって、より引き立つようにすることもしますね。季節感のある柄の帯の場合には、着物の方は江戸小紋(伝統的な型染め技法)の生地などにすると、帯の花がふわっと咲いてるように見えたり。ほかの柄を入れてしまうとガチャガチャしてしまうので、やはりスタイリングには引き算が大事ですね。
東凌:僕も私服ではシンプルを突き詰めたような服装も好きですね。
【中編に続きます】
(Text by Tomoro Ando/安藤智郎)
(Photos by Nakamura Kazufumi/中村和史)
Profile 伊藤仁美
着物家/株式会社enso代表
「日本の美意識と未来へ」を掲げ、着物を通して日本の美意識の価値を紐解き、未来へとつないでいく事をテーマに『enso』を主宰。祇園の禅寺に生まれ、和の空間に囲まれて育つ。祖父の法要で色とりどりの衣を纏った僧侶がお経を唱える美しい姿に出逢い、着物の世界へ進む。着付け師範、一般着付けから芸舞妓の技術まで習得。
講演や連載、イベント出演他、国内外の企業やブランド、アーティストとのコラボレーションや監修も多数、海外メディアにも掲載。着物の研究を通して着物の可能性を追求し続けるなか、自身の理想を形にすべく、オリジナルプロダクト「ensowabi」を立ち上げる。
▼伊藤仁美さんの連載はこちら
和を装い、日々を纏う。
Profile 伊藤東凌
1980年生まれ。建仁寺派専門道場にて修行後、15年にわたり両足院で坐禅指導を担当。アートを中心に領域の壁を超え、現代と伝統をつなぐ試みを続けている。アメリカFacebook本社での禅セミナーの開催やフランス、ドイツ、デンマークでの禅指導など、インターナショナルな活動も。2020年4月グローバルメディテーションコミュニティ「雲是」、7月には禅を暮らしに取り入れるアプリ「InTrip」をリリース。海外企業の「Well being Mentor」や国内企業のエグゼクティブコーチングを複数担当する。ホテルの空間デザイン、アパレルブランド、モビリティなどの監修も多数。著書『月曜瞑想〜頭と心がどんどん軽くなる 週始めの新習慣〜』。京都・両足院副住職。株式会社InTrip代表取締役僧侶。