芝翫縞の衣裳で踊る『紅翫』
2024年8月は、歌舞伎座に出演する橋之助さん。
『紅翫』は、幕末に人気を博した紅屋勘兵衛(べにやかんべえ)、通称「紅勘」をモデルにした舞踊劇です。1864年7月、日本舞踊中村流の三代目家元でもあった四世中村芝翫(しかん)が初めて上演したことに由来して、中村流では「紅翫」と表記します。
着物や袴、扇や手ぬぐいには、鐶(かん)繋ぎの文様があしらわれています。
箪笥の引き出しの取っ手(鐶)が連なるイメージには、“引く手あまた”や“和(輪)が続く”など縁起の良い意味が込められています。四本のラインと鐶をあわせて「芝翫縞」と呼ばれます。
「僕は踊りが好きなのですが、その基礎をしっかりと教えてくれたのは、踊りの師匠である中村梅彌(うめや。中村流家元)の伯母です。今回、伯母は祖父(七世中村芝翫)のお弟子さんから習った中村流としての『紅翫』をそのまま僕に伝えてくれました。振りの意味から足の運び方まで一から習い、その通りのものをお客様にお見せしたいです」
通りすがりの大道芸を楽しむように
舞台は浅草。芸達者で変わり者の小間物屋の主人・紅翫が芸を披露します。
「小道具が面白いんですよ。三味線にみえる楽器ですが竿は青竹で、胴の部分は一升枡に紙を張ったものなんです。紅翫さんが、ふつうに家にあったもので作ったという設定なのでしょうね」
酔っ払いを表す踊りでは、笑い上戸、泣き上戸、怒り上戸が登場します。
「目鬘(めかつら)も、きっと紅翫さんの手描きという設定です。当時はどうやって顔に貼り付けていたんだろう。ごはん粒とかを使っていたのかな、なんて想像をしてしまいます(笑)」
目の部分に穴があいており顔の上半分を覆います。可笑しみのある目鬘を外した後のすっきりとした顔にハッとさせられます。
「日本舞踊全般に言えることですが、意味を考えすぎず楽しんでいただけたら。たとえば渋谷でストリートダンスを見かけた時、この動きは何を意味するんだろう、とは考えませんよね。浅草を歩いていたら、紅翫という大道芸人がいた。そこを通りかかった朝顔売りや大工、町娘たちが立ち止まりそれを見ている。江戸時代のそんな風景、時間をそのまま切りとったのが『紅翫』だと思っています。お客様にも、偶然その場に居合わせたような感覚を楽しんでいただけたらうれしいです」
古典歌舞伎を繋げたい
『紅翫』は、歌舞伎座の「八月納涼歌舞伎」の第二部で上演されています。「納涼歌舞伎」とは、1990年にはじまった歌舞伎座の8月恒例の興行のことです。
当時まだ若手だった十八世中村勘三郎、十世坂東三津五郎たちが中心となり、橋之助さんの父・中村芝翫さん、伯父の中村福助さんとともに花形俳優中心の配役や創意工夫に富んだ演目を上演。昼夜二部制が基本だった歌舞伎座の本興行に、一日三部制を採用するなど歌舞伎ファンのすそ野を広げるべく奮闘されました。今その子供世代が「納涼歌舞伎」を沸かせています。
「勘三郎のおじや三津五郎のおじさま、福助のおじや、うちの父の姿を僕はそばで見ていました。勘三郎のおじからは『はやく歌舞伎の戦力になってくれよ』と言われていました。僕の直近の目標は、勘九郎のあにの力になること。勘三郎のおじにとっての父がそうであったように、勘九郎のあににとっての僕になりたいです。今年の『納涼歌舞伎』第二部では、勘九郎のあにの『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)髪結新三(かみゆいしんざ)』の後に僕の一幕をやらせていただけることが本当にうれしいです」
橋之助さんは、これまでもラジオやSpotifyなどを通して積極的に歌舞伎の情報を発信してこられました。昨年からご兄弟で始めた自主公演『神谷町小歌舞伎』は、今年9月に2回目が開催されます。
「古典歌舞伎の面白さを伝えたい、と常に思っています。歌舞伎もエンターテインメントの興行なので、お客さまに来ていただけないことには始まりません。その意味では新作歌舞伎の方が話題になりやすいかもしれないし、お客様もたくさん入ります。でも僕は古典歌舞伎が好きなんです。たとえば『絵本太功記』「十段目」は、本当に良いお芝居ですよ。『紅翫』も踊りの中に『熊谷陣屋』や『仮名手本忠臣蔵』「五段目」など、古典の有名な場面のパロディが出てきます。古典歌舞伎を楽しんでくださるお客様が増えていかないと、古典を上演する機会は減ってしまう。僕は自分の子供や孫にも、僕がしてきたような歌舞伎の勉強をさせてあげたいんです。そのためにも僕らとお客様が一緒に育っていけたらと思っています」
後編では、橋之助さんが7月に出演された『義経千本桜』「川連法眼館の場」を、舞台裏の拵えの風景とともに振り返ります。