「とりあえずやってみなさい。でも、とことんやりなさいよ」
「あなたは何十年ぶりの大寒波の日に生まれてきたのよ」
誕生日の日を迎えると、いつも母がそう話していたのを思い出します。
「京都のあちらこちらで水道管が破裂してしまうくらい寒い日で、24時間もかけて生まれてきたあなたは、その時から”マイペース”だった。私にも忘れられない一日になったわよ」
そんなふうに、誕生日が来るたびに、母はいつも私に出産の日の話を笑ってしてくれました。
母は、私が何かをやりたいと言い出した時、決してそれを止めたことはありませんでした。
「とりあえずやってみなさい。でも、とことんやりなさいよ」
高校時代、私は陸上部で長距離走に3年間打ち込んでいました。私の高校はスポーツに力を入れてる学校で、関西から優秀な選手がどんどん集まるような、陸上部もさまざまな大会で優勝する強豪でした。
毎日の通学はバスを使っていたのですが、ある時「この通学時間もランニングの練習の時間に使えたら、とても有効なのでは?!」という”名案”が私の脳裏に浮かびます。朝練からお昼休み、そして授業後の練習もかなり遅くまで、毎日トレーニング漬けだったのですが、まだまだ没頭したい私は、朝の登校時間さえも「走りたい!」と思ったわけです。
毎朝走って通学する唯一の生徒
ただ、学校まで走っていくためには制服ではなくジャージを着る必要があります。でも私の高校はスカートの丈の長さを先生が校門でチェックしたり、学校に入るときは必ず一礼することなど、いろいろと厳しい校則があり、通学時の服装は制服でというのが決まりでした。
私は思い切って先生に直談判することを決意します。「先生、私は制服ではなくジャージで学校に通いたいんです。なぜならその時間を練習の時間に使いたいからです! 少しでも速くなりたいからです!!」。授業や勉強に支障が出ないようにするという私の考えを先生は理解してくれ、「それを紙に書いて来なさい」とおっしゃって、私はあらためて紙に要望を書いて提出しました。
そんな生徒は学校が始まって以来初めてだったようですが、そんなこんなでジャージでの登校を許してもらい、私はもう次の日から嬉しくて毎日走って通いました。朝からジャージを着て、制服も教科書も全部リュックに入れて。特に晴れた日の朝は最高に気持ちよかった。雨の日も風の日も、私はそのスタイルを毎日続けました。
学校でも、最初は「ジャージで通っている人がいるらしい」と少しザワザワして隣の教室から見に来た人もいたくらいだったのですが、次第にチームメイトたちからも「私も」という声が上がるようになり、ジャージでジョギング通学する人がどんどん増えていきました。果ては他の部活やクラブの生徒にまで広がり、当時ジョギング通学が私の学校ではちょっとした「ブーム」にまでなりました。
自分の信念は自分が信じ切る
その時に思ったことは、なんでも物事の一番最初は「変」だと思われてもひるまないこと。「なんでジャージで通ってるの?」と若干変人扱いされることもありましたが、そうと決めた自分の信念は、自分が最後まで信じきる。そして、真っ直ぐに人に伝える意思の強さ、つまりは「覚悟」を決めることの大切さを感じました。
「私は早く走るためにこれをする」「勉強も頑張る」と決意した自分がいたからこそ、誰に何を言われても私は怯まずにいられた。何より、走ることが楽しかった。楽しそうに走っている様子がきっと周囲に伝わったのだろうと思います。
楽しそうに何かを続けている人がいる。するとそこに人々が集まってくる。それはいつかすごく大きな力になり得るのではないかと思いました。
10代のころにそうした経験をし、それから約30年を経たいま、「着物家」としての活動を珍しいと言われることも少なくありません。でも私は着物で生活をすると心に決めて上京し、着物家としての活動を通じて着物の美しさを未来へつないでいきたいと強く思い続けています。たとえ誰に何を言われても、どんなことだって着物で挑戦してきました。そうした私の考え方に共感してくださる方が少しずつ増えていることを、ようやく実感できるようになってきました。
その一因は、やはり着物を着ている私が楽しそうにしていることではないかと感じます。よどみのない思いと、覚悟を持って前へ進むこと。そしてそれを全力で楽しむこと。それが周囲からの応援や仲間につながっていく。いま感じられるそうした幸せも、出発点は母の言葉にあったのでした。