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Fashion&きもの

2024.03.25

一期一会に時間と手間を惜しんではいけない。着物家・伊藤仁美の【和を装い、日々を纏う。】2

満員電車と和装

長年住み慣れた京都の地に洋服を置いて辿り着いた東京は、目に飛び込んでくる全ての景色がキラキラとしていました。
その中でも一番驚いたのは、道を斜めに、たくさんの人が混じり合うように歩くスクランブル交差点でした。
長年京都の碁盤の目の中で生きてきた私にとって、鮮烈な光景でした。

「〽 丸竹夷二 押御池 姉三六角 蛸錦 四綾仏高 松万五条……」

(〽まるたけえびすに おしおいけ あねさんろっかく たこにしき しあやぶったか まつまんごじょう)

皆さんご存知の通り、京都は通り名一本ずつが童歌で覚えられるようになっていて、方向音痴の私でもこの歌を口づさめば、東西南北と目的地の場所への行き方が分かったものでした。
打って変わって、斜めに走る道も多くたくさんの人がひしめき合うように行き交う東京。和装で歩いていると、自分の背中より帯枕分の膨らみのあるお太鼓に人がぶつかり、形が壊れてしまうことも多々ありました。

さらに満員電車なんて大変です。帯をお太鼓結びにするとかなりの確率で壊れてしまうので、リュックサックのように前にくるりと回せないか、何度も考えたほどです。
こういった経験から、それまでほとんどのおでかけがお太鼓結び姿でしたが、より背中に密着した形で結べる「半幅結び」姿が増えていきました。
ちなみに、満員電車でも崩れない、私の中でのお気に入りの帯結びは「矢の字」結びです。背中への密着度が高く、昔から受け継がれている結び方であるにもかかわらず、アシンメトリーのデザインが洗練された大人の着姿に似合います。

着物の柄には、相手に対する思いを

帯結びの形とともに、東京で大きく変わっていったのは色合わせでした。
京都が宮廷文化の街だとすれば、東京は町人文化の街です。色数は減らし、柄や質感でコーディネートする。そんな纒(まと)い方が、新境地に少しでも早く馴染もうとした私なりの術でした。

「何かが変わる。」と信じて東京に来た私ですが、言わずもがな、魔法にかかったようにすぐに人生が好転し始めたわけではありません。ただ、今まで人と話すことが苦手だった私が、会話に困らなくなったこと。これは一番の変化でした。それは着物がコミュニケーションツールとして大活躍してくれたからです。

「素敵なお柄ですね。それは何のお花ですか?」など、着物にご興味をお持ちになり、お声がけ頂くことが増えました。そうした会話では、年齢や性別を超え、いつも会話に花が咲きました。
そして私は、着物は衣服でありながら、「メッセージを伝えるもの」でもあることに気付いたのです。


言わば「言葉にならない想いを纏う、ラブレター」のようなもの。着物を着ることは相手に「贈りものをすること」と考えてみることで、それまでは受け身だった人とのコミュニケーションが積極的になり、会話そのものが楽しくなっていきました。

たとえば、初めてお目にかかる方へは、良いご縁が紡がれることを願って、途絶えることなく続いていく市松紋様などのお柄をよく選んだものです。
2色の正方形を交互に並べた市松紋様は、現代でもよく目にする、いわゆるチェック柄。また、風呂敷の柄で知られる唐草紋様。どこまでも伸びる茎やツタは生命力の象徴で、「長寿」や「繁栄」を表す吉祥紋様です。

こういったお柄を着物や帯、時には表には見えない長襦袢として、そこに想いを秘めて纏う。そうすることで、一つ一つの出会いを大切に紡いでいるような心持ちがしました。

人生を変え得る、豊かなご縁の源は

そんな東京での歩みを始めたころにご縁を頂いた、あるお茶の先生から、このような言葉を頂きました。

「我逢人」

我、人に逢うなり。人生において、人と出会うことの尊さを表した禅語です。
出会いの中で大切なことは三つあると言います。どんな人と会うか。どんな場で会うか。そして、どんな姿で出会うか。

「これらを大切にして、人生を送ってください。」

そう言われた時、ハッと気付いたのです。
自分探しの旅に終着点が見えず、思い切って洋服という便利なものを京都に手放し、東京で着物生活を始めた私。自分の未来を切り開きたくて、ただただ出会いを求めて空回りをしていたのではないか……。

着物は単なる衣服ではなく、紋様や柄に込められたメッセージを含めて纏うもの。どんな姿で会いに行くか。一期一会に時間と手間を惜しまないこと。そして、そこに想いを込めること。それこそが、豊かなご縁となり、いずれ人生をも変えるのだと。

着物には往古来今の願いが込められており、それは人々の祈りでもあると、私は思います。

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伊藤仁美

京都祇園の禅寺に生まれ、着付け師範、芸舞妓の技術を習得。 「日本の美意識と未来へ」を掲げ、着物を通して日本の美意識の価値を紐解き、 未来へとつないでいく事をテーマに『enso』を主宰。講演やメディア出演他、オリジナルプロダクトや着物の研究を通して、着物の可能性を追求し続けている。着物を日常着として暮らす一児の母。
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