琳派は「派」がつくものの狩野派などとは異なり、師弟関係や血縁関係に基づくものではありません。光琳が私淑した俵屋宗達や、光琳を私淑して江戸琳派を興した酒井抱一など、時代は異なるものの、テクニックやテイストを同じくする絵師たちやその関係を示す言葉です。師弟関係ではなく私淑という形で受け継がれてきた琳派の系譜。今回は、生みの親として知られる(本阿弥)光悦クンと(俵屋)宗達クンの夢想対談をお送りします!
左/(本阿弥)光悦クン、右/(俵屋)宗達クン
出会うべくして出会った光悦と宗達
宗達:光悦さん、この屏風懐かしいですね~。
光悦:宗達クンがまだ町絵師だったころ一緒につくったものか。当時おぬしが描いていた料紙は金銀泥の使い方が見事で、ほかの店のものとは全然様子が違っていた。ただ者じゃないと思って絵を描かせたら案の定。そこから琳派はスタートしたのじゃ。
本阿弥光悦・俵屋宗達「色紙貼付桜山吹図屏風」六曲一双 紙本着色色絵貼交江戸時代(17世紀) 155.7×363.6㎝ 東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives
宗達:光悦さんの引き立てがあったからこそ上流のご贔屓がつきました。おかげで、「源氏物語」や「伊勢物語」などを勉強する機会に恵まれて絵の幅も広がりました。
光悦:「鶴図下絵和歌巻」などは、宗達クンの絵がないとできなかった。その後は絵師としてこの上ない位の法橋まで上りつめたのだから、たいしたものだ。
本阿弥光悦書・俵屋宗達下絵「鶴図下絵和歌巻」一巻(部分) 紙本金銀泥絵・墨書 江戸時代(17世紀) 34×1356㎝ 重文 京都国立博物館蔵
宗達:光悦さんの審美眼は、刀剣の手入れや鑑定をする名家で養われたのですよね。それに飽き足らず、町人や工人を集めて芸術村をつくって陶芸や蒔絵にまで没頭して。
光悦:公家文化がすたれていくことが口惜しくてのぉ。家康さまから鷹ガ峯の地を賜って、再現を試みたというわけだ。
宗達:陶芸や漆芸、書などあらゆる分野に長けておられますからね。そのころ私は、好きに絵を描かせてもらっていました。
光悦:若いころに描いた「平家納経」や水墨画「蓮池水禽図」をはじめ、法橋になった後の「源氏物語関屋澪標図屏風」、「風神雷神図屏風」と4つも国宝になって。
俵屋宗達「風神雷神図屏風」二曲一双 紙本金地着色 江戸時代(17世紀) 各154.5×169.8㎝ 国宝 建仁寺蔵
宗達:光悦さんこそ、「舟橋蒔絵硯箱」と「白樂茶碗 銘 不二山」と、漆芸と陶芸が国宝ですし、名宝は数知れず。
本阿弥光悦 「舟橋蒔絵硯箱」一合 木製漆塗 江戸時代(17世紀) 24.2×22.9×11.8㎝ 国宝 東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives
光悦:後世の評価はうれしいが、天下泰平の世で戦災を免れたのがよかったのだろう。
宗達:あのころ、京都には羽振りのいい旦那衆がいて、本当にいい時代でした。
光悦:その後は難しくなるからな……。