懐石料理のようにアートを楽しむ。樹木希林も愛した「何必館・京都現代美術館」

懐石料理のようにアートを楽しむ。樹木希林も愛した「何必館・京都現代美術館」

目次

日本文学を下敷きに独自の作品世界を築いた孤高の日本画家の展覧会「これからの日本を考える 中野弘彦展―無常―」が、2019年8月25日まで「何必館・京都現代美術館」で開催されています。

京都・祇園にたたずむ美の殿堂の詳細と、展覧会のレポートをお届けします。

あの祇園にある、知る人ぞ知る名美術館

7月は京都が最もアツくなる「祇園祭」の季節です。街のいたる所で「コンチキチン」の祇園囃子が流れ、7月1日の「吉符入」から31日の「疫神社夏越祭」まで、ひと月にわたってさまざまな神事や行事が執り行われます。

今回、ご紹介する「何必館・京都現代美術館」は、そんな祇園祭の中心となる「八坂神社」から徒歩3分。最近はたくさんの外国人観光客や舞妓さんが行き交う、日本随一の花街「祇園」にあります。

四条通り・祇園商店街のアーケードを歩いていると現れるモダンなビルディングが「何必館・京都現代美術館」です。入口が少し奥まっているので、うっかり行き過ぎないように注意してください。


観光客で賑わう花見小路のすぐそばにある、石造りのシックな外観の建物


入口には「IN FORMOSA SEMPRE INTENDERE」と刻まれています。ラテン語で「美の中にいつでも入られよ」という意味だそう

「何必館」のネーミングの由来

「何必館」は個人美術館で、館長の梶川芳友さんは22歳の時、近代美術館京都分館で菩提樹の下の若き日の釈迦の姿を描いた村上華岳の1枚の絵に深い感銘を受け、生涯を美術にかけると決意。

そして、なんとその絵を鑑賞するために相応しい空間として自ら美術館を設計、7年の歳月をかけて完成しました。

「何必館」という名前の「何必」とは、「何ぞ 必ずしも」という意味。明治時代に「ART」の訳語として作られた「美術」という日本語に常々違和感を覚えていた梶川さん。「美術」の代わりになる言葉を字引で探していると、「必」の項目に、「字解は心に楔(くさび)を打つ。なれども上に「何」という字がきたときのみ疑問符となる」という記述を発見。この「何必」を「美術」の代わりになる言葉と考え、「本来ARTとは、定説を“何ぞ必ずしも”と常に疑う自由な精神を持ち続けるものであるべき」という想いを込めて「何必館」と名付けました。

美術館では年5~6回程度の企画展示を開催。展示の内容は、日本画、洋画、工芸、写真と多岐にわたり、村上華岳、山口薫、北大路魯山人からサラ・ムーンまで古今東西のアーティストの作品を鑑賞できます。

企画展「これからの日本画を考える 中野弘彦展―無常―」

思想・哲学を造形化した孤高の日本画家


中野弘彦「沈む月と草庵」1989年 何必館・京都現代美術館蔵

本展は、生前梶川さんと親交の深かった孤高の日本画家・中野弘彦の主要な作品約40点を展観。

中野弘彦は、京都市立美術工芸学校で日本画を学び、中学校の教員をしながら、立命館大学と京都大学で哲学を専攻。ニーチェやハイデッガーなど西洋哲学を学びます。やがて、西洋哲学に行き詰まりを感じた中野は日本文学の世界へ。藤原定家、鴨長明、松尾芭蕉、種田山頭火などをベースにして、「無常」や「生と死」をテーマとした作品を多数描きました。

「絵画の中からは文学性を排除するべきだと言われていますが、中野さんはむしろ哲学思想をベースにした絵画を生み出せないかと、それが絵画として成立しうるかどうかを追求しました。本展では、視覚で見える範囲のものを画面に置き換えるという描写に終始してしまいがちな現代の絵画の状況を今一度見つめ直すきっかけとして企画したものです」(梶川)

「何必館」ではこれまで4回、中野の展覧会を開催。生前の3回の展覧会では、毎回ふたりでテーマを設定し、長い月日をかけてテーマを掘り下げ、絵画としてアウトプットしました。その間、ふたりが取り交わした手紙の数は、200通以上にものぼります。第1回の展覧会の制作期間は開催を決めてから10年もの歳月がかかり、その後も7年、8年を要しました。

1~5階の展示作品をご紹介します


1階展示室

会場1階の展示室には、中野が山頭火に自分自身を重ね合わせた自画像「山頭火時雨」(1996)をはじめ、書簡や封筒などの紙がコラージュされたユニークな作品「山頭火考」(1996)など大型の作品が並べられています。

特に注目したいのが、本展のビジュアルイメージにも採用されている「方丈記考(感傷的無常)」(1985)。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の書き出しで有名な鴨長明の随筆『方丈記』を1点の絵の中に織り込んだ作品です。
中野が生涯取り組むテーマとして「無常」を定め、その後の制作活動の原動力となった『方丈記』は、作品世界の根幹を為す文学。本作では、歪な形をした庵や川、丁寧に描かれた草花などのモチーフを用い、『方丈記』の世界観を構成しています。


中野弘彦「方丈記考(感傷的無常)」1985年 何必館・京都現代美術館蔵

エレベーターで1階上へ移動。和の雰囲気の2階展示室で鑑賞者を迎えるのは、中野が晩年に制作した、全長8mの大作「過ぎ去りし日々」(2003)。

中野弘彦「過ぎ去りし日々」2003年 何必館・京都現代美術館蔵


中野弘彦「過ぎ去りし日々」全体
一本の川と四季の草木が繊細な色合いとタッチで描き込まれた屏風です。こちらも『方丈記』をテーマにした作品で、川の流れは人間の一生の時間軸を表し、周りの意匠は人生の中で起こるさまざまなことを表していると考えられます。

屏風の真ん中あたりに描かれている植物をクローズアップしてみましょう。

輪郭を柔らかな鉛筆の線でかたどられ、緑や黄色、オレンジ、赤と、まるで砂糖菓子のような美しい色で刻一刻と色づいていく木の姿。はらはらと風に舞う葉の様子の、まさに一瞬を捉えています。

中野の作品には植物のモチーフが度々登場し、独特の存在感を放っています。これらの植物について、「中野弘彦画文集」にはこのように述べられています。「私はモチーフとして人物よりも植物か風景を選択することが多い。その理由は、人間のもっている感情や思想を感じとるのに人物よりも圧倒的に植物、風景のほうが多いからだ。」

お次は石造りの重厚な階段を登り、3階の展示室へ。真っ白な三方の壁に、様々な時期の中野の作品が展示された中規模の展示空間は、まるで作家の心象風景の世界に迷い込んだかのような印象を受けます。


3階展示室

中野が自由律俳句の奇才・種田山頭火にインスパイアされて描いた作品「山頭火」(1996)。


中野弘彦「山頭火」1996年 何必館・京都現代美術館蔵

こちらの作品は紙ではなく、ベニヤ板に、鮮やかな色で着色。彫刻刀で板の一部を削り取った大胆で荒々しい作品です。

「型破りな山頭火との出会いは、中野さんの絵画の表現方法を転換させる非常に大きな要素となったと思います。」(梶川)

一方、展示室の一番奥に展示されている「行く雲に無常を予感する定家」(1989)は、また違った表情を見せる作品です。空中に浮遊しているかのように見える巨大な木を墨で描いてにじませ、ぼんやりと浮かび上がらせています。木の上には、空を流れる2つの雲が描かれています。


中野弘彦「行く雲に無常を予感する定家」1989年 何必館・京都現代美術館蔵

「そこにはすばらしい一つの実存的な無常の世界が展開されている」藤原定家の作品について、中野はこのように書いています。

定家の「無常観」を茫々たる1本の木で表現した印象深い作品です。

エレベーターに乗り、最上階の5階に向かい企画展の最後の展示室へ。
5階展示室

5階展示室に入った途端、右前方から物凄い風を感じました。

その正体は、こちらの小さな作品。


中野弘彦「散っていく」1989年 何必館・京都現代美術館蔵

「中野弘彦は風が描ける。雨を表象できる。死に向かうこの時間を、流れる風のなかで、じっと眼を凝らしている」と梶川さんは評しています。

「勲章と唇」(1996)は人間の名誉欲と性欲を風刺した作品。上半分には勲章とビールの王冠、下半分には艶っぽい唇が描かれ、人間の根底にある下世話な欲望を象徴的に造形化しています。


中野弘彦「勲章と唇」1996年 何必館・京都現代美術館蔵

会場の最後を飾るのは、中野の絶筆となった作品「沈む太陽昇る月」(2004)。


中野弘彦「沈む太陽昇る月」2004年 何必館・京都現代美術館蔵

「無常の最終形態は死である」と考え、生涯を通じて「生と死」を描き続けた中野が自分の死を予感しつつ描いたと考えられる作品。今にも消え入りそうな鉛筆の線で描かれた沈む太陽と昇る月は、「死」というものの存在に限りなく肉薄した作品のように感じました。

鑑賞後は5階の光庭とお茶室へ


四季折々の表情を見せる5階光庭。秋はモミジが紅葉し、雪の日には苔に雪が積もることも。開館当時、建物の中の庭は珍しく、建設時は苦労したとのこと

「何必館」の5階のエレベーターが開いた瞬間、目の前に現れるのが坪庭。ビルの中とは思えない、突然の光景に思わず息を呑んでしまいます。天井の円形の開口部からは、自然の光が差し込み、地面には美しく手入れされた苔が一面生い茂っています。

風にそよぐモミジの葉を眺めていると、心が穏やかに鎮まり、海外から訪れた方の中には「教会みたいですね」という声も。時を忘れていつまででも居たくなる、そんな空間です。


床の間に鎮座する村上華岳の絵。樹木希林も生前この空間を愛し、京都を訪れるたびに立ち寄り、長い時間絵を眺めていたそう

村上華岳「太子樹下禅那図」1938年 何必館・京都現代美術館蔵

光庭の奥には、本格的なお茶室があります。床の間に掛けられているのは、梶川さんの運命を変えた村上華岳の作品「太子樹下禅那図」。ここがまさに、華岳の絵のために誂えられた空間です。企画展にあわせて変更されることもありますが、本展の会期中は「太子樹下禅那図」を飾られているので、ぜひこの機会にご覧になってはいかがでしょうか。


腰掛待合にも作品が! 中野弘彦「寂寥の日」1996年 何必館・京都現代美術館蔵。柔らかな自然光の中で作品鑑賞ができる特別な場所

最後に、地下1階北大路魯山人作品室へ


地下1階北大路魯山人作品室
存分に光庭でリフレッシュした後は、再びエレベーターに乗り、地下へ。

梶川さんが長年収集してきた、国内有数の魯山人コレクションの中から、選りすぐりの作品が展示されているのが、地下1階の特別室です。

魯山人作品の理念である「用の美」を意識した展示が、こちらならではの特徴で、館長自ら壺に花を生けたり、お皿にお料理を載せたりして、生きた道具としての作品を楽しませてくれます。


北大路魯山人「双魚絵平鉢」1935年 何必館・京都現代美術館蔵。魚の絵が描かれた器に水が張られ、モミジの葉が浮かべられています。なんと涼やかな演出!


北大路魯山人「つばき鉢」1938年 何必館・京都現代美術館蔵。もろくて壊れやすい楽焼で作られた直径40センチもある大鉢は、魯山人の傑作

懐石料理のような「何必館」の美のもてなし

魯山人展示室を堪能して「何必館」を後にすると、そこは活気あふれる祇園の街。美の世界から日常の世界へ引き戻され、一気に我に返りました。でも、入った時と出た時では、見える景色がほんの少し違っています。

「何必館」での鑑賞体験は、例えて言うなら、「美の懐石料理」。

選び抜かれた極上の素材とそれを盛り付けるに相応しい器、きめ細やかなおもてなしの心…。芸術作品を一品一品自分の感覚で確かめ、味わうことができました。魯山人のごとく、作品を入れる器まで手がけた梶川さんによる美のフルコースで心まですっかり満たされたのです。

「何必館」へは、「今日のメインディッシュは何でしょう?」そんな気持ちでぜひ足を運んでみてください。

お口直しには、爽やかな5階の光庭、締めのデザートには濃厚な魯山人のお部屋が。

芸術作品とのひとときを楽しませてくれる工夫がそこかしこに凝らされていて、アートがずっと身近に感じられることは請け合いです。

 

何必館・京都現代美術館 基本情報

住所:京都府京都市東山区祇園町北側271
開館時間:10時~18時(入館は17時30分まで)
休館日:月曜日、展示替え期間、年末年始
電話番号:075-525-1311

企画展「これからの日本画を考える 中野弘彦展―無常―」
会期:2019年6月29日(土)~8月25日(日)
休館日:月曜日(但し、7/15、8/12は開館)

公式サイト

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