紅白梅図屏風・舟橋蒔絵硯箱〜ニッポンの国宝100 FILE 35,36〜

紅白梅図屏風・舟橋蒔絵硯箱〜ニッポンの国宝100 FILE 35,36〜

目次

日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。2017年は「国宝」という言葉が誕生してから120年。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

紅白梅図屏風

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は光琳の最高傑作、「紅白梅図屏風」と驚異のデザイン感覚、「舟橋蒔絵硯箱」です。

光琳の最高傑作 「紅白梅図屏風」

紅白梅図屏風

まばゆい金地を背景に、向かい合って屈曲する紅白の梅樹。間にはゆったりした曲線の流水模様が描かれています。この「紅白梅図屏風」の作者は、江戸時代中期の絵師・尾形光琳です。

光琳は、京都の呉服商・雁金屋の次男に生まれました。家業が没落したのち、40歳を過ぎて、本格的に画業をスタートさせます。当時の画壇の中心にいた狩野派や、光琳が生まれる以前に京都で活躍した町絵師・俵屋宗達の絵に学びながら研鑽し、宮廷から「法橋」という名誉ある称号を賜りました。

宝永元年(1704)、銀座年寄役・中村内蔵助を頼って江戸へ出た光琳は、厩橋藩主酒井家から俸給をもらいながら、絵を描きました。大名屋敷では、室町時代の画僧・雪舟や雪村の水墨画などを目にして、大いに刺激を受けたといわれます。

足掛け6年で京都へ戻った光琳は、すでに50歳を過ぎていましたが、以後、没するまでの7年間に次々と大作を描き上げます。この晩年に描かれたのが、最高傑作といわれる「紅白梅図屏風」です。

くの字に折れる2つのパネル(扇)が一対になった、二曲一双の屏風。この形式を生かし、大きな流水を真ん中で2つに分断した大胆な構図が特徴です。これは自ら模写したことのある宗達の「風神雷神図屏風」に影響を受けたともいわれ、梅の幹には、宗達に学んだ「たらし込み」の技法が使われています。

梅の花は図案的に描かれ、中央の流水には、渦巻く波のように水紋が表されています。光琳の生家には商売柄、着物の図案帳が多数伝わり、姻戚関係にあった本阿弥光悦の蒔絵などにも日常的に親しんでいたと考えられます。そうした工芸品の装飾性や技法を絵画に取り入れたのが「紅白梅図屏風」なのです。

まもなくこれらの梅花や流水は「光琳模様」として意匠化され、着物や和菓子など、さまざまな品を飾っていきました。

宗達と光琳の意匠や画法は、江戸後期の絵師・酒井抱一らに継承され、現在では「琳派」と称されていますが、光琳模様をはじめとするそのデザインは、現代の日本人の生活のなかにも継承されて、溶け込んでいます。

国宝プロフィール

紅白梅図屏風 尾形光琳

18世紀前半 紙本金地着色 二曲一双 各156.0×172.2cm MOA美術館 静岡

江戸時代中期の絵師で、京都で活躍した尾形光琳が晩年に描いた二曲一双の金地屏風。中央に文様化された流水、左右の端に紅白の梅の木を描く。細部に工芸的な技巧が凝らされ、華麗で装飾的な画風の、光琳の代表作。

MOA美術館

驚異のデザイン感覚 「舟橋蒔絵硯箱」

紅白梅図屏風

小山のように盛り上がった蓋に金の蒔絵で舟を描き、橋に見立てた鉛板を、蓋から側面までぐるりとまわした、斬新なデザインの硯箱。蓋には、平安時代の歌人・源等の和歌が、銀の文字をバランスよく散らして配置されています。この「舟橋蒔絵硯箱」は、江戸時代初期の書家で、漆芸、陶芸、さらに出版業も手がけた総合芸術家、本阿弥光悦の作品です。

光悦は永禄元年(1558)、刀剣の鑑定や研磨を家業とする京都の名家・本阿弥家の分家に生まれました。刀剣は、その付属品である拵(鞘や柄、鐔など)に、金工・蒔絵・染織などの工芸技法が使われます。光悦は家業に携るなかで、工芸に関する豊富な知識や鑑識眼を養い、金工細工師、蒔絵師らの職人とのつながりをもちました。また、武家や富裕な町衆(商工業者)との交流により、和歌や能の謡曲など、文芸に関する幅広い教養を身につけ、茶の湯にも親しみました。

光悦が生きたのは、安土桃山時代から江戸時代への転換期。政治の中心は江戸に移り、それに対抗するかのように京の町衆は、平安時代の雅な美意識への復古を志します。

光悦は、京の絵師・俵屋宗達の下絵に和歌を記した巻物や色紙を多く残しています。また、京の豪商・角倉素庵が嵯峨で行なった出版業にも協力しました。光悦流の活字を版木を用いて印刷したテキストに、雲母の粉による雲母摺で草花などの文様を表した美麗な表紙の豪華な版本は「光悦本」または出版された土地の名から「嵯峨本」と称され愛好されました。

元和元年(1615)、光悦は徳川家康より洛北の鷹峯の地を拝領し、ともに法華宗を信仰する親族や親しい町衆、職人などを率いて移住します。大虚庵という草庵を結んだ光悦は、作陶に励み、寛永14年(1637)、80歳でこの世を去りました。

光悦の遺した多彩なジャンルの作品は、彼が築いた人々とのネットワークの賜物です。「舟橋蒔絵硯箱」もまた、持ち前の優れたデザイン感覚を発揮して、職人たちと作り上げた作品。光悦は日本のアート・ディレクターの先駆者ともいわれています。

国宝プロフィール

舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦

17世紀 木製漆塗 1合 縦24.2cm 横22.9cm 高11.8cm 東京国立博物館 Image:TNM Image Archives

平安時代中期の「後撰和歌集」にある源等の歌をデザインの主題にした、蒔絵の硯箱。江戸時代初期に活躍した総合芸術家・本阿弥光悦の作品。中央部分を高く盛り上げた蓋の形、鉛板の使用など、光悦が手がけた蒔絵の特徴を完備した名品である。

東京国立博物館

紅白梅図屏風・舟橋蒔絵硯箱〜ニッポンの国宝100 FILE 35,36〜
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