風信帖・迎賓館赤坂離宮〜ニッポンの国宝100 FILE 41,42〜

風信帖・迎賓館赤坂離宮〜ニッポンの国宝100 FILE 41,42〜

目次

日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

迎賓館

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、空海が最澄に宛てた書状、「風信帖」と近代西洋化の象徴、「迎賓館赤坂離宮」です。

これぞ空海の名筆 「風信帖」

迎賓館

「風信帖」は、真言宗の開祖である平安時代の僧・空海が天台宗の開祖である最澄へ送った書簡3通を1巻にまとめたものです。1通目の書き出しに「風信雲書」とあることから、「風信帖」と総称されており、厳密には、各冒頭の文言から、第一通が「風信帖」、第二通が「忽披帖」、第三通が「忽恵帖」と呼ばれています。当初は最澄が開いた天台宗の総本山、延暦寺に伝来していましたが、文和4年(1355)、東寺(教王護国寺)御影堂に奉納されました。

嵯峨天皇、橘逸勢と並び、「三筆」と称される空海の書跡のなかでも最高傑作のひとつとして名高い「風信帖」は、書簡であるため、手紙という点では「状」ともいえます。古来、書の世界では、鑑賞に値するものや手本となる名筆は「法帖」といわれてきました。「風信帖」という呼称は、実用の書簡の域を超えて、多彩な書風を自在に操る書の名人であり、名文家でもあった空海の比類ない才能が凝縮された名品である証です。

さらに「風信帖」は、平安仏教界の両雄であった空海と最澄の親密な交流を物語る貴重な史料でもあります。
 
最澄からの便りに対する返事である第一通は、「風のごときお便りを開いて読むと、雲や霧が晴れる思いがします」という意味の格調高い詩的な麗句から始まります。冒頭の「風」は、威風堂々とした構えを見せ、筆を沈めたり、突いたり、弾いたりと、力みなぎる多様な筆の運びで書かれています。この冒頭の一字のなかに、7歳年上の最澄に対する尊敬の念とともに、同じ仏道の世界に身を置くライバルとしての空海の気概が見事に込められています。

延暦23年(804)、同じ年にともに遣唐使船で唐に渡り、帰国したのち、親しく手紙を交わしていた両者は、やがて思想的な隔たりによって袂を分かつことになります。「風信帖」は、空海と最澄の束の間の蜜月にしたためられました。

時に力強く、時に軽やかに運ばれる自在な筆、文字の大小や墨継ぎにまで深慮された一字一字には、空海の心のありようが写し出されています。

国宝プロフィール

風信帖 空海

9世紀 紙本墨書 1巻 28.8×157.9cm 東寺(教王護国寺) 京都

真言宗の開祖・空海が最澄に宛てた手紙3通をまとめたもの。もとは5通伝わったが2通が失われた。空海40歳前後とされるその筆跡は、威厳とエネルギーにあふれ、古くから遺墨中の第一とされてきた。延暦寺に伝わり、文和4年(1355)、東寺の御影堂に奉納された。

東寺

明治生まれ初の国宝「迎賓館赤坂離宮」

迎賓館

明治42年(1909)、かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった東京・赤坂の地に、緑青の屋根を頂いた壮麗な宮殿が出現しました。皇太子・明宮嘉仁親王(のちの大正天皇)の住居、東宮御所として建設された「赤坂離宮」です。日本初の本格的な西洋風宮殿建築であるこの館は、昭和期に国の迎賓館として生まれ変わり、完成から100年を迎えた2009年12月、明治時代以降の文化財としてはじめて国宝に指定されました。

 

西洋の優れた文明を導入し、近代国家を目指した日本の文明開化。その成果が実を結びつつあった明治30年代、成人を目前に控えた皇太子のための新たな東宮御所を造営する計画がもちあがりました。明治31年(1898)には、宮内省に東宮御所御造営局が新設されます。その総指揮をとったのは、宮内省に在籍する建築家・片山東熊。当時44歳の片山は、その若き日、お雇い外国人として日本に来日したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの直弟子として建築を学び、すでに帝国奈良博物館(現・奈良国立博物館)、帝国京都博物館(現・京都国立博物館)を手がけた、日本における西洋建築の第一人者でした。片山のもとには、洋画家の黒田清輝や浅井忠をはじめ、当時一流の芸術家や学者、技術者が集結。翌明治32年、近代日本の顔となる西洋式宮殿を建設するための、国を挙げての一大プロジェクトが始動したのです。

赤坂離宮には、国家の威信を誇示する豪華壮麗な様式として、当時ヨーロッパで流行していたネオ・バロック様式が採用されました。4度にわたる国外視察を重ねた片山は、フランスのヴェルサイユ宮殿やイギリスのバッキンガム宮殿を参考にしながらも、そこに和の意匠を施すことで、日本ならではの西洋式宮殿を目指しました。そして10年後、面積約11万8000平方メートルの敷地に、鳥が優雅に翼を広げたような地上2階建ての白亜の宮殿が誕生しました。

赤坂離宮は、日本の近代化を目指して、明治期に西洋から学んだ技術と文化の結晶であり、先人たちが心血を注いで切り拓いた明治という時代の“肖像”でもあります。

国宝プロフィール

迎賓館赤坂離宮

片山東熊設計 1909年竣工

東宮御所として工事に10年の歳月をかけて建設された、ネオ・バロック様式の宮殿建築。鉄骨・煉瓦造りの構造に、花崗岩を張った本館。内装には明治期の一流の画家や工芸家が技を競い、華麗な装飾が施されている。戦後、皇室財産から国に移管され、1974年から迎賓館としての供用が開始された。

迎賓館赤坂離宮

風信帖・迎賓館赤坂離宮〜ニッポンの国宝100 FILE 41,42〜
この記事をSNSでシェアする
この記事をSNSでシェアする