四天王寺扇面法華経冊子・法隆寺釈迦三尊像 〜ニッポンの国宝100 FILE 67,68〜

四天王寺扇面法華経冊子・法隆寺釈迦三尊像 〜ニッポンの国宝100 FILE 67,68〜

目次

日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

法隆寺釈迦三尊像

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、ほがらかなやまと絵「四天王寺 扇面法華経冊子」と、止利仏師の傑作「法隆寺 釈迦三尊像」です。

平安の貴賤の暮らし「四天王寺 扇面法華経冊子」

四天王寺扇面法華経冊子

大阪・四天王寺に伝わる「扇面法華経冊子」は、扇形の紙に絵を描いた上に「法華経」などの経典を書写し、二つ折りにして冊子に仕立てたものです。
 
平安時代中期、仏法が衰え災いが蔓延する末法の世が到来するという末法思想の流布とともに、貴族の間で写経が盛んになりました。もっとも多く書写されたのは、写経の功徳や、女性も悟りを開いて仏になれるという「女人成仏」を説く「法華経」です。左大臣・藤原道長は奈良・吉野の金峯山に自筆の「法華経」を埋納しています。また、平清盛ら平氏一門が広島の嚴島神社に奉納した「平家納経」に代表されるように、金・銀で装飾した料紙(書の用紙)に写経する装飾経の制作が流行しました。

「扇面法華経冊子」も、きらびやかな料紙に絵を描き、その上に写経した装飾経です。もともと装飾経は巻物の形式で作られていましたが、本作は用紙が扇形であることと、冊子仕立てになっていることが大きな特徴です。当初は、「法華経」8巻と、「無量義経」「観普賢経」各1巻の計10巻が10帖に仕立てられていました。うち四天王寺に残るのは「法華経」巻一・巻六・巻七と、「無量義経」「観普賢経」の計5帖。その他は東京国立博物館に巻八の1帖があるほか、断簡が各所に分蔵され、現存する絵は扇絵59面、表紙絵5面を数えます。

扇面には、肉筆と木版摺りを併用し、日本古来のやまと絵で、貴族や庶民の風俗や花鳥などが、美しく描かれています。柴垣から御簾越しに姫君をのぞく公卿など、貴族の邸内における日常の情景があるいっぽう、井戸端に集う女たち、魚や果物の店を行き交う女たちなど、市井の情景も活気あるみずみずしい描写で描かれていることが、「扇面法華経冊子」の最大の魅力です。
 
各帖の表紙には、「法華経」の守護神である羅刹女が、平安貴族の女房姿で描かれています。このことなどから「扇面法華経冊子」は、女人成仏を説く「法華経」を尊崇する宮廷周辺の女性の発願で制作されたと考えられています。鳥羽上皇の皇后・高陽院が、仁平2年(1152)に四天王寺に奉納したとする説が有力です。

国宝プロフィール

扇面法華経冊子

紙本着色墨書 5帖 12世紀 各辺25.8cm 四天王寺 大阪

雲母で地塗りした扇形の紙に、肉筆と木版で下絵を描いて彩色し、金銀の箔を散らした上に、「法華経」などの経文を書写して、冊子本にした装飾経。貴族や庶民の暮らしの情景が多彩に描かれている。もとは10帖の冊子で、うち四天王寺に5帖が伝来する。

四天王寺

聖徳太子を追慕する「法隆寺 釈迦三尊像」

法隆寺釈迦三尊像

奈良・斑鳩の法隆寺は、聖徳太子(厩戸皇子)が7世紀初めに創建した寺院です。その本堂が金堂で、釈迦三尊像は金堂中央にある「中の間」に安置されています。銅を鋳造して鍍金した金銅仏で、中尊が金堂本尊の釈迦如来坐像、両脇に寺伝で薬王菩薩・薬上菩薩といわれる菩薩立像が配されます。三尊がひとつの大きな光背をもつ「一光三尊」形式の仏像です。
 
光背の裏に刻まれた銘文により、推古天皇30年(622)に病に臥した聖徳太子夫妻の平癒と来世での成仏を祈願して、一族諸臣が聖徳太子等身の釈迦像の造立を発願。夫妻没後の推古天皇31年(623)に、釈迦三尊像が仏師・鞍作止利によって完成したことがわかります。仏像製作が開始されたばかりの飛鳥時代に、このように造像の経緯や製作年、作者まで判明する仏像はほかになく、飛鳥時代の仏像の基準作、また日本の仏像史の原点となる仏像として、きわめて貴重な金銅仏といえます。

釈迦三尊像は、中国・北魏様式の仏像の影響を受けた面長の顔に、杏仁形(アーモンド形)の目と大きな鼻をもち、アルカイック・スマイルと呼ばれるかすかな笑みを浮かべた威厳ある顔だちをしています。衲衣の衣文などは厚手で、これらの特徴は止利様式と称されます。
 
像の全体はほぼ左右対称で、正面から見たときにもっとも美しく見えるように造形されています。釈迦如来の上半身と、台座に広がる衣の裳裾が二等辺三角形を形成し、どっしりとした安定感を醸しだして荘厳です。最初期の仏像でありながら、細部まで高い完成度をもつ点でも注目されます。
 
金堂(国宝)は、釈迦三尊像の造立よりもあとに建てられたとされ、もとの金堂は、天智天皇9年(670)の火災で法隆寺が全焼した折に焼失したと考えられています。釈迦三尊像がどのようにしてこの火災をまぬかれたかは、いまだに謎です。
 
金堂「東の間」の薬師如来像は太子の父・用明天皇のため、「西の間」の阿弥陀如来像は太子の母のために造立されたもので、中央の釈迦三尊像とともに、金堂全体が聖徳太子追慕の空間として構成されています。

国宝プロフィール

法隆寺釈迦三尊像

銅造 鍍金 推古天皇31年(623) 像高/釈迦如来(中尊):86.4cm 左脇侍:90.7cm 右脇侍:92.4cm 法隆寺 奈良

法隆寺金堂の本尊である釈迦如来像と、両脇侍の菩薩像2軀による三尊の金銅仏。光背に製作年や造像の経緯、仏師・鞍作止利の名が記されている。製作年と作者名が判明している日本最古の仏像で、飛鳥時代の仏像の最高傑作。

法隆寺

四天王寺扇面法華経冊子・法隆寺釈迦三尊像 〜ニッポンの国宝100 FILE 67,68〜
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