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2019.12.04

岡倉天心=力道山説!日本画をプロレスに見立ててみたら1000年読み継がれる記事ができた!

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「日本画とプロレス」……今この記事をごらんになっているのは、タイトルを見て目を疑い、思わずクリックした方が多いのではないでしょうか。花鳥風月などのモチーフが岩絵具などで品よく描かれ、典雅な印象を与える日本画と、レスラーがリングで汗を飛び散らせる、野性味溢れるプロレス。世にも不思議な組み合わせのこのテーマ、幼少時からのプロレスファンであり、現役の日本画家であり、大学では教鞭を執っているお二人に、熱く語っていただきます。

左:山本直彰先生 右:間島秀徳先生

♦︎山本直彰…1950年 横浜生まれ。画家。現在、武蔵野美術大学特任教授、和光大学非常勤講師。

♦︎間島秀徳…1960年 茨城県生まれ。86年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程日本画修了。80年代後半より個展を中心に画廊にて作品発表。2000年から1年間、文化庁派遣在外研修員としてフィラデルフィアに滞在。水と身体の関わりをテーマに、国内外の美術館から五浦の六角堂、二条城、清水寺等に至るまで様々な場所で作品を発表。現在、信州大学教育学部教授、美学校講師。

日本画とプロレスのはじまりは似ている!?

山本:日本画っていう名称は、明治の翻訳語です。日本美術の仏画、絵巻物、水墨画、浮世絵、琳派なんかも全部日本画だと思われてるところがあるけど、正確にはそういったものは日本画とは呼ばない。日本美術だけど。

間島:日本画は明治以降、さまざまな西洋の絵画に対抗しうる画の在り方を模索していたんですよね。西洋絵画の真似をしたり、対抗できるものをアピールしようとした。

山本:日本にはもともと相撲や柔道があって、新しいジャンルとしてプロレスは来るわけだよね。戦後だよ。プロレスの定義はできないと思うんだ。曖昧なものだよ。それが日本画と似ている。日本画も定義できないんだよ。明治以前は、「日本画」なんていう言葉がなかったわけだし。

間島:日本画というジャンル自体、プロレス的な始まり方をしているかもしれませんね。日本画は、明治以前の日本絵画とは違う形として、言葉と共に成立してきたという歴史があります。一方で、日本のプロレスの始まりは、ほとんどがアメリカ人というか、西洋人が相手でしたよね。日本がアメリカに行く場合は悪役だったと思いますけれどね。そういう戦後の日米関係の影響は、美術(日本画)にも影響を及ぼしているかもしれません。

岡倉天心は力道山、東山魁夷はジャイアント馬場!?

間島:日本画でいうと岡倉天心が祖みたいなものですけど、プロレスだと力道山が岡倉天心に当たりますかね、インターナショナルでプロデュース力も高いですし。昭和を代表するスターであるジャイアント馬場が東山魁夷辺りでしょうか。

山本:団体でいえば、日本プロレスが日本画の帝展(日展)に該当するかな。全日は再興院展、それで新日が創画展。

※日展…日本最大の公募展で、政府主導で1907年に文展として設立、後に帝展から日展と改称された。正式名称は日本美術展覧会。設立当時、日本画壇と洋画壇の中で対立があり、融和のために政府が日展を主導したという背景がある。設立後も審査の不満や派閥争いが起こり、さまざまな抵抗勢力が生まれたが、日本最大にして代表的な公募展であり続けている。

※再興院展…日本美術院の展覧会、院展の一部。1898年、岡倉天心が日本美術学校排斥後に日本美術院を結成、院展を開催するようになった。院展は全て公募というわけではなく、審査がある一般の部と、審査なしで出品される同人の部があり、再興院展は後者である。出品者には序列があり、序列が高いほど努力を要求され、同人作家は基本的に毎回出品しなくてはならない。

※創画展…官展に反対する立場で日本画の革新を目指して結成された日本画の団体・創造美術(1948年設立)を全身とする。1951年に新制作派協会と合流して新制作協会日本画部となり、その後1974年に再度独立して創画会になった。現在、院展、日展と並ぶ日本画壇の一大勢力である。

間島:1990年以降にたくさん出てきたプロレス団体は、日本画で言うと公募の枠を越えて結集したオルタナティブなグループ展が該当しますかね。

山本:日本画じゃなくて、日本の絵画というくくりだと、もっといろんな例が出せるかな。今回「日本画とプロレス」っていう対談をやるって言ったら、日本の芸術作品で例を出してくれる人がいた。それによると、俵屋宗達が力道山、「風神雷神図屏風」の風神がアントニオ猪木、雷神がジャイアント馬場、狩野派が馬場イズム、琳派は猪木イズム、月岡芳年がアブドーラ・ザ・ブッチャーだって。

間島:これらに関しては、皆さんの思い入れによって、勝手なこと言い出しそうですよね。

日本画もプロレスも這いつくばって闘うスタイルは同じ

山本:アメリカの批評家のハロルド・ローゼンバーグが、ジャクソン・ポロックみたいな抽象表現主義の画家にとっては「画面は闘技場である」て言ってるんだよね。彼らは寝かせて描くんだけど、日本画も寝かせて描くんだよね、水絵具でたれちゃうから。油絵みたいにイーゼルに立てて描かない、それが抽象表現主義のアクション・ペインティングに近いよね。

※ジャクソン・ポロック…1912年生まれのアメリカの画家。キャンバスを下に置いて塗料を滴らせる「ドリッピング」や、線を描く「ポーリング」、勢いのよい筆の動きである「ブラッシュ・ストローク」などを特徴とする抽象表現主義の代表的な画家。画を描く行為そのものを強調する彼の画法はアクション・ペインティングとも呼ばれた。

間島:私もどちらかというとポロックスタイルですね。日本画家が和紙を床に置いて、静かに描写していくスタイルとは違っています。私は周りをうろつきながらというか、四方八方から描いていくので、体を使って描いていく感じです。アトリエもワイヤーを張り巡らしてあるので、見ようによってはプロレスのリングのように見えます。そういう場所で制作をしているという意味では、一人でプロレスをしているような形ですね。だから、直接誰かと闘っているわけではないですけど、制作そのものが闘いというところはあるかなと思います。

間島先生のアトリエ

山本:ものを創るってこと自体が闘いだからね。誰と闘うんだろうね。

間島:山本さんは制作するときはどの様な感じなんですか? やはり寝かせているのでしょうか。

山本:ほとんど寝かせて、見る時は立てて、です。

間島:日本画のジャンルにカテゴライズされることはないでしょうけど、李禹煥(リ・ウーファン)は、間違いなく寝かせて描くスタイルです。静かに一撃で終わらせる手法もですが。大地に寝かせて描くことは、思想的にも重要な位置を占めているのだと思います。

※李禹煥…1936年大韓民国生まれ。石や木のような自然の素材と、鉄材やガラスなどの工業製品といった「もの」のあいだに自分の意思を介入させることで、素材同士の関係性を提示する「もの派」を理論的に主導した中心人物であり、世界的に活躍している現代美術家である。

―体を使って描くのは、体力的にきついのではないでしょうか?

山本:同じ姿勢を取っていると、立ち上がれなくなりますね。加山又造さんなんかも、超人的に同じ姿勢を続けるから、この辺り(胸のあたり)がだめになったって聞くよ。プロレスラーはまず首をやられるよね。

※加山又造…日本画家、版画家。1927年京都生まれ、1950年に春季創造美術展で入選。多摩美術大学教授・東京藝術大学教授に就任。日本画の伝統と様式美を現代的な感覚で示し、「現代の琳派」と呼ばれた。

間島:制作でアトリエにこもっていると、寝かせた作品の周りを歩き回るので、歩く歩数は多くなりますし、制作の佳境に入ると、中腰の体制が多くなるので、腰に負担がかかります。

山本:プロレスラーは体が壊れても、別の方法をあみ出したりするんだよね。大仁田厚は膝の骨折で引退して、ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで復帰するし。ノーロープって長方形のリング、つまり矩形という画面を打破したことになるか。大仁田のプロレスは僕のプロレス観からははずれてるけど。一方、70歳過ぎても現役でやってるレスラーがいるよ。ルー・テーズは74歳まで、リック・フレアーも藤原も、グレート小鹿は一体何歳なんだ。75はいってるはずだ。今でも現役でしょ。20代の子と闘うなんて。死ぬまで闘ってるんじゃないの。もうわけが分からなくなる。いくら切っても割り切れない「余白の世界」だ。構成が成り立つんだろうか。

※ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ…1990年8月4日に開催された大仁田厚とターザン後藤の試合に始まるデスマッチの呼称。ロープの上に有刺鉄線を巻く「カリビアン・バーブドワイヤー・デスマッチ」が、ロープの代わりに鉄線を巻く「ノーロープ有刺鉄線デスマッチ」に発展し、その後大仁田が有刺鉄線に触れると爆発が起きる「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」に昇華させた。

闘い続けるために必要な基礎 勝つために必要な欲望

間島:プロレスラーが闘い続けるには、どの様に体力を維持しているのか、制作のためのモチベーションもそうですが、続けるために必要な体力と気力をどの様にキープしていくかは、共に課題としてあると思いますよ。

山本:体力というより、基礎というのが何なのかだね。プロレスの基礎だと、やっぱりスクワットなのかな。厳しかったらしいよ。山本小鉄が新日で、マシオ・駒が全日で、若手に基礎を強いたらしい。それは日本画についてもいえるんじゃないかと思うんだけど。

間島:プロレスラーは、死なないために、特殊で猛烈なトレーニングをしてますよね。画家としての基礎となると、入り口のきっかけはさまざまですが、どこに向かうかは本人次第ですからね。超・日本画ゼミ(美学校)で講師をしていますが、集まる人たちは様々な出自や経験者なので、対話をしながら制作の実践を試みることが多いですね。そこで各自の制作スタイルや得意技をどの様に磨いてゆくかという話になるわけです。

山本:僕は生徒に、ものをよく見ろって言ってますね。日本画は大体、植物の細密描写から始まりますから。スマホや写真を見て描くんじゃない。実物を見て描けと。自分の眼で見ろと。自分の眼で見るって、自分の受けている教育を受け入れて、反抗したり、否定したり、だよね。基礎とは万人共通のものではない、それを見つけることを基礎と言ってるんだけど。僕は間島さんより10年古いんで。

《DOOR S-1》1995年、麻紙、木扉、岩絵具、箔 201.1×253.4㎝ 山本直彰 撮影・山本糾 神奈川県立近代美術館蔵

間島:例えば藝大に入るための受験では、未だに石膏デッサンが試験のモチーフとしてあるわけですが、ここで求められているのは、デッサンの基礎のようでありながら、実際にはバランスの良い人を選ぶ意図が強いのではないでしょうか。かつて草間彌生も、たまたま始まりは日本画からですが、結局本人が見えているものや囚われていることにこだわり続けるのが、現在まで繋がっている制作のモチベーションなのですよね。

山本:昔のプロレスでは、新入りは前座の試合で大技使っちゃいけなかったんだ。だけど今は、前座でもばんばん大技を使ってるね。それで20代前半でチャンピオンになったりもする。

間島:かつての日本画壇では、師匠や先輩を差し置いて、個展等はできなかったようですね。一方で昭和の大家が君臨していた頃には、既存の通俗性に反発しながら、無所属の作家が新しい動きを始めていたように思えます。

山本:今はすぐ大技を出したがる。焦ってるよね。早く評価されたがってる。と言ってみても、少なからず若者とはいつの時代も同じか……。

間島:私は山本さんより10年あとの世代ですが、1970年代以降からの影響もあって、個性というものを疑う時代でもありました。1980年代以降に至っても、世界のアートシーンの流れは絵画の復権が叫ばれてはいたのですが、資本主義に迎合しつつ、「売れたら終わり」と言われる中で、1980年代以降になっても迷い続けながらの制作活動のスタートでした。自分を捨ててどこへ向かえば良いのかです。それに比べると、現在の状況は、個性に対する価値観がだいぶ変わってきたのではないでしょうか。

山本:個性って、そんなちゃちなものでいいんですかとは思いますね。台風が来たらそんなのすっとびますよ。台風が来ても地面にしがみついて残るようなものでなくちゃ。それぞれのプロレスラーの必殺技は、そこへ辿り着くまでの格好悪いプロセスがあってできたものです。他のレスラーがその技を使うと「掟破り」と言って、これプロレス用語だけど、それをわざと使うことを掟破りと言うんだ。その前提に技への尊敬があるんだ。プロセスなしで、日本美術の古典や伝統に安易に媚びて、日本画はないだろう。欲望は達成のためのエネルギーとして欠かせないが、プロレスは勝ち負けではない。勝者を単純に賛美したりしないよね。敗者に向ける目が、観客のオリジナリティーであったりするんだ。欲望と言えば、もうひとつの欲望も忘れちゃいけない。70年代初頭の東スポも週刊ファイトも、プロレスとポルノが表表紙と裏表紙で抱き合わせになっていたよね。その頃の東映の映画が、ヤクザ映画とポルノが二本立てになっていたのとよく似た現象だ。

山本先生にご持参いただいた、昔の東京スポーツ特集号

間島:プロレスラーと日本画家のサバイバル術はどうでしょう。生き残りのために何が必要かと言えば、欲望の強さではないでしょうか。プロレスラーの体がぼろぼろでも、勝ちたい。絵が下手でも、成功したい。いずれも欲望の強い人がじわじわと昇ってくる感じがありますね。

山本:作家としてやっていくのも、プロレスラーとしてやっていくのも、有名になりたい、勝ちたい気持ちがある人が勝つよね。

間島:東スポのような下世話なオンパレードにプロレスが入っている。プロレスファンは活字で確認しながら楽しんでいたんですね。1980年代後半のバブルの時代のプロレス界は、闘魂三銃士(橋本、武藤、蝶野)から佐々木や船木といった新しいタイプのプロレスラーが続々とデビューした時代ですね。日本画では昭和の大家(東山、加山、平山)以外の中堅作家も売れていた時代でしたね。プロレス団体は、相撲巡業の様に全国をバスとトラックで巡回しますよね。日本画も日展や院展等の大きな団体が全国の美術館や百貨店を巡回する営業スタイルにも共通点があります。

山本:プロレスも日本画も、人がいないと伝わらないんだよ。前田日明なんかは、UWFの試合後のブーイングに、「分からない奴は見なくていい」なんて客席に向かって言ったけど。いいなあ。マサ斎藤とアントニオ猪木のデスマッチの場合、無人の巌流島ということになってるけど、放映されたからカメラはあったってことだからね。プロレスは観客が試合をつくるから。プロレスは八百長じゃないかという人がいるけど、人生そのものが八百長みたいなものじゃないかな。まるっきり純粋だと人は感動しないでしょう。ただ絵を描いてるだけじゃ伝わらないですからね。

間島:純粋なだけでは人には伝わらないですよね。見る人が純粋に感じられるような場を作りたいですが。

山本:絵画も、観客が作者よりも優れた見方をすることもある。作者にはそれが嬉しいんですよ。究極は一人の人間がいいって言ってくれればいいんだ。究極ついでにアルティメット・ウォーリアー(超合金戦士)っていうレスラーがいたな。80年代の終わりだったかな。人造人間をナマの人間がリングで演じるんだ。

(カーン!!前半戦終了のゴングが鳴ったので続きは後半戦で!)

書いた人

哲学科出身の美術・ITライター兼エンジニア。大島渚やデヴィッド・リンチ、埴谷雄高や飛浩隆、サミュエル・R.ディレイニーなどを愛好。アートは日本画や茶道の他、現代アートや写真、建築などが好き。好きなものに傾向がなくてもいいよねと思う今日この頃、休日は古書店か図書館か美術館か映画館にいます。