明治大正の幻の浮世絵約110点が集結!「鏑木清方と鰭崎英朋」展(太田記念美術館)【展覧会レポート】

明治大正の幻の浮世絵約110点が集結!「鏑木清方と鰭崎英朋」展(太田記念美術館)【展覧会レポート】

木版口絵(もくはんくちえ)って聞いたことありますか?

明治中期から大正初期にかけて、小説単行本や文芸雑誌の巻頭に挿入された、一枚摺りの美しい木版画の挿絵のことを「木版口絵」と呼びます。江戸時代に隆盛した錦絵と同じ木版画技術で制作され、明治30年代に全盛期を迎えました。しかしその流行は長く続かず、木版口絵は大正初期に入ると急速に衰退。木版画に代わる、より安価で新しい印刷技術に押され、ジャンル自体が消滅してしまいます。それから100年以上経過した現代では、木版口絵はすっかり忘れ去られたジャンルの一つとなってしまいました。

日野原学芸員に見せていただいた木版口絵

しかしそんな木版口絵のディープな世界に光を当て、展覧会として大特集してくれたのが、我らが浮世絵の殿堂・太田記念美術館。今回は、木版口絵の世界的な大コレクター・朝日智雄氏のコレクションを一挙に紹介。知られざる木版口絵のディープな魅力を、約110点の美麗な作品群で味わうことができました!

そこで、今回は木版口絵を楽しむための基本的な知識をご紹介しながら、展覧会「鏑木清方と鰭崎英朋 近代文学を彩る口絵 ―朝日智雄コレクション」の見どころや、本展で特集されている木版口絵を手掛けた6名の画家達について解説してみたいと思います!

木版口絵を鑑賞するために役立つ前提知識をまとめてみた

木版口絵の簡単な歴史を振り返る

葛飾北斎(かつしかほくさい)、歌川広重(うたがわひろしげ)や渓斎英泉(けいさいえいせん)、歌川国貞(うたがわくにさだ)ら、幕末に活躍した有力な浮世絵師が相次いで亡くなって以降、江戸の浮世絵は徐々に下火になっていきました。そんな中、浮世絵師の流れを汲む画家たちは、明治初期になると新たに新聞や雑誌などの「挿絵」の仕事に活路を見出していくことになります。

主に商業美術の世界で活動した挿絵画家ですが、明治初期頃は歌川派の末裔にあたる月岡芳年(つきおかよしとし)とその一門が挿絵業界で大きな存在感を示していたとされます。しかし、明治20年代に入ると時代の変化や世代交代に乗じて、様々な新顔が登場。日本画家や歌川派以外の画家たちもが挿絵業界で存在感を示すようになっていきます。

武内桂舟 堀内旭松・著『谷中の恋塚』口絵 木版/磊磊堂/明治26(1893)年5月/本展に出品されている作品のうち、もっとも古い木版口絵のうちの一つ。本作を描いた武内桂舟は、特定の師匠を持たず独学で挿絵画家へのキャリアを切り開いた。

では木版口絵というジャンルは一体いつ頃から始まったのでしょうか。そのルーツは、江戸時代の読本(よみほん)や草双紙(くさぞうし)、合巻(ごうかん)といった小説の冒頭に挟まれていた、墨一色で摺られた挿絵のページにあるようです。その目的は、これから始まる物語の中で出てくる主要人物をあらかじめ読者に紹介することでした。

当初シンプルな墨摺絵で制作されていた冒頭の口絵ですが、明治20年代になると独立した一枚摺のカラー木版画へとグレードアップしていきます。日清戦争後の好景気を背景に、出版業界での販売競争が激化したことが大きく影響していました。読者の興味をより強く引き、店頭で手にとってもらいやすくするための工夫が必要だったのです。ジャケ買いならぬ、口絵買いを狙っていたのですね。

明治20年代後半からは、本格的な木版口絵ブームがやってきます。当時、単行本・小説雑誌の2大出版社であった春陽堂、博文館は、競うように自社の刊行物に人気挿絵画家の美しい木版口絵をつけるようになりました。特に明治28年1月に博文館が創刊した文芸雑誌『文芸倶楽部』の影響は大きく、雑誌巻頭に木版口絵が掲載されることが人気画家であることの証としても見られるようになったのです。

武内桂舟「月下之美人」(『文芸倶楽部』第2巻第7編 口絵)木版/博文館/明治29(1896)年6月

しかし、それから約20年。大正5年頃を境に、木版口絵は早くも衰退期に入ります。その原因としては、他の安価な印刷技術の進歩や、木版の色彩感覚が時代の好みとずれていったことが挙げられています(展覧会図録P4より)。また、木版口絵研究の第一人者である山田奈々子氏は、関東大震災によって版木の大半が失われてしまったことも衰退が早まったきっかけになったのではないかとも分析しています(増補改訂『木版口絵総覧』P18より)。

江戸時代の浮世絵と木版口絵の違いって?

実は、木版口絵で使われている技術は、基本的には江戸時代の錦絵と全く同じものなのです。小説家の指示に基づいて画家が下絵を描き、彫師が版木を起こして、摺師が印刷して・・・という大まかな流れは江戸時代から変わっていないのですね。

江戸時代との大きな違いは、画家が製作工程に関わる比重が高まったことです。江戸時代、浮世絵師の仕事はまず版下を作り、墨一色でテスト印刷した「主版」に対して簡潔な配色指示を出していました。これを「色さし」といいます。

木版口絵の制作工程では、この「色さし」が「さしあげ」と呼ばれるようになり、より細密化していきました。つまり、白黒でテスト摺りした「主版」を元に配色指示を出すのではなく、画家自らが筆を取って「主版」に細かく彩色作業を行うようになったのです。

鰭崎英朋 後藤宙外・著『月に立つ影』前編 口絵さしあげ 校合摺に着色/明治39(1906)年

この「さしあげ」が行われるようになった背景としては、明治時代に入って木版画の技術レベルが飛躍的に向上したことで、ほぼ肉筆画に近い表現が可能になったことが挙げられます。鏑木清方の回想によると、ゴージャスな木版口絵の場合、摺りの回数が100回以上になることも珍しいことではなかったそうです。(鏑木清方『こしかたの記』P269より)明治中期に入って大きく進歩した「摺り」や「彫り」の美しさは本展の大きな鑑賞ポイントの一つです。

水野年方 村上浪六・著『黒田健次』続編 口絵木版/青木嵩山堂/明治30(1897)年11月
また、「場面設定」をうまく見せるため、画家達が凝らした表現上の工夫も見どころ。江戸の浮世絵ではあまり見られないような「窓」や場面を2つに大胆に分割するコマ割が多用されるなど、1枚の絵で効率良くストーリーを印象づけるような「口絵」ならではの工夫がなされているのが面白いですね。

富岡永洗 尾崎紅葉・著『心の闇』口絵木版/春陽堂/明治27(1894)年5月

木版口絵の世界で活躍した画家って誰がいるの?

富岡永洗 地図を眺める美人と象 木版/出典不明/製作年不明

約30年と短い木版口絵の歴史の中でも、作品を手掛けた挿絵画家は150名以上いたとされます。中でも質・量ともに非常に優れた作品を残した代表的な画家が、本展でも特集されている武内桂舟(たけうちけいしゅう)、富岡永洗(とみおかえいせん)、水野年方(みずのとしかた)、梶田半古(かじたはんこ)、鏑木清方(かぶらぎきよかた)、鰭崎英朋(ひれさきえいほう)の6名でした。

前者の4名は明治20年代~明治30年代後半にかけて活躍した「第1世代」の代表格、後者の2名は明治30年代後半~大正初期にかけて登場した「第2世代」の代表格として位置づけられています。

それ以外にも、質量ともに多く手掛けた作家として、鈴木華邨(すずきかそん)、寺崎広業(てらさきこうぎょう)、宮川春汀(みやがわしゅんてい)、尾形月耕(おがたげっこう)、筒井年峰(つついとしみね)、渡辺省亭(わたなべせいてい)などが挙げられます。(※本展には出品されていません。)また、自身も木版口絵の代表的な画家として活躍した鏑木清方は、随筆『こしかたの記』で、武内桂舟、水野年方、富岡永洗を木版口絵の3大家として取り上げています。(自分が入っていないところがまた謙虚ですよね!?)

なんで木版口絵の画家ってみんなマイナーなの?

鰭崎英朋「梅の窓」(『文芸倶楽部』第20巻第3号 口絵)木版/博文館/大正3(1914)年2月

ところで、武内桂舟や富岡永洗、鰭崎英朋って誰なの???っていう人も結構いらっしゃるんじゃないでしょうか?僕も、本展で初めてその名前を知りました。それにしても、木版口絵の画家って、総じてあまり聞いたことのない作家が多いと思いませんか?

その理由としては、美術品として大切にされてきた日本画や洋画を描いた画家たちに比べると、雑誌や小説といった、1度で消費されてしまう消耗品を手掛けた挿絵画家は、美術史の文脈で評価されづらかったのかもしれません。鏑木清方も、公募展等で作品を出品することがなかったライバルの鰭崎英朋について、「・・・英朋も、烏合會の後公開の會への出品がないので、世人に認められる機の乏しかつたのが私には惜しくてならない。」(鏑木清方『こしかたの記』P285より)と語っています。

また、木版口絵自体も書籍本体から簡単に取り外されやすく、その口絵がどの小説のものか、いつ頃制作されたのか作品の価値が分かりづらくなってしまっていることや、木版口絵がそもそも国文学の立場、美術史学の立場からも研究対象として認知されていなかったことも、作品や作家が埋もれていってしまった理由だと分析されています。

日本屈指の木版口絵コレクター、朝日智雄さんの凄い功績

鏑木清方 泉鏡花・著『風流線』口絵木版/春陽堂/明治37(1904)年12月

このように、現代まで美術史学者、文学者の両方から正しく評価される機会に乏しかった「木版口絵」というジャンルですが、どんなジャンルにも凄いコレクターがいるものです。中でも、本展のために全作品を提供されている朝日智雄さんは日本、いや世界屈指の木版口絵における大コレクターなんです。

朝日さんは、約30年前から木版口絵の収集をスタート。現在その総収集点数は、約2,500点にもなるそうです。朝日さんの見立てによると、これまでに制作された木版口絵の総点数は約5千数百図あるそうなので、世の中に生み出された全木版口絵のおよそ半数を所蔵している計算になりますね。現在のところ、個人の口絵コレクションとしては世界最大規模といえそうです。

また、朝日さんは木版口絵の普及・啓蒙活動にも積極的なのです。たとえば、2017年にクラウドファンディングを活用して、自らのコレクションのほぼ全てを収録したDVD『朝日コレクション:明治・大正口絵作品』を刊行。木版口絵の研究者にも大量の作品画像を提供するなど、収集活動と並行して、木版口絵の芸術性を積極的にピーアールされているのです。

木版口絵の世界で活躍した6人の画家たちを一挙紹介!

展示風景

本展では、1F、2F、地下と太田記念美術館の全ての展示スペースを使って、木版口絵の世界で活躍した6人の画家、とりわけその中でもタイトルにある通り鏑木清方と鰭崎英朋に焦点を絞って展示しています。そこで、ここからは展示作品の中から、特に僕が気になった作品を作家別にいくつか紹介していきたいと思います!

ファインアートだけじゃない!商業ベースでもガッツリ活躍した鏑木清方

鏑木清方 菊池幽芳・著『百合子』後編 口絵木版/金尾文淵堂/大正2(1913)年12月 ©AKIO NEMOTO

先日、東京国立近代美術館にて3点で推定総額5億円以上で購入された肉筆の代表作「築地明石町」シリーズがお披露目になりましたが、実は鏑木清方は挿絵画家としても非常に人気の高かった画家でした。木版口絵の世界でも、人物の情念を的確に捉えた清潔感のある作風で鰭崎英朋と共に「第2世代」の代表格として大活躍しました。

鏑木清方「五月雨」(『今様』夏衣の巻 口絵)木版/松屋呉服店/明治45(1912)年5月 ©AKIO NEMOTO

ちなみに清方と鰭崎英朋は当時非常に親しく交流しており、1901年には「烏合会」という美術団体を一緒に立ち上げたほどでした。本展でも、清方と英朋の合作による貴重な口絵作品も展示されています!

鏑木清方・鰭崎英朋 泉鏡花・著『婦系図』後編 口絵 木版/春陽堂/明治41(1908)年6月 ©AKIO NEMOTO

清方のライバル!終生商業作家として活躍した鰭崎英朋!

鰭崎英朋 柳川春葉・著『誓』前編 口絵 木版/至誠堂書店/大正4(1915)年6月/作品に折り目がくっきりとついています。木版口絵が雑誌に折りたたんで挿入されていたことや、こうして切り離されてファンが大事に保管していたことがよくわかりますね。

続いては、本展の主役とも言える鰭崎英朋。浮世絵師・月岡芳年の門人・右田年英(みぎたとしひで)で、歌川派の系譜に連なる画家です。彼はファインアートの世界で作品を残していないこともあり、没後約50年が経過した今ではすっかり忘れ去られた作家となってしまっていますが、明治30年代後半から大正初期にかけては、鏑木清方と共に挿絵業界ではNo.1の人気画家でした。

鰭崎英朋 後藤宙外・著『裾野』前編 口絵 木版/春陽堂/明治42(1909)年1月

その画風は、気品と叙情性あふれる清方とは対照的で、肉感的で妖艶な女性を美しく描き出すことを得意としていました。たとえばスナップショット的に捉えたこちらの艷やかな湯上がり美人。微妙にはだけた浴衣の下に見える肌の白さや、ほつれた後れ毛がなんとも言えない艶めかしさを醸し出していますね。

鰭崎英朋 泉斜汀・著・泉鏡花・補筆『深川染』前編 口絵 木版/春陽堂/明治40(1907)年4月

こちらは修羅場です(笑)身売り先の男・直太郎の元から逃げ出して隠れて宿泊していた旅籠の寝室に、直太郎が乗り込んできた緊迫感したシーンが描かれています。女性をにらみつける男の表情、寝ていたところを起こされて困惑する女性の表情が見事に表現されており、思わずジャケ買いならぬ「口絵買い」をしてしまいそうな面白さがありました。

鰭崎英朋「秋の声」(『婦女界』大正9年9月号 表紙原画)絹本着色/大正9(1920)年

また、本展では婦人雑誌の表紙用に英朋が描いた貴重な肉筆原画も展示されています。キャリア前期では、歌川派のDNAを感じさせる浮世絵風の美人を描いていた英朋ですが、時代に応じて徐々に作風をチェンジ。大正時代になると、目が大きくなってハイカラな大正風の美人画を描くようになっているんですね。

鰭崎英朋「有明」(『新婦人』明治45年5月号 口絵)石版/聚精堂/明治45(1912)年5月

また、本展では珍しい石版画(リトグラフ)も一部出品されています。木版とは少し違うミステリアスな雰囲気に仕上がっています。木版画と同じく、石版画もまた過渡期の版画技術でした。ある意味、木版画以上にレアな存在と言えるかもしれません。ぜひ、石版画ならではの魅力を味わってみたいですね。

鏑木清方の師匠!水野年方

水野年方 川上眉山・著『大村少尉』口絵 木版/春陽堂/明治29(1896)年5月

月岡芳年の筆頭弟子として歴史画を中心とした肉筆日本画から、浮世絵まであらゆる画題を自在に描きこなした水野年方は、出版社からの旺盛な挿絵・口絵に応え続けました。頼まれたら断れない生真面目な性格も幸いしたのか、出版社からの注文が最も多かった画家だったと言われています。

水野年方 三宅青軒・著「寂光院」(『文芸倶楽部』第7巻第13号)口絵 部分 木版/博文堂/明治34(1901)年10月

年方は、いずれは本格的な肉筆日本画を手掛ける画家へのキャリアアップを目指していましたが、志半ばとなる42歳で惜しくも早逝してしまいます。死因は脳疾患とも過労とも言われていますが、いずれにしても当時の人気挿絵画家が激務だったことが伺えます。彼は弟子の鏑木清方の作風形成にも多大な影響を与えるなど、本来なら美術史の中でのもっと重要な立ち位置にいるべき人物ではありますが、実力の割に現在の知名度が高くないのは、やはり早逝した影響が大きいのかもしれません。水野年方 小栗風葉・著『恋慕流し』口絵 木版/春陽堂/明治33(1900)年5月

木版口絵にキャリアを捧げた職人!武内桂舟

他の画家達が、狩野派や歌川派の系譜に連なる師匠の下で画業を学んでいるのに対して、武内桂舟はほぼ独学で絵画を学び、既存の作風にとらわれない新鮮味のある作画で頭角を表しました。若い時には、細密な装飾で輸出用陶器として作られていた薩摩焼の絵付けなども担当していました。
武内桂舟 尾崎紅葉・著『隣の女』口絵 木版/春陽堂/明治27(1894)年6月

武内桂舟がブレイクのきっかけをつかんだのは、当時No.1売れっ子小説家として活躍していた尾崎紅葉(おざきこうよう)が立ち上げた硯友社(けんゆうしゃ)に画家として入会し、紅葉作品の木版口絵を手掛けるようになってからでした。紅葉作品の要点を正確に把握して堅実に作画へと落とし込む桂舟の口絵は評判になり、人気作家へと登っていったといいます。

木版口絵では小説の一場面を舞台に女性の全身像を描いた作品が多いようですが、鏑木清方が『こしかたの記』に書いた回想によると、「先生は動物を畫くに長じ、分けても馬は最も得意だつたのである。」と、意外にも動物画を得意としていたとのこと。武内桂舟「麻だすき」(『文芸倶楽部』第18巻第9号 口絵)木版/博文館/明治45(1912)年7月

ちなみに、当時木版口絵を描いた挿絵画家のキャリアとしては、いずれ日本画の世界へステップアップを目指すことが多かったようですが、武内桂舟は黎明期から衰退期まで一貫して木版口絵を手掛け続け、挿絵画家専業としてキャリアを終えました。晩年仕事が少なくなってからは、嵯峨人形作りにも没頭するなど趣味に生きたそうです。

明治の歌麿との異名を取った?!富岡永洗

富岡永洗 江見水陰・著『鎌わぬ坊』口絵 木版/春陽堂/明治29(1896)年10月

手掛けた美人画の妖艶な美しさから、「明治の歌麿」と称賛された人気画家、富岡永洗。しかし彼は美人画だけでなく、武者絵など男性を描かせても一流だったといいます。そんな富岡永洗の作品でまずチェックしたいのは、黒岩涙香(くろいわるいこう)が手掛けた一連の翻案小説の挿絵です。翻案小説とは、明治中期頃に流行した、欧米の大衆文学からストーリーはそのままに、登場人物や場面設定などを日本風に置き換えた、いわゆる洋物のリミックス文学作品のことです。したがって小説内での登場人物は日本人に置き換えられているのですが、富岡永洗は、口絵で敢えて欧米風の人物像を描くことで翻案小説の世界観を表現しています。

富岡永洗 黒岩涙香・訳『女退治』口絵 木版/扶桑堂/明治29(1896)年7月/登場人物は日本人だが、どう見ても外国人風に描かれている。

明治初期にも、歌川派などが手掛けた開化絵、横浜絵など外国人を描いた浮世絵作品はありましたが、その頃に比べると断然リアル度が増してクオリティが高くなっていますよね。ジャポニスムに影響を受けたロートレックやボナールなどが手掛けた西洋のポスター画にもなんとなく近い雰囲気が感じられました。

富岡永洗もまた、水野年方同様に将来は肉筆を中心とした日本画へと活動を広げようとしていましたが、その矢先肺結核が原因で惜しくも若干42歳で亡くなってしまいます。長生きして日本画の世界で作品を残していたら、もっと有名になっていたかもしれませんね。

モダンで斬新な作風で魅せた!梶田半古

梶田半古「菊のかをり」(『文藝倶楽部』第11巻第13号 口絵)部分 木版/博文堂/明治38(1905)年10月

梶田半古といえば、その作品はともかくとして、前田青邨(まえだせいそん)や小林古径(こばやしこけい)、奥村土牛(おくむらとぎゅう)らを育てた師匠として、熱心な日本画ファンには聞き覚えがある名前かもしれません。そんな梶田半古ですが、キャリア前期においては、非常に斬新でモダンな木版口絵を手掛けるスター画家だったのです。

梶田半古 小栗風葉・著『青春』夏之巻 口絵 木版/春陽堂/明治39(1906)年1月

その口絵のクオリティがあまりにも高かったため、後年彼が日本画家として本格的に日本画壇へと軸足を移そうとした時も、挿絵の名手としてのイメージが強くなりすぎていたことがキャリアを固めるための障害になってしまったそうです。

梶田半古 山岸荷葉・著『失恋境』口絵 木版/春陽堂/明治36(1903)年12月

浮世絵師の名残りを感じさせる水野年方、鏑木清方、鰭崎英朋らに比べても作風がモダンな感じがしますし、余計な背景などを極力描かない、シンプルな画面構成なども非常に印象的でした。

展示期間はわずか約1ヶ月ちょっと!目の肥えた浮世絵ファンも納得のディープな展覧会です!

展示風景

錦絵を始めとする浮世絵が衰退していった明治中期~大正初期にかけて、浮世絵師たちが最後の活路として見出した小説や雑誌の木版口絵の世界。アート作品というよりは、商業ベースでの大衆向けの量産品であったため、木版口絵で当時名を馳せた作家は見事にその後忘れ去られてしまいました。

しかし、どんな世界にも凄いコレクターというものはちゃんといてくれるものなんですよね。出版社から流出した(?)であろう折り目のない未使用品をはじめ、雑誌や小説から切り離されて大切に守り継がれてきた木版口絵は、本展をきっかけにより多くのアートファンに認知されるようになると思います。明治中期~大正時代にかけ、わずか30年ほどの間に人々に愛された知られざる「浮世絵文化」楽しんでみてくださいね!

※アイキャッチ画像のキャプション
鏑木清方 菊池幽芳・著『百合子』後編 口絵木版/金尾文淵堂/大正2(1913)年12月 ©AKIO NEMOTO

展覧会基本情報

※本展は3/14時点で展示終了となりました。
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、3月末まで
太田記念美術館の臨時休館が延長されたことによるものです。
※ご了承下さい。

展覧会名:「鏑木清方と鰭崎英朋 近代文学を彩る口絵 ―朝日智雄コレクション」
会期:2020年2月15日(土)~3月22日(日)
会場:太田記念美術館(〒150-0001 東京都渋谷区神宮前1-10-10)
展覧会公式HP:http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/

明治大正の幻の浮世絵約110点が集結!「鏑木清方と鰭崎英朋」展(太田記念美術館)【展覧会レポート】
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