あの人もこの人も、みんな琳派の後継者!
琳派が今も生きているとはどういうことなのでしょう?光悦クンと宗達クンの夢想対談最終回!琳派の真髄が感じられる近代の作品と共にお送り致します。
[夢想対談 第一弾]黄金コンビによって琳派は芽生えた!!
[夢想対談 第二弾]天才絵師・光琳で琳派大ブレイク!
左/(本阿弥)光悦クン、右/(俵屋)宗達クン
宗達:何も思い残すことなく世を去ったつもりでしたが、知らないところにたくさんの弟子筋がいたのには驚かされます。
光悦:それが、琳派はまだ続いておるんじゃよ。私らのころは鎖国で外国のことなど知る由もなかったけれど、明治になって外国に門戸を開いたら、なんと、琳派の絵が外国でおおいに評判になったというんじゃ。
宗達:万国博覧会というやつですか?
光悦:そう、その世界各国の美術工芸品を集めた会合で日本にがぜん注目が集まるようになって、西洋諸国では日本趣味(ジャポニズム)なるものが流行したそうな。
宗達:西洋に絵はなかったのですか?
光悦:おぬしは(苦笑)。もちろんあったが、描き方や構図などが全然違っていたのだ。その西洋に渡って現地の状況を見聞し、琳派を再生しようと考えたのが、京都四条派に学んだ神坂雪佳(かみさかせっか)じゃ。
宗達:知っています。「光悦会」の人でしょう。私や光琳の模写もしていますね。
光悦:雪佳の偉いところは絵を図案化をしたことだ。琳派の伝統的な画風を近代に通じるデザインにしてくれたおかげで、外国でも日本でも琳派が見直された。
宗達:織物や工芸品に図案が使われて、京都で琳派が復活したのがうれしいですね。
光悦:雪佳とともに忘れてならないのが、岡倉天心(おかくらてんしん)のもとで生まれた日本画という新たな分野で、琳派が受け継がれたことだ。
宗達:横山大観(よこやまたいかん)の名はあの世でも有名で。
光悦:堂々とした『群青富士』はその白眉。ほかにも下村観山や菱田春草、東山魁夷、加山又造。さらに、昭和から平成に活躍したグラフィックデザイナー、田中一光はおぬしの『平家納経』をポスターにしておる。
宗達:弟子筋は増えるばかりですね。
光悦:しばらく終わりそうもないのぉ(笑)。
意匠を図案化して、琳派をリニューアル!
琳派に受け継がれてきた伝統的な主題を、大胆な構図と色彩で図案化した三巻の木版画集のうちのひとつ。燕子花や波などが、宗達風、光琳風の図案で描かれている。単に工芸家が参考にするための図案集ではなく、画集として鑑賞することができるというところに本作の特徴がある。
神坂雪佳『百々世草』より 三巻(芸艸堂刊) 各30×22.3㎝ 明治42.43(1909・1910)年 細見美術館蔵
自由でおおらかな画風は琳派研究のたまもの
富士山を題材にした作品を数多く残している大観。大正期に描いた本作は色彩やデフォルメの方法に、そのころ傾倒していた琳派研究が生かされている。富士の山肌の群青、雲や残雪の白と金地のコントラストが美しく、デザイン的な構図で、すがすがしい初夏の富士を描き出している。
横山大観『群青富士』(右隻)六曲一双 絹本着色 大正6~7(1917~1918)年ごろ 各176×384㎝ 静岡県立美術館蔵
アートディレクターのイメージソースにもなった
日本を代表するグラフィックデザイナー・田中一光(1930~2002年)が、宗達作の国宝『平家納経』の鹿をモチーフにしてつくったポスター作品。日本美術に造詣が深かった田中一光は、琳派から着想することもあったとか。実は本誌『和樂』のロゴデザインは田中一光作。『和樂』は琳派の継承者、とは言いすぎ?
田中一光『JAPAN』シルクスクリーン 1986年 B1判(103×72.8㎝) 画像提供/DNP文化振興財団
-2013年和樂10月号より-