同じ虎(とら)でも描く人が変わると、こんなに違う。伊藤若冲や長沢蘆雪の、虎の絵。若冲は「日本に虎はいないので中国画を模写した」ということは知られていますが、蘆雪に至ってはもっとウィットに富んだ仕掛けを作品の中に仕組んでいることをご存知でしょうか?
伊藤若冲の作品「猛虎図」
中国画あるいは朝鮮画の可能性もある、京都・正伝寺(しょうでんじ)の「虎図」を原画として忠実に模写した作品。しかし、ディテールの書き込みや巧みなデフォルメによって若冲らしさが存分に漂います。
伊藤若冲「猛虎図」江戸時代・宝暦5(1755)年 一幅 絹本着色 129.7×71.0㎝ エツコ&ジョー・プライスコレクション
長沢蘆雪の作品「虎図」
長沢蘆雪(ながさわろせつ)は、江戸時代中期に京都で活躍した絵師です。京都画壇の最高峰に立った円山応挙(まるやまおうきょ)に師事し、多くの障壁画を手がけました。これは、芦雪としては比較的早い時期の、天明年間(1781〜1789)前半ごろに描かれたとされる着色の虎。応挙の弟子になり本格的な絵師として認められつつあった時期の抑制の利いた描写が特徴です。
長沢蘆雪「虎図」江戸時代・18世紀 一幅 紙本着色 111.5×43.5㎝ 個人蔵
長沢蘆雪の作品「虎図襖」
南紀・串本の無量寺(むりょうじ)にある水墨の襖絵「虎図」。実は、この絵に蘆雪はひとつの謎掛けをしているのです。襖に描かれた虎をよく見ると、尻尾は異様に長く顔もどこか猫っぽい。実はこの襖絵の裏面には、水中の魚に飛びかかろうとしている猫の姿が描かれているのですが、その猫が表の虎の真の姿という見立て。つまり表の虎は魚の目線で見た大きな猫ですよ、というオチ。
長沢蘆雪「虎図襖」(部分)重要文化財 江戸時代・天明6(1786)年 襖6面 紙本墨画 右2面 各180×87cm、左4面 各183.5×115.5cm 無量寺
虎を見たことがないことを逆手にとった蘆雪のユーモアなのでしょう。賛(さん)に大真面目に言い訳を記した若冲とは、まったくもって対照的。見たことのない虎を描いてはいても、対応の仕方がまったく違う興味深い逸話です。
襖から飛び出しそうな躍動感あふれるこの作品は、ぜひとも間近で見たいもの。実物は収蔵庫で鑑賞が可能です(作品保護のため、天気の悪い日は公開していません)。また、無量寺の方丈各間には、デジタル高精細による再製画が展示されています。
◆無量寺 串本応挙蘆雪館
住所 和歌山県東牟婁郡串本町串本833
公式サイト
想像で描かれた虎と、写生で描かれたライオン
虎とライオン。強さの比較はさておき、日本美術で最も多く描かれた猛獣は虎。中国に生息する動物で最も勇猛な虎は古くから画題や意匠に用いられ、日本では髙松塚古墳の壁画の白虎をはじめ武運や権力を示す絵が武将や大名に好まれてきました。
数多くの絵師が虎を描いてきましたが、江戸時代では日本に生息していない虎を生で見ることはできず、見世物小屋で公開された記録はあるものの、実物を写生した絵師は皆無。ほとんどは中国の絵画や毛皮、猫を参考にして描いたのです。そんな中でも迫力に満ちた虎を描き切ったのが、巨匠・円山応挙の写生を受け継いだ長沢蘆雪。「虎図襖」はまさに圧巻です。
長沢蘆雪「虎図襖」(部分)重要文化財 江戸時代・天明6(1786)年 襖6面 紙本墨画 右2面 各180×87cm、左4面 各183.5×115.5cm 無量寺
それに対してライオンは、唐獅子という霊獣として描かれたものはあるものの、中国でさえだれも見たことがない猛獣。近代になって竹内栖鳳が丹念な写生を繰り返して描き上げた「大獅子図」が、リアルなライオンを描いた究極の絵とされます。
竹内栖鳳「大獅子図」明治35(1902)年ごろ 四曲一隻 絹本着色 203.0×261.7㎝ 藤田美術館