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2021.03.08

DEEP COOLにZERO HOURS…あなたは何色を選ぶ?500色の中から北斎カラー20色選んでみた

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「北斎ブルー」と称されるように、葛飾北斎といえば真っ先に思い浮かぶ色は青! 北斎が描いた風景画には「ベロ藍」と呼ばれる人工顔料が多く使われています。世界で最も有名な波の作品とされる『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』もまたそのうちの一つです。

『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)』メトロポリタン美術館蔵

今回フェリシモミュージアム部とタッグを組み、20色の「HOKUSAI色えんぴつ」を商品化することになった和樂web。北斎が描いた作品の世界観を20色で表現するとしたら……?

商品化のきっかけについてはこちらの記事をご覧ください▼
クイズ!「白雨」ってどんな雨のことか知ってる?葛飾北斎の傑作『冨嶽三十六景』三大名作の謎に迫る!

北斎カラーは青だけじゃない!?

富士山をさまざまな地域から望んだ風景画の連作『冨嶽三十六景』。72歳でこれらを発表した北斎は、その自由自在な色使いや構図によって19世紀のジャポニスムをきっかけに海外へ知れ渡り、人々を魅了しました。今回はそんな誰もが知る風景画シリーズを参考に北斎カラーを選ぶことに。『神奈川沖浪裏』『凱風快晴』『山下白雨』の三大傑作からダイナミックで象徴的な色を抽出してみました!

『冨嶽三十六景 山下白雨(さんかはくう)』メトロポリタン美術館蔵

ジャン! 選んでみた20色がこちら!

フェリシモ「500色の色えんぴつ TOKYO SEEDS」の中から20色選びました

いざ選んでみると、作品の大胆な配色の中に繊細な色使いが見えてきました。例えば『凱風快晴』の山肌のグラデーション。山頂に近づくにつれて、赤茶色のような黒のような微かな色の違いがみられます。

『冨嶽三十六景 凱風快晴(がいふうかいせい)』メトロポリタン美術館蔵

500色ともなると、色を選ぶのはなかなかハードでした……。詳しい色選びや制作の裏話は後ほどアップしますね!

生まれたときから絵師の色? 各色に名前をつけてみた

そして色を選ぶだけでは終わりません。せっかく北斎カラーと称するのですから、色名を付けなければ! 

元々の「500色の色えんぴつ」の名前を見てみると……

・「SUAVE ENTRANCE」ちょっとドキドキ、初めてのレストランの前で深呼吸色
・「DEEP COOL」鋭くて痛い 深淵の冷たさ色
・「RUSTIC STEPS」小鳥が宿ってひとやすみ。森小屋の素朴な階段色
・「ZERO HOURS」魔法の一夜が終わりを告げる鐘の音色

なかなかポエティック!! そこで和樂webも負けじと色鉛筆1本1本に北斎にちなんだ日本語名を付けてみました。ここでは5つピックアップしてご紹介したいと思います。

「DEEP COOL」どこまでも青い自由な青

まずはやっぱり青からご紹介! 18世紀のヨーロッパで開発された化学染料プルシアンブルー、通称「ベロ藍」。これによって多くの名画を生み出した北斎は天才絵師としての地位を不動のものとしました。それまでの浮世絵の青色はツユクサや藍などの植物や鉱物の顔料が主流でしたが、ベロ藍の登場によって浮世絵界の青の表現に革命が起こったのです。『冨嶽三十六景』では「ぼかし摺(ずり)」という技法が巧みに用いられています。

「PALACE SHEETS」御殿に住む必要があるのかい?

「93」

この数字なんだと思いますか? 正解は北斎が生涯に引っ越した回数! 北斎の創作意欲は凄まじく、部屋の掃除をするくらいであればその時間で絵を描きたかったというほど。彼は死の間際まで筆を取り続けました。「500色の色えんぴつ」では「顔をうずめて眠りに落ちたい、やわらかなベッドシーツ色」ですが、今回は北斎の反骨精神を混ぜたような色名にしてみました。

「COLLECTED COOL」異世界への入り口色

北斎が『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』とともに海外に大きな影響を与えた作品が『北斎漫画』。2000人を超えるともいわれる弟子に向けて描いた絵手本です。そこには北斎の脳の中にあった森羅万象すべてが描かれています。目に見えない風の姿までをもとらえた描写は北斎ひとりだけが到達した極地。ヨーロッパに送られる陶磁器の緩衝材に利用された『北斎漫画』の断片は、西洋の芸術家たちにとってまるで異世界のような衝撃を与えたことでしょう。

「FOREST DREAMS」わが師は自然、そして宇宙

北斎が絵師としてスタートしたのは19歳ごろ。勝川春章(かつかわしゅんしょう)に弟子入りし、20歳で勝川春朗(しゅんろう)の名前で絵師としてデビューします。しかし好奇心旺盛な北斎は内緒で狩野派、土佐派、西洋画法などを学んでいたことで破門になります。その後、俵屋宗理(たわらやそうり)から琳派の技法を学び俵屋宗理を襲名。当時流行っていた狂歌の世界と出合い、狂歌絵本や優れた摺物を発表し勝川派とはまったく異なる独自の様式をつくっていきます。宗理の名を門人に譲った後は、葛飾北斎と号し、どの画派にも属することなく、宇宙や自然を自分の師と仰ぎ独立した絵師として歩みました。

「ZERO HOURS」生まれたときから絵師の色

19歳から90歳に至るまで画業70年にわたって、超人的な創作を続けた北斎。作品数はなんと3万点にも及びます。次々と画号を変え、作風も時代に合わせてアップデート。そして90歳の最期に北斎が放った言葉が「あと5年で真の絵師になれたのに」。アメリカのライフ誌では「この1000年で最も偉大な功績を残した100人」に唯一の日本人として選ばれています。北斎はまさに絵師として生まれるべくして生まれた1000年に1人の逸材だったのでしょう。

3月16日発売! 「HOKUSAI色えんぴつ」

「HOKUSAI色えんぴつ」は3月16日発売です。次回、気になる商品詳細をご紹介。どうぞお楽しみに!

▼葛飾北斎について詳しく知るなら、こちらの記事がおすすめです
葛飾北斎とは?浮世絵「富嶽三十六景」など有名作品と人物像を徹底解説!

書いた人

1995年、埼玉県出身。地元の特産品がトマトだからと無理矢理「とま子」と名付けられたが、まあまあ気に入っている。雑誌『和樂』編集部でアルバイトしていたところある日編集長に収穫される。趣味は筋トレ、スポーツ観戦。