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大人だけが知っている!「静寂の京都」

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2021.05.12

年表で知る葛飾北斎のハイライト★YEAR OF HOKUSAI★欧米へ与えた影響や謎のプライベートも

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葛飾北斎の偉業のハイライトを、年表形式で公開! えっ、2014年にもパリを熱狂させたって? すごすぎる!! 世界のHOKUSAI!

映画『HOKUSAI』公式サイトはこちら
葛飾北斎の情報を集めたポータルサイト「HOKUSAI PORTAL」はこちら

1839 80歳を超えてなお向上心を失わず、集大成に挑んだ

北斎の画業を見直してみると、勝川春章(かつかわしゅんしょう)の門下となった翌年、数え20歳で浮世絵師になってから約10年ごとにメインとなる仕事が変わっていることに気がつきます。20代は黄表紙(きびょうし)、30代は狂歌絵本(きょうかえほん)、40代は読本(よみほん)と摺物(すりもの)、50代から60代にかけては絵手本(えでほん)。70代で錦絵に転じて風景画や花鳥画を手がけ、80代から肉筆浮世絵に取り組んでいるのです。

長大判木版画『雪松に鶴』1829–1839 シカゴ美術館蔵

浮世絵師として名声を勝ち得たのが50代過ぎのことで、名作『冨嶽三十六景』を生み出したのは70代。そして、80代にして肉筆に取り組み、亡くなるその日まで肉筆画を極めんと願い続けたというのですから、舌を巻くしかありません。実際のところ、版画は版元や彫師、摺師との協同作業で、みずから描きたい本当の線や色を完成させるには様々な苦労があったことから、ひとりで仕上げる肉筆画に専心したという説も。

伝葛飾北斎筆『神宮皇后図』1847 メトロポリタン美術館蔵

ですが、80歳ともなると肉体的な衰えからは、いかな天才・北斎でも逃れようがありません。一見すると潔くまっすぐな線も、最晩年の『富士越龍図』を見ると、短い線を何度も重ねて描いた跡が見て取れるのです。しかし、絵画的な表現力は老齢をものともせず、たとえ手が震えようと向上していく一方でした。

北斎は90歳で死ぬ間際に「あと10年、いや、せめて5年生かせてくれ。そうすれば、まことの絵描きになってみせる」と言ったことが伝わっています。それはオーバーでもなんでもなく、北斎自身がそう確信していたからこそ発した本音だったのです。

1840 宿命のふたり、ダ・ヴィンチと北斎

葛飾北斎、鳥の目を持つ男。
「絵に描けぬものはない」と豪語し、森羅万象、この地球上のあらゆるものを描き尽くした天才は、天保11(1840)年、81歳にしてついに超人にしか成し得ない世界を構築しました。

最晩年に至ってこの孤高の天才絵師は訪れたこともない異国の、それも広大にして無辺な中国全土を「鳥の目線」で描ききりました。それが『唐土名所之絵』なのです。19世紀の江戸にあって情報と知識を駆使し、想像力と卓越した技によって時空を超えた世界を描くことができたとてつもない超人が北斎でした。
※画像は鳥瞰図『東海道名所一覧』

北斎の鳥瞰図『東海道名所一覧』シカゴ美術館蔵

それから300年と少し前、北斎と同じ天才的な感性と先鋭的な科学の目をもって尋常ならざる自然を描き出した男がいました。それが、「万能の天才」として名高いレオナルド・ダ・ヴィンチです。

解剖を通して人体の仕組みを熟知し、土木、機械、軍事技術の分野においても時代に先駆けた研究と発明を成し得た男。

それぞれの分野で超一流の業績を残したダ・ヴィンチは「絵画が最高の芸術」と語っています。彼もまた卓越した技と表現力によって北斎同様に自然のすべてを描き出し、ほかの画家の追随を許しませんでした。300年の時を超えて響き合う、宿命のライバルと呼ぶべきふたりの天才が確かにこの世にはいたのです。

1842 転居をくり返し遠路を往来した、まさに“風の男”

平均寿命が40歳前後とされる江戸時代に、数え90歳の最晩年まで筆をもち続けた北斎。しかも、93回も引っ越しを繰り返し、各地を旅し、天保13(1842)年に80歳を過ぎてなお信州・小布施を往復するなど、北斎の驚異的ともいえる強靭な生命力と、精神的な活動は現代人から見ても尋常ではありません。ひとところにとどまることなく、全速力で駆け抜けた。そんな風のような姿が思い浮かびます。

北斎は家財道具を一切持たず、食事は店屋物ばかり。弟子の数は全国に1000人とも2000人ともいわれ、各地にネットワークを張り巡らせていて、気が向くと弟子たちに旅の準備を整えさせ、思うままに行動していたのだとか。貧乏暮らしが定説になっていますが、あれほどの売れっ子絵師の収入が少ないはずがありません。北斎はお金に対する執着より、絵に対する熱意のほうが上回っていて、絵のためならどんな出費をも惜しまなかったのが実情でした。

ムダな時間を削るためなら、食事は店屋物で十分。その分、絵の具は贅沢に使い、旅する際は舟や馬、駕籠、牛など、少しでも早い方法があるなら額など気にせず、絵を描く時間に充てるという徹底ぶり。

絵のためなら金より時間。そう考えながら、常人の5倍も10倍もの速度で90年の生涯を駆け抜けていった北斎の姿は、まさに“風の男”。

その原動力は、最上の絵を求め続けた天才ゆえの執念にほかなりませんでした。

1867 パリ万博で紹介され、欧米人を震撼させた!

19世紀半ばから、ヨーロッパの芸術家や知識人の間では、神秘と目されてきた東洋の島国・日本からもたらされたアーティストHOKUSAIの名が、衝撃とともに広がっていました。

その元となったのは、幕末の日本から密かにもたらされていた、葛飾北斎作の絵手本『北斎漫画』。未知の絵師HOKUSAIが描いた森羅万象の緻密でユニークなデッサンやデザインは、ヨーロッパのアーティストにとって、いまだかつて見たことのないものばかり。新たな方向を模索していた芸術家たちに与えた影響は計り知れないものがありました。

『北斎漫画』メトロポリタン美術館蔵

HOKUSAIの名は、1867年に開催されたパリ万国博覧会に出品された浮世絵(錦絵)によって、広く一般に知られるものとなります。西洋の油絵にはない鮮やかで明るい色彩の浮世絵は、当時の欧米人にとって斬新かつユニークな最新アートとして映り、フランスをはじめとしたヨーロッパの芸術界を震撼させたのです。その結果、HOKUSAIの名は、浮世絵や浮世絵師の総省として用いられるまでになっていったのです。

それに最も大きな影響を受けたのは、西洋絵画の近代化に大きな役割を果たした印象派やその周辺の画家たち。マネやドガ、モネ、セザンヌからゴッホ、ゴーギャンまで、名だたる画家たちHOKUSAIやUKIYOEに心を奪われ、「ジャポニスム」ブームが沸騰。HOKUSAIなくして、欧米の近代美術の発展はなかったと言っても過言ではありません。

2014 『北斎漫画』初編出版から200年を記念した「北斎」展で、パリは再び熱狂!

『北斎漫画』の初編が出版されてから200年目となる2014年に、パリでは過去最大の規模となる「北斎」展が開催されました。会場は、1900年パリ万国博覧会のメイン会場として建てられたグラン・パレ・ナショナル・ギャラリー。約1000㎡の会場には、『冨嶽三十六景』シリーズでも世界中で最も有名な『神奈川沖浪裏』をはじめとした、肉筆や下絵、錦絵版画など700点を超える作品と資料。中には日本未公開の作品もありました。

『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』メトロポリタン美術館蔵

ジャポニスム、アール・ヌーヴォーの生みの親と言っても過言ではない北斎は、世界で最も有名な日本芸術家であり、フランスでも高い人気を誇る画家。ファン垂涎の展覧会開催期間中は、その名に恥じない人気ぶりで、連日行列ができたほど。来場者数も35万人を超えて、北斎人気がいまだに衰えていないことを証明するにとどまらず、新たなファンを多数獲得し、北斎の名声をさらに高めることになりました。

5月28日(金)劇場公開! 映画『HOKUSAI』

『HOKUSAI』5月28日(金)全国ロードショー(C)2020 HOKUSAI MOVIE

工芸、彫刻、音楽、建築、ファッション、デザインなどあらゆるジャンルで世界に影響を与え続ける葛飾北斎。しかし、若き日の北斎に関する資料はほとんど残されておらず、その人生は謎が多くあります。

映画『HOKUSAI』は、歴史的資料を徹底的に調べ、残された事実を繋ぎ合わせて生まれたオリジナル・ストーリー。北斎の若き日を柳楽優弥、老年期を田中泯がダブル主演で体現、超豪華キャストが集結しました。今までほとんど語られる事のなかった青年時代を含む、北斎の怒涛の人生を描き切ります。

画狂人生の挫折と栄光。幼き日から90歳で命燃え尽きるまで、絵を描き続けた彼を突き動かしていたものとは? 信念を貫き通したある絵師の人生が、170年の時を経て、いま初めて描かれます。

公開日: 2021年5月28日(金)
出 演: 柳楽優弥 田中泯 玉木宏 瀧本美織 津田寛治 青木崇高 辻本祐樹 浦上晟周 芋生悠 河原れん 城桧吏 永山瑛太 / 阿部寛
監 督 :橋本一 企画・脚本 : 河原れん
配 給 :S・D・P ©2020 HOKUSAI MOVIE

公式サイト: https://www.hokusai2020.com