日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。2017年は「国宝」という言葉が誕生してから120年。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。
各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。
今回は足利義政が築いた閑雅の美、「銀閣寺」と文殊菩薩に従う少年 安倍文殊院、「善財童子立像」です。
渋さナンバーワン 「銀閣寺」
京都・東山に建つ銀閣寺。正式には東山慈照寺といいます。銀閣寺の名は、室町幕府3代将軍・足利義満が建てた北山鹿苑寺の通称金閣寺と呼応して、江戸期から使われはじめました。
銀閣寺を建てたのは、文安6年(1449)に14歳で室町幕府8代将軍となった足利義政。この時期は、幕府の権力が衰退するとともに地方武士が台頭し、世情がたいへん不安定でした。自身の後継をめぐって始まった応仁文明の乱にも有効な対策が取れなかった義政は、現実から逃避するように、祖父・義満に倣って東山に山荘を造営します。着手したのは文明14年(1482)。晩年にさしかかっていた義政は、一木一草にまでこだわって山荘東山殿を築いたとされます。義政の死後、遺言によって臨済宗の禅寺に改められました。
義政が東山殿の手本にしたのは、現在、苔寺とも呼ばれる西芳寺(京都)でした。自身で何度も同寺を訪れて熱心に研究し、東山殿の庭園を西芳寺のように二段構えとしました。また、同寺の西来堂に倣い、文明18年に建てたのが、持仏堂(礼拝する仏像を納める堂)の東求堂。屋根を檜の皮で葺いた、1階建ての瀟洒な書院建築です。
いっぽう銀閣(観音殿)は2階建てで、1階は住居風の造り、2階が観音菩薩坐像を安置する仏堂という複合的な楼閣建築です。東山殿の建物のなかで銀閣はもっとも遅く建立され、建設開始の翌年、延徳2年(1490)に義政は病死、その完成を見ることはできませんでした。
銀閣寺のある東山にちなんで、義政の時期の文化を東山文化といいます。その特色は、禅宗の影響が広く見られること。飾りを排した枯れた味わいや、古びた趣を重んじました。これはのちに「わび」「さび」という言葉で表されるようになる日本独特の美意識の源流となります。もうひとつは幅広い階層の人々が文化的、経済的な基盤となっていったこと。義政は、身分にこだわらず、特定の技芸に優れた才能をもつ人々を周囲に集め、東山殿を営みました。彼らの活躍によって、作庭・建築・水墨画・書・茶の湯・立花・能など、今日まで続く文化が花開いたのです。
国宝プロフィール
銀閣寺(慈照寺)
東求堂/文明18年(1486) 一重 入母屋造 檜皮葺 正面3.5間 側面3.5間 銀閣/延徳元年(1489) 二重 宝形造 杮葺 正面4間 側面3間 銀閣寺 京都
室町幕府8代将軍足利義政が、文明14年(1482)に造営に着手した東山殿を、没後禅寺に改めたのが慈照寺(通称・銀閣寺)。東求堂と観音殿(銀閣)が国宝に指定されている。
仏像界屈指の可憐さ 安倍文殊院 「善財童子立像」
「善財童子立像」が安置されている安倍文殊院は、奈良県桜井市にあり、大化の改新(乙巳の変)の年(645年)に安倍氏の氏寺として創建されました。本尊の文殊菩薩は、「三人寄れば文殊の知恵」の格言で知られる、知恵を象徴する仏。善財童子を含む4人の脇侍を伴い、仏教を広める旅の途中で海を渡る「渡海文殊」の場面を表しており、中国宋代の仏画をもとに造立されたといわれます。他の脇侍は、優塡王、最勝老人(維摩居士)と仏陀波利三蔵(須菩提)で、江戸初期の補作である最勝老人を含め、5軀すべてが国宝です。
善財童子は、大乗仏教の代表的な経典「華厳経」の「入法界品」に登場する男の子。そこには、幼くして仏教に目覚めた善財が、悟りを得るためにさまざまな人(善知識)のもとを次々に訪ねて教えを請い、最後に菩薩の道を成就したという説話が書かれています。この話は、文学性の高さから多くの仏教絵巻にも描かれました。
中尊の文殊菩薩像は、像内に記された墨書銘などから、建仁3年(1203)に快慶によって造立されたことがわかっています。同年は、快慶が運慶らとともに東大寺南大門の金剛力士立像を造立した年でもあります。
善財童子立像と優塡王・仏陀波利三蔵の像は、作風や彩色に文殊菩薩像より時代が下った特徴が認められ、承久2年(1220)頃の製作とされます。これらの4軀は檜材の寄木造で、文殊菩薩が木から彫り出した彫眼であるのに対し、脇侍は水晶をはめ込んだ玉眼をもちます。
鎌倉時代の彫刻は、平安時代の貴族的で優美な造形から、メリハリのある力強い表現に変化していきました。それは天平彫刻への復古でもあり、快慶が手本にしたのも、おもに奈良時代の仏像でした。存在感、立体感のある彫刻を目指し、角材を組み合わせて複雑な形の仏像を彫り出す寄木造を用い、より写実的でリアルな表現を求めて玉眼の技法も取り入れました。
胸前で合掌して文殊菩薩を振り返る、あどけない顔が印象的な「善財童子立像」。快慶後期の傑作として、2013年、国宝に指定されたこともあり、注目が高まっています。
国宝プロフィール
善財童子立像
快慶作 承久2年(1220)頃 木造 彩色 截金 玉眼 像高134.7cm 安倍文殊院 奈良
安倍文殊院の本尊である文殊菩薩騎獅像の脇侍4軀のうちの1軀。鎌倉時代前期の仏師・快慶の作。中尊の文殊菩薩騎獅像が製作された建仁3年(1203)から承久2年(1220)までに製作されたと推定されている。檜材の寄木造で、目には玉眼がはめ込まれている。