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2022.02.23

極寒の抑留地シベリアを生き抜いた、香月泰男が描く希望の光

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極寒のもとでの強制労働で数万人の犠牲者を出したという第2次世界大戦直後のシベリア抑留。洋画家、香月泰男がその自らの体験をもとに描いた「シベリア・シリーズ」は、美術作品を通して、人々の脳裏に歴史を刻む役割を果たしてきました。東京の練馬区立美術館で開かれている「生誕110年 香月泰男展」を訪れたつあおとまいこの二人は、その重みのある表現を受け止めながら、画家が実は希望の光を見ていたことに気づかされたのです。

暗さの中でこそひときわ光るということなのかな……

えっ? つあおとまいこって誰だって? 美術記者歴◯△年のつあおこと小川敦生がぶっ飛び系アートラバーで美術家の応援に熱心なまいここと菊池麻衣子と美術作品を見ながら話しているうちに悦楽のゆるふわトークに目覚め、「浮世離れマスターズ」を結成。さて今日はどんなトークが展開するのでしょうか。

香月泰男=戦後日本美術史を代表する洋画家。1911(明治44)年、山口県大津郡三隅村(現・長門市三隅)に生まれる。第2次世界大戦後のシベリヤ抑留の体験をもとにした57点の油彩からなる《シベリヤ・シリーズ》が代表作。(引用元=香月泰男美術館のウェブサイト

赤い牛と黒い太陽

香月泰男『雨(牛)』 1947年 山口県立美術館蔵 「シベリア・シリーズ」 展示風景

つあお:この牛の絵、ちょっと変で面白くないですか?

まいこ:右端で牛の顔がちょこっとこっちを覗いている!

つあお:ちょっと控えめな感じが何だかお茶目だなあ。

まいこ:うんうん。左端で動物がお尻を向けているのもおもしろい。何の動物でしょう?

つあお:ふふふ。まいこさん、左のお尻は犬じゃないですかね。

まいこ:何と、犬好きの私としたことが! まだ修業が足りませんでした。

つあお:蒙古犬なのだそうです。真ん中が空いた構図もおもしろいですよね。それにしても、この絵は赤い。こんなに赤い牛や犬は、実際にはなかなかいないだろうなぁ。

まいこ:そうですねー。トースターの熱線の光を浴びてるみたいな赤さですね。周りの空気も濃いピンク色!

つあお:そうか、絵全体が赤いのも、おもしろく見える理由ですね。

まいこ:しかも雨が降ってる!

つあお:作品のタイトルは「雨」ですもんね。でも、よく気づきましたね。たわくし(=「私」を意味するつあお語)、実は、牛と犬と画面全体の赤さに目を奪われていていたので、言われて初めて「ああそうか」と思ったんですよ。

私もいま気づきました!

まいこ:以前、浮世絵を見ながらつあおさんと話していたときに、こんな感じの線で雨が描かれていたことがあったなあと思って。

つあお:おお、そんなこともありましたね! 確かに、歌川広重の『名所江戸百景 大はしあたけの夕立​​』なんかは、にわか雨の襲来が微妙に交差する線で描かれていて、すごい臨場感が出てる。雨を線で描くのは、世界的に見ても面白い表現方法だなと思います。

まいこ:香月さんの雨は同じ線でも少しざざっという感じだから、浮世絵とは違いますね。それでね、雨だけじゃなくてね、水たまりも描かれているんですよ!

つあお:おお、犬のお尻の下あたりですね。水たまりのほうは青くて写実的! 西洋絵画のリアリズムっぽい!

リアリズム=〈現実〉の現象を直感し、理想化を避けてそれを表出することに価値を置く表現のこと。​​(引用元=art scape/Artwords

まいこ:犬の足もくっきり写ってますもんね。

つあお:香月泰男は西洋の伝統技法をきっちり学んでいたことが、この小さな描写から見えてくる! それはそれでおもしろいなあ。

まいこ:でもこの場面は、何かを暗示してるんでしょうか? 謎です。

つあお:そもそも犬と牛が一緒にいるっていうのが不思議です。犬の足が妙に長いし。

まいこ:ちょっとシュールが入ってるのかな? それでね、この絵って、別の展示室にあった絵とつながりがあるそうなんですよ!

つあお:おお、あの雨の絵ですね。

香月泰男『雨』 1961年 山口県立美術館蔵 「シベリア・シリーズ」 展示風景

まいこ:なんでそんなにすぐにわかったんですか?

つあお:たわくし、実は雨の絵が好きなんですよ。こちらのほうは、黒雲の下でざあざあ降る雨がすごいインパクトで描かれているので、そこが記憶に残っていました。

まいこ:こんなに赤い絵と黒い絵が雨でつながっているとは! そして、黒いほうの絵は赤いほうの絵と比べて、心悲しく寒々しい!

つあお:同じ「シベリア・シリーズ」の絵なのに、いろいろな表現をしている!

「シベリア・シリーズ」が出品された展示室から

シベリア抑留=1945年の第2次世界大戦終結時にソビエト連邦に降伏,または逮捕された日本人に対する,ソ連によるシベリアでの強制労働。抑留者の数は,日本政府の調べでは約57万5000人とされ,うち約5万5000人が死亡,約47万3000人が帰国した。​​(引用元=「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典​​」

まいこ:まったく違いますね!

つあお:黒いほうは、雲や雨だけじゃなくて太陽まで黒い。シベリアで降っていた雨もほんとに冷たくて、香月さんもつらかったのかもしれないけど、常人には発想ができない色遣いとタッチだなあと思います。

あまりにも辛い時って、世界が真っ黒に見えたりしますよね……

まいこ:すごい表現ですね。香月さんは、寒さに強かったのかな?

つあお:むしろ、心が強かったんだと思いますよ。

まいこ:確かに、太陽も黒いけど、雨雲の上からじりじりと照らそうというパワーを感じます。それが香月さんの心の強さの表れだったりするのでしょうか。

つあお:きっとそうです!

蟻になる!

香月泰男『青の太陽』 1969年 山口県立美術館蔵 「シベリア・シリーズ」 展示風景

つあお:この絵は、「シベリア・シリーズ」としてはかなり特殊なんじゃないでしょうか。空がぽっかり見える。

まいこ:「シベリア・シリーズ」をひとしきり見てからこの作品がぱっと目に入ったときには、目の前に明るい世界が開けました!

つあお:青空の中でキラキラしてるのは星でしょうか?

まいこ:黒い夜空ではなく、澄み切った青空で星が瞬いてるんですね!

つあお:周りの黒い部分は何なのだろう?

まいこ:狭い穴の中から空を見上げている感じがします。

つあお:なるほど。穴の中にいるんだけど、上を見上げたら夜空の美しさが目に入ってきた感じなのかな。

まいこ:「シベリア・シリーズ」では出口の見えないトンネルの中にいるような色合いの絵が続いたこともあって、この美しい空は突き抜けて見えました。

つあお:「シベリア・シリーズ」はやはり全体的に暗いイメージがありました。でも、この絵には明るさがほとばしり出ている。

まいこ:作品の解説板にあった香月さん自身の言葉を読んだんですけど、この絵はどうも蟻(あり)の視点で描かれているようですよ!

つあお:なるほど。蟻になるのって楽しいのかな? でも、穴の中からこうやって見上げると、明るい希望の世界が見えてくる!

まいこ:ですよね! そんな視点を持てる香月さんってすごい。「シベリア・シリーズ」を見てると、亡霊みたいな顔がたくさんある。極寒の中で友達が周りでバタバタ死んだりしたからなのでしょう。人間としての自分のままだと、つらすぎてやっていけない。だから蟻になったのかも。

つあお:氷点下35度以下になったら屋外作業はしなくていいといったようなことが、シベリア抑留の中ではあったそうだから、氷点下35度までは働かされていたわけですよね。とにかくハードな生活が続いていたことは間違いない。

まいこ:身も心も凍ってしまいそうな話ですね。

つあお:でも、蟻になればシベリアでもたぶんもう少し普通に生きていけるし、何よりも空はもともと美しい! この絵を見ていたら、どんなに暗い世界にあっても、はい上がることが不可能ではない、という気がしてきましたよ!

まいこ:香月さんの発想の転換は素敵ですよね! 楽しい気持ちにすらなってしまいます。ちょっとした悩みがあっても、香月さんの絵を見に来たら「まったく大したことない」と思えちゃう。

つあお:素晴らしい。蟻になったらたぶん、多少深い穴でも平気でよじ登れるし。

まいこ:そう、そして地上に出たら渡り鳥になって、日本の家族に会いに行けばいいんです!

まさに想像の翼ですね!


つあお:さすが、まいこさんの発想もポジティブで素晴らしい! たわくしも、ポジティブに生きたいと思います!

まいこセレクト

香月泰男『星〈有刺鉄線〉夏』 1966年 山口県立美術館蔵 「シベリア・シリーズ」 展示風景

真っ黒な画面に、金色の星がたくさん瞬いている! と思って近づいて見ました。いわゆる星形ではなく、にじんだような大小の金色を見ていると、本当の夜空にピカピカ瞬いてるように見えてキレイ。そしてふと目を下に向けると、うっすらといろいろ描かれていることに気がつきました。テントと人影のような形も見えるし、なんといっても、上空の星たちとはうってかわって、規則正しく並んだ冷たい輝きのイガイガがいくつもあります。なんとこちらは有刺鉄線!

有刺鉄線が描かれていることに気づき、ちょっとゾクっとしてしまいました…!


強制的に抑留されている身としては、にっくき存在のはずなのに、なぜか夜空の星たちと共鳴している。叙情的にすら見えます。香月さん、もしかしたらこの有刺鉄線までキレイだと思ってしまったのでは?! やっぱりつわものです!!

つあおセレクト

香月泰男『業火』 1970年 山口県立美術館蔵 「シベリア・シリーズ」 展示風景

『業火』というタイトルは、「シベリア・シリーズ」の中でも特別な重みを持つように感じられる。炎の赤に画家が込めた思いは、限りなく深かったのではないだろうか。この作品に関する香月の自筆の解説文(会場に掲示されたほか、本展図録にも収録)には、「ある日、天に届くばかりの火炎をあげて、兵舎が燃えているのを見た。(中略)あたかも悪業の終末を告げる業火の如く見えた」と記されている。人間の悪業が焼き払われていることを表したのだろうか。とても美しい。

つあおのラクガキ

浮世離れマスターズは、Gyoemon(つあおの雅号)が作品からインスピレーションを得たラクガキを載せることで、さらなる浮世離れを図っております。

Gyoemon『シベリアンな生き物たち』

過酷な環境ながらも、極寒のシベリアにはさまざまな生き物がいます。香月さんはきっと、どこかに光を見ながら、生への希望をつないでいたに違いないのです。たわくしたちもまた、どんなときにも希望を捨てずに強く生きていきたい。香月さんの絵を見ると、そんな思いが湧いてきます。

展覧会基本情報

展覧会名:生誕110年 香月泰男展
会場名:練馬区立美術館(東京・中村橋)
会期:2022年2月6日~3月27日(展示替えあり)
公式ウェブサイト:https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=202110291635493767

参考文献

『生誕110年 香月泰男展』図録

香月泰男 凍土の断層

書いた人

つあお(小川敦生)は新聞・雑誌の美術記者出身の多摩美大教員。ラクガキストを名乗り脱力系に邁進中。まいこ(菊池麻衣子)はアーティストを応援するパトロンプロジェクト主宰者兼ライター。イギリス留学で修行。和顔ながら中身はラテン。酒ラブ。二人のゆるふわトークで浮世離れの世界に読者をいざなおうと目論む。

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平成元年生まれ。コピーライターとして10年勤めるも、ひょんなことからイスラエル在住に。好物の茗荷と長ネギが食べられずに悶絶する日々を送っています。好きなものは妖怪と盆踊りと飲酒。