「日本一の美人」と名高い京都・浄瑠璃寺の秘仏《吉祥天立像》(きちじょうてんりゅうぞう)を納めていた厨子(ずし)の中には、どんな世界が広がっているのでしょう? パンドラの箱のように、箱があれば中を見てみたくなります。内側四方に描かれた重要文化財の全7面の壁画(展示替えあり)とそれをはめていた厨子(模造)、吉祥天立像(模刻)を合わせて立体的に展示されている東京藝術大学大学美術館の「藝大コレクション展2022 春の名品探訪 天平の誘惑」に足を運んで、厨子の中の世界を体感してみました。
「日本一の美人」を納めた厨子の中には
まず、《吉祥天立像》についてご紹介しましょう。この像は、審美眼を持つ著名人たちを魅了してきました。「仏像のうちでは、恐らく日本一の美人」と多くの仏像を撮影した写真家・土門拳はたたえました。美術愛好家としても知られた文豪・川端康成も「吉祥天女ほどその美しさの分りやすい佛(ほとけ)はなく、京人形を思う人さえあるかもしれぬ」「動かぬふくよかさに、温い豊かさがある」と絶賛しています。
《吉祥天立像》の実物は浄瑠璃寺の本堂に祀られていますが、今回出展されている関野聖雲による模刻も精巧に作られているので、その優美な姿を堪能することができます。仏像というよりも生々しさを感じるのは、インド神話の美と幸運の女神ラクシュミーを起源としているからでしょうか。
吉祥天は、海の泡から蓮の花を持って生まれたとされています。この像でも、水の流れを示す「截金(きりかね)」模様の台に、蓮の葉の形をした荷葉(かしょう)座、さらにその上に色の濃淡が美しい繧繝彩色(うんげんさいしき)の蓮華座があり、その上に天女が沓(くつ)を履いて、すっくと立っています。鳳凰を戴いた花の宝冠をかぶり、左手に願いをかなえる宝珠を持ち、右手は願いを聞き届ける「与願印」の形をとっています。ふくよかな身体をつつむ重ね着の衣は、今風の袖コンシャスにも似ていて、華麗で軽やかですね。
私が何よりも目を奪われたのは、切れ長の目と眉と、赤い口紅が鮮やかな小さな口でした。特に眉のラインは眉山がなく、半円形に大きくカーブしていました。「何だろう、この揺るぎない自信と安心感は…」。眺めているうちに、不思議と心がどっしりと落ち着いてくる気がしました。一方、後ろ姿は肩が小さくてなで肩気味で、かわいらしい感じでした。
この像を納めた厨子の内側は、どのような構成になっていたのでしょうか? 同美術館の学芸研究員、樋口美咲さんに見どころを教えていただきました。
《浄瑠璃寺吉祥天厨子絵》は全部で7面あり、上記の図のように元々、厨子正面と左右の3面に2枚ずつ扉がつき、背面の壁板1枚で構成されていました。すべての厨子絵が重要文化財に指定されており、東京藝術大学の所蔵となっています。
では、背面板の「弁財天及び四眷属像」を通じて、厨子絵の明るい彩色と美しい描線を味わっていきましょう。この1枚は、弁財天を中心に、4眷属がバランスよく配置されていて、樋口さん推しの傑作です。ちなみに、画面下部の右側で大鉢を持つのが、地の女神・堅牢地神(けんろうじしん)、下部左側で幼児をあやしながらザクロを手にするのが、安産の女神・訶梨帝母(かりていも)で、別名・鬼子母神。上部右が正了知大将(しょうりょうちたいしょう)、左が宝賢大将(ほうけんたいしょう)いう2人の男神が描かれています。
弁財天は七福神の1人としておなじみですが、元は音楽や弁舌、財福や知恵などをつかさどるインドの河の女神サラスバティーでした。やはり、吉祥天と同様、「水」とつながりがあります。「眼力が強いことに注目してください」と樋口さん。確かに丸い優美な顔に浮かぶのは、女神にしては険しい表情。8本の腕(八臂、はっぴ)に、それぞれに弓・箭(矢)・刀・矟(ほこ)・斧・長杵・鉄輪・羂索(けんさく、わなのこと)の武器を持ち、勇ましい姿をしています。 「頭の後ろの光輪は、白を含んだエメラルドグリーンがとても美しいです。衣服に見える繧繝彩色もあわせて、直に見ていただきたいです」と樋口さんは強調します。
大胆さと繊細さの極致をいく描線の違いを見比べてみるのも面白いそう。「とにかく線の1本1本が息をしているように美しいです。ぶれがなく、手練れの絵師たちが描いたと思います。岩を描くときは、描き始めを強調する、キュッと力の入った筆の入りから、力が抜けてスーッと伸びていく様子がとても品が良いですね。一方で、仏さまを描くときは、衣などを見ると、線の1本1本に神経が行き届いています。仏さまに向ける熱いまなざしを感じます」。樋口さんの熱弁を聞きながら、じっくり見ていると、線に懸けた絵師たちの気迫が伝わってくるような気がしました。
残る6枚を一気にご紹介します。正面の扉の内側は、ともに仏法を守る帝釈天と梵天が対になっています。帝釈天は映画『男はつらいよ』の舞台、柴又帝釈天が有名です。元はインド神話の雷神インドラ神で、世界の中心にそびえるとされる須弥山(しゅみせん)の頂上に住んでいるとされます。
梵天は、宇宙を創造したインド神話の最高神ブラフマーが仏教に取り入れられたもの。須弥山よりもはるか高い所に住まうとされています。
左右の扉は、四方を守るように、東の持国天、南の増長天、西の広目天、北の多聞天の四天王が描かれています。
「四天王に踏みつけられている邪鬼たちも、とてもかわいいのでぜひ見てみてください」と樋口さん。確かに身を丸めてじっとしていて、けなげな感じがしませんか?
天平と鎌倉のハイブリッド
厨子絵が立体的に展示された会場を歩いてみると、祈りの小宇宙が広がっていました。そう感じたのももっともなことで、《吉祥天立像》は、「吉祥悔過会(きちじょうけかえ)」という法会の本尊としてつくられました。この法会は、『金光明最勝王経』というお経に基づき、年の初めに前の年の罪や過ちを懺悔しつつ、新しい年の幸せや除災招福を祈願するものです。浄瑠璃寺では今でも、正月と春秋の3回だけ《吉祥天立像》を開帳しています。
樋口さんも「吉祥天曼荼羅とも言える世界が、厨子には込められています。美しくも厳かな像と、それを取り囲む厨子絵の仏さまたちに、当時の人々が新しい年に寄せた祈りを、多くの人たちに感じてもらえたら」と話しています。
吉祥悔過は天平文化が花開いた奈良時代に盛んに行われ、その本尊として吉祥天像がつくられました。東大寺法華堂の塑像や薬師寺の画像がよく知られています。有名です。古くは、浄瑠璃寺《吉祥天立像》はそれらと比較され、とくに薬師寺の画像と服制が似ていることから奈良時代の制作と考えられていました。しかし、その後、浄瑠璃寺の歴史を記す『浄瑠璃寺流記(るき)(重要文化財)』の建暦二年(1212年)の「吉祥天奉渡本堂」という記述を、本像の制作年代とみなすようになり、現在に至ります。厨子絵もまた《吉祥天立像》と同時期の鎌倉時代の作というのが定説になっています。
《吉祥天立像》については、東京藝術大学の前身、東京美術学校時代から岡倉天心らが推進してきた模写模造事業からのアプローチでも、研究が進められてきました。先述した《吉祥天立像》の模刻に挑んだ関野は、顔面の肉付きや全体の強さから一見すると奈良時代の作品に見えるが、模刻にあたって詳細に造像技法を観察・研究することで藤原時代に天平風を模して作られたとの見方を示していました。「模刻を通じて原品に迫ったのだと思います」と樋口さんは話しています。
厨子絵についても、「天平と鎌倉のスタイルのハイブリッドになっています」と樋口さん。弁財天の頭部の宝冠や衣服、梵天や帝釈天の香炉や鏡などの持ち物は、鎌倉時代と同時代の中国・宋のスタイルが取り入れられていますが、吉祥天信仰に基づいた構成や、背景の樹木などは、奈良時代の特徴を引き継ぎ、反映しているそうです。
厨子絵ににじむ、安寧を希求する思い。そこには、動乱の世が背景にあったのではないでしょうか。建暦二年は、源平合戦や京の大火、大飢饉など激動の時代を生き、無常観を表した鴨長明の随筆『方丈記』が成立した年です。2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公、北条義時が2代目執権として辣腕を振るっていた時期に当たります。30年ほど前の1180(治承4)年には、平家一門による「南都焼き討ち」があり、東大寺や興福寺の建築物や仏像の多くが焼失しました。
浄瑠璃寺は京都府加茂町にあるといっても京都南端にあり、奈良駅からアクセスする方が便利です。明治に入るまで、奈良・興福寺の末寺でした。天平文化の面影をとどめる吉祥天厨子が制作されたのも、奈良時代の姿を取り戻そうとする「南都復興」が影響しているのかもしれません。
明治の廃仏毀釈と文化財模造事業
《吉祥天立像》は浄瑠璃寺にあるのに、《浄瑠璃寺吉祥天厨子絵》はなぜ、東京藝術大学の所蔵になっているのでしょうか。日本の伝統美術は、明治新政府が成立して、社会体制の変革や急速な西欧化の波にもまれる中、過酷な状況に直面しました。大打撃を与えたのは、1868(明治元)年に出された神仏分離令です。神道国教化政策に基づいた仏教排斥運動「廃仏毀釈(きしゃく)」が起きて、寺院や仏像、仏具、経巻が焼却されたり、破壊されたりしました。この影響下、浄瑠璃寺は真言律宗に改宗しました。
この危機的状況を打開しようとしたのが、岡倉天心たちでした。東京美術学校の校長と帝国博物館の美術部長を兼ねていた彼は、文化財保護の一環で、伝統的な絵画や仏像、工芸品などの文化財の模写模造制作事業を、学校を挙げて推進しました。
浄瑠璃寺の地元の『加茂町史』によると、《浄瑠璃寺吉祥天厨子絵》が流出したのは、1883(明治16)~84(同17)年ごろとされています。1889(同22)年に、東京美術学校が買い取り、所蔵されるようになりました。
今回の藝コレでは、漆芸家・吉田立斎による《浄瑠璃寺吉祥天厨子》の模造も出展されています。これは、扉絵と壁板を外した状態のもの。新たに墨書が確認され、1914(大正3)年に制作されたことが分かりました。よく見ると、表面の木目は彩色で描かれています。
天平美術の複合花紋を再現した見事な厨子天井の絵も必見です。
いかがだったでしょうか。《浄瑠璃寺吉祥天厨子絵》全7面が公開される展示は18年ぶり。このほかにも、「天平の誘惑」をテーマに、天平美術のコレクションとそれにまつわる名品や貴重な資料が特集されています。
参考文献
『古寺巡礼 京都 2 浄瑠璃寺』佐伯快勝・著 淡交社 2006年
『図解日本画の伝統と継承』東京芸術大学大学院文化財保存学日本画研究室・編 東京美術 2002年
『「伝統工芸」と倣作:草創期の日本伝統工芸展の模索』木田拓也著 東京国立近代美術館研究紀要 (15), 23-46, 2011東京国立近代美術館https://www8.cao.go.jp/koubuniinkai/iinkaisai/2019/20191224/shiryou3.pdf
展覧会情報
「藝大コレクション展 2022 春の名品探訪 天平の誘惑」
会期:2022年4月2日(土)~5月8日(日)
【全7面の展示日程は以下のとおりです】
<通期>弁財天及び四眷属像・帝釈天・梵天
<4/2-4/24> 多聞天・広目天
<4/26-5/8>持国天・増長天
場所:東京藝術大学大学美術館(東京都台東区上野公園12-8)
開館時間:10:00〜17:00(最終入館時間 16:30)
※本展は事前予約制ではありませんが、今後の状況により変更及び入場制限を実施する可能性があります。
休館日: 月曜日(5月2日は開館)
入館料 一般 440円、大学生:110円
公式サイト