1972年5月15日。いまからちょうど50年前のこの日、第二次世界大戦後、27年にわたってアメリカの施政権下にあった沖縄が日本へと復帰しました。節目の年となる2022年、東京国立博物館では6月26日まで沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」が開催中です。
沖縄県は、かつて琉球王国と呼ばれました。450年もの長きにわたり続いた王国の繁栄を伝える王家の宝物や歴史資料、工芸作品など289点を集め、これまでにない規模で伝える展覧会。その魅力をじっくりご紹介します。
珍しい宝に満ち満ちた、蓬莱の島「琉球」
特別展は「第1章 万国津梁 アジアの架け橋」で幕を開けます。この章のカナメが、第一会場中央奥に置かれた重要文化財『銅鐘 旧首里城正殿鐘(万国津梁の鐘)』。通称の「万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)」の名で広く沖縄県民に知られ、大切にされてきた鐘は県のシンボル的存在です。
鐘には次のような意味の銘文が刻まれています。
琉球は、南の海の恵まれた場所にあり、朝鮮からは優れたところを取り入れ、中国や日本ともとても親しくつきあっている。日本と中国のあいだにある「蓬莱の島」のような琉球は、船によって世界の国々をつなぐ架け橋(=万国津梁)であり、国は各国の珍しい宝で満ちあふれている。
1429年から1879年まで続いた琉球王国は、現在の沖縄本島を中心に、北は奄美諸島から南は八重山諸島までがその最盛期に治めた地域です。「日本と中国のあいだにある蓬莱の島」とあるとおり、海上交通の要所という地理的強みを生かして日本や中国のほか、朝鮮、東南アジアなどの国々と交わって、独自の文化を築きあげました。
王国に珍しい宝をもたらした交易のようすは、『琉球進貢船図屛風(りゅうきゅうしんこうせんずびょうぶ)』など、当時の那覇港や国王の居城のある首里一体を描く一連の屛風が伝えます。中央に見える丸い目(鷹の目を表す)の付いた黒い船が中国から戻った進貢船。「中国からの船が戻ったぞ!」と三線の早弾きで知られ、いまも歌い継がれる沖縄の伝統歌「唐船(とうしん)ドーイ」がうたうのも、屛風に描かれているこの那覇港のにぎわい。人々の沸き立つ気持ちは、どれほどだったことか!
ここで、『銅鐘 旧首里城正殿鐘』に話を戻しましょう。1458年につくられた鐘は当初、首里城正殿に掲げられていましたが、いったん首里城を離れ、1943年に戻ります。そして1945年。第二次世界大戦中の沖縄戦で、首里城はアメリカ軍による集中砲火を浴びました。鐘が黒ずんで見えるのは、火に焼かれたからと考えられ、砲弾を受けたらしき痕も。「先の大戦では沖縄のたくさんの文化財が失われました。国宝の『尚家宝物』をはじめ今回の特別展に並ぶ作品は、戦争を乗り越えてきた奇跡の作品なのです」と同展を担当した東京国立博物館 主任研究員の三笠景子さん。この事実を受け止めながら、続く作品を紹介していきます。
龍や鳳凰……中国の吉祥文様で彩られる王家のフォーマルウェア
三笠さんの話に出た国宝の「尚家宝物」とは、『琉球国王尚家関係資料』として現在、一括で国宝に指定されている、王家、尚家に伝わった工芸品85点と古文書・文書類1166点のこと。これらは、沖縄が日本に併合された明治以降、東京をはじめ県外で保管されていたため戦火を逃れることができました。特別展では、遺された王国の宝物のなかから選りすぐりの逸品がまとまって展示されています。とりわけ目を引くのが、華やかな衣裳と工芸品の数々。
国宝『赤地龍瑞雲嶮山文様繻珍唐衣裳(あかじりゅうずいうんけんざんもんようしゅちんとういしょう)』は、琉球国王の冬用の礼服で、国王の即位式や元旦など、最も重要な国内儀礼の際に着用されました。中国清朝皇帝から贈られた反物が使われています。
正面中央ほか、肩や裏側にも施されている刺繡は、5本の爪と2本の角をもつ龍。中国皇帝のシンボルです。龍は中国の想像上の動物ですが、万能の神、動物の頂点に君臨するものとして人々に敬われ、世界を治める天子=皇帝の印となりました。龍のまわりの雲は、不老を象徴するめでたい瑞雲です。裾にある海と山の組み合わせは、山河すなわち国家を統一するという意味。このように、衣裳は中国の吉祥文が満載です。中国と形式上の君臣関係を結ぶ冊封体制(さっぽうたいせい)下にあった琉球では、フォーマルなシーンの衣裳や品々に中国にならった様式や文様が採用されていました。
国宝『黄色地鳳凰牡丹文様紅型縮緬袷衣裳(きいろじほうおうぼたんもんようびんがたちりめんあわせいしょう)』も同様に中国の影響が。黄色地に牡丹と鳳凰が描かれ華やかな衣裳は、女性の装いのように思われますが、元服前の少年用冬物の紅型衣裳ともいわれています。太陽が強く照り付ける土地らしい鮮やかな黄色は、琉球では王家にのみに許されたもの。中国でも、黄金に通じるロイヤル・カラーです。中国から輸入した高価な鉱物顔料、石黄(せきおう)と植物染料で染められています。
鳳凰は太平の世に現れるとされる平和のシンボルです。中国では龍が皇帝なら、鳳凰は皇后の象徴ですが、琉球では少し異なるよう。百花の王といわれる牡丹と合わせた文様は、皇后ばかりでなく王家の女性や少年の衣裳にも使われました。
紅型の文様は、沖縄の自然や風物じゃないって、ホント?
さらに衣裳を見ていくと、尾長鳥や燕(つばめ)、松竹梅や桜、菖蒲、紅葉、さらには雪輪といった、いわゆる日本的な文様に気づきます。「常夏の島でモミジや雪って見られるの?」そう思うのも不思議ではありません。
例えば、国宝『白地牡丹尾長鳥燕鶴菖蒲文様紅型平絹衣裳(しろじぼたんおながどりつばめつるしょうぶもんようびんがたへいけんいしょう)』という王族の振袖は、上部に麻の葉模様の霞から枝垂れ落ちる牡丹と尾長鳥、中ほどに燕、下部には鶴と菖蒲が、絹の白地に現実とは異なる自由な色彩で染められています。しかも、表から見ても裏から見ても、同じ位置に同じ柄が配置されるように染める「両面染」という難しい技法を用いているそう。
いまでは一般に流通する紅型も、当時は王族や士族など、身分の高い者だけが着用を許された布でした。彼らにとっては、亜熱帯地方の琉球にはない花々や鳥、自然の風景をふんだんに取り入れるこそがステータスだったのでしょう。さらに、雪の文様が夏物の衣裳に使われたり、桜や紅葉と一緒に描かれたり、と本来の季節感や意味から離れて、琉球独自の組み合わせ方や色づかいへと発展。これぞ、沖縄チャンプルー文化の神髄です!
「チャンプルー」というと、多くの人がゴーヤや豆腐、お麩などが入った沖縄の料理を思い出すかもしれません。しかしそもそもは、多様なものが混ざり合う、の意味。インドネシア語のチャンプル(campur)が由来とも言われます。世界の架け橋として多様な文化を受け入れた琉球の懐の深さ、精神を表す言葉なのです。
琉球から世界へ。そして未来へ
ここまで紹介したものの多くは、世界から影響を受けた琉球の宝物の数々でした。三笠さんはこう続けます。「今回の展覧会では、中国、日本、琉球が双方向で発信したという視点も強く意識して構成しています。それが見えるのが琉球の墨蹟絵画や喫茶の展示です。小堀遠州が所持した天目台ほか、琉球からは多くの喫茶道具が京都へ伝わり珍重されました。また、中国に学んだ琉球の絵師の絵画作品も展示しています。単純に一方通行で文化が流れてきたわけではないことを感じていただきたいです」
そして最終の第5章では、近代化や戦争で失われた琉球王国に由来する文化財とその技術を取り戻すための取り組み「琉球王国文化遺産集積・再興事業」で、手わざ、つまり手しごとによる高度な技に基づいて製作当初の姿に復元された作品の数々を並べます。「事業では沖縄県内外の技術者、専門者が集まり、知恵を出し合いました。沖縄復帰50年記念という機会に、さまざまなことを沖縄から学ぶきっかけとなる展覧会になるといいなと思っています」(三笠さん)
(参考文献)
『沖縄復帰50年記念 特別展 琉球』図録、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社、2022年
展覧会基本情報
展覧会名:沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」
会場:東京国立博物館 平成館
会期:2022年5月3日(火・祝)~6月26日(日)
休館日:月曜日
入館料:一般2,100円、大学生1,300円、高校生900円
展覧会公式サイト:https://tsumugu.yomiuri.co.jp/ryukyu2022/
東京国立博物館ウェブサイト:https://www.tnm.jp/