日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。
各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。
今回は、桃山茶陶の名品「志野茶碗 銘 卯花墻」と、天平文化の象徴「東大寺 伽藍」です。
桃山茶陶の名品「志野茶碗 銘 卯花墻」
茶の湯文化が大きく発展した桃山時代。この時期の茶陶(茶道用の陶器)を代表する名品が「志野茶碗 銘 卯花墻」です。室町時代、足利将軍家を中心に唐物(中国伝来の道具)を用いて書院などで楽しんだ茶に対し、桃山時代には千利休がわび茶を大成します。これは華美贅沢を避けて閑寂な精神性を重んじ、唐物のみならず国産の道具も使い、草庵(簡素な家屋)で行なう茶でした。
茶陶にも新しい価値観が生まれ、茶人の好みに応じた独創的で多彩な茶陶が作られました。そのひとつが桃山時代後期に美濃で焼かれた志野茶碗です。
美濃地方で採れる白土(もぐさ土)に、半透明の長石釉(志野釉とも呼ぶ)を掛けた志野は、それまでの日本にはなかったとされる白いやきものです。また、日本ではじめて絵付けが行なわれたのも志野だろうといわれています。
この茶碗は、轆轤で成形したあとに箆で削り、手で力を加えてわざと歪ませる手法を取り入れています。これによって個性的な形状が生まれました。「卯花墻」は、このような革新的な志野の特徴が、最高の形で結実した茶碗といえます。
内箱の蓋裏に、卯の花を詠んだ「やまさとのうのはなかきのなかつみち ゆきふみわけしこゝちこそすれ」という和歌を記した色紙が貼られ、蓋表には「卯花墻」の墨書があります。これは茶碗の白い肌と井桁のような文様を卯の花が咲く垣根になぞらえて、後世の人が記したもの。和歌と墨書の筆者は、武将茶人の片桐石州(1605~73)とされています。石州は、大和小泉藩(奈良県大和郡山市)の藩主で、石州流茶道の祖。江戸幕府4代将軍・徳川家綱に茶道指南役として仕えた人物です。「卯花墻」は、江戸時代には、豪商・冬木家に伝わり、明治時代に大阪の山田家を経て、明治20年代中ごろに室町・三井家に入りました。
日本で焼かれた茶碗のうち、国宝は「卯花墻」と本阿弥光悦作の「白楽茶碗 銘 不二山」の2点のみ。「卯花墻」の作者は不明ですが、和物茶碗の最高峰に位置する名碗として、高い評価を得ています。
国宝プロフィール
志野茶碗 銘 卯花墻
16世紀末~17世紀初め 1口 口径11.6cm 高台径6.0cm 高9.6cm 三井記念美術館 東京
垣根に見立てられる文様が絵付けされた、桃山時代の志野茶碗。美濃大萱(岐阜県可児市)の牟田洞窯で焼成されたと推定されている。「卯花墻」の銘は、内箱の蓋裏に記された和歌に由来する。
天平文化の象徴「東大寺 伽藍」
東大寺は、仏教による国家の安泰を願う聖武天皇の発願で建立されました。天平勝宝3年(751)に金堂(大仏殿)が完成、翌年に大仏開眼供養会が盛大に行なわれましたが、伽藍全体の完成は奈良時代末期です。
東大寺には国宝の建物が8件あり、その建造時期は奈良(天平)、鎌倉、江戸時代の3つに分けられます。奈良時代の国宝建築は、東大寺の創建以前から境内東部に建立されていたと考えられる法華堂(通称は三月堂。礼堂部分は鎌倉時代)と、東大寺創建期の遺構である転害門と本坊経庫の3件。とくに不空羂索観音を祀る法華堂は、東大寺の前身寺院・金鍾寺(のちの金光明寺)の金堂であったと推定されている貴重な遺構です。
鎌倉時代の国宝建築は、南大門・開山堂・鐘楼の3件です。治承4年(1180)の平重衡らによる焼討ちは、東大寺の中心伽藍を焼亡させました。復興の勧進(寺社建立・修復の資金や協力を募ること)を任された重源上人は、中国・南宋の技術を取り入れた新しい様式「大仏様」を用いて大仏殿をはじめとする伽藍を再建します。とくに南大門は大仏様の代表的建築として高く評価されています。東大寺の初代別当(寺務を統括する長官)の良弁僧正を祀る開山堂の内陣も、重源の建立した大仏様建築。鐘楼は、重源の勧進活動を引き継いだ栄西による建立で、ここにも大仏様が使われています。
戦国時代の永禄10年(1567)、三好三人衆と松永久秀の合戦で、大仏殿をはじめとする中心伽藍が焼失。江戸時代中期に再興を指揮したのは僧・公慶で、元禄5年(1692)に大仏の修理を終えて、開眼供養会が行なわれました。大仏殿は宝永6年(1709)に再建。これが国宝に指定される現在の大仏殿で、創建時より規模を3割ほど縮小しましたが、それでも世界最大規模の壮麗な木造建造物です。また、お水取りが行なわれる二月堂も江戸時代に再建され、国宝に指定されています。
なお、宮内庁の管理となっていますが、境内の北西に建つ正倉院正倉は全国唯一の奈良時代の正倉の遺構で、天平文化の遺風を伝える貴重な国宝建築です。
国宝プロフィール
東大寺 伽藍
聖武天皇が創建した東大寺は、天平勝宝3年(751)完成の金堂(大仏殿)を中心に、奈良時代末期までに伽藍が整備された。平安時代末期と戦国時代の2度の兵火で、創建期の伽藍の多くが焼亡。現在は、奈良時代の法華堂(三月堂とも。礼堂は鎌倉時代)・転害門・本坊経庫、鎌倉時代再建の南大門・開山堂・鐘楼、江戸時代再建の金堂(大仏殿)・二月堂の計8件が国宝に指定されている。