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2023.01.19

祖父との思い出を胸に。山種美術館・山崎妙子館長の熱意とアイデア

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山種美術館の創立者、山崎種二さんの孫の妙子さんは、現在館長をつとめています。創業家の令嬢だからといって、最初から継ぐと決まっていた訳ではありません。一時はビジネスの道を志すも、「やっぱり日本画が好き」と美術館を継ぐ決心をします。その後、2浪して東京藝術大学大学院に入学し、5年間で修士号と博士号を取得した努力の人です。そんな妙子さんの日本画への思いや、ユニークな活動についてお聞きしました。

祖父の影響で、日本画に興味を持つ

⼀歳の時から祖⽗の種二さんと⼀緒に住んでいた妙子さんは、幼い頃から彼の膝の上で種二さんの集めた⽇本画や油絵を観賞していたそうです。観ていた作品の中でも、特に印象に残っている絵が、速⽔御⾈の《紅梅・⽩梅》とのこと。

「『妙ちゃん、よく⾒てごらん。きれいな梅だね』と⾔って、⼩さい私がよく⾒えるように抱き上げ、そばで⾒せてくれた祖⽗の笑顔を今でもよく思い出します。これが私と⽇本画の出会いでした。アートに囲まれた、祖⽗との楽しい体験こそが、私が⽇本画を本格的に勉強したいと考えたきっかけであり、⽇本美術史研究の出発点でした。絵を⼼から愛する祖⽗の姿は、私にとって特別な意味を持っていたのです」と妙子さんは語ってくれました。

速水御舟《紅梅・白梅》山種美術館

山種美術館の創立者、山崎種二と現館長 山崎妙子 渋谷区自宅にて

その後、祖⽗や⽗の経営していた⼭種証券の国際部にいずれ就職したいと思い、慶應義塾⼤学の経済学部に進学。
そして、⾦融論のゼミで国際⾦融を学んだのですが、一方ではご自身の家と深く結びついている美術と関わっていきたいという考えを強く持つようになったそうです。
ところが、⽗・富治さんからは「⽇本美術の勉強で修⼠号を取得するくらいでなければ美術館を継がせることはできないよ」と⾔われてしまいます。それから2年間かけて必死で勉強して、東京藝術⼤学⼤学院に⼊学したそうです。

方向を変えられて、そしてあきらめずに取り組む姿勢。なかなか出来ることじゃないですね。。。

平⼭郁夫先⽣との出会い

もし、美術館を継ぐためだけに藝⼤に入ったのであれば、美術史とマネジメントといった美術館経営に役立ちそうな学びだけでいいような気がするのですが、妙子さんは実技も学びました。なぜでしょう? その理由の一つとして、藝⼤で教わった、平⼭郁夫さんからの言葉があります。

「せっかく藝⼤に⼊ったのだから、⽇本画の実技も学んで画家の⼼がわかる研究者、そして美術館⻑になってください」

「画家の心がわかる美術館⻑!」まさに現在の妙子館長を予見していたかのような言葉です。その⾔葉に導かれた妙子さんは、美術史の勉強と合わせて実技(⽇本画制作および法隆寺⾦堂壁画6号壁観⾳菩薩(部分)の模写)を行なったそうです。

「平山先⽣に⼩下図を⾒ていただく機会を得た際には『絵は写真と違って嘘をつけるから、いかに嘘をついてよりよい構図にすることが⼤切』というアドバイスをいただき、実際よりも階段の段数を多く修正したことがありました。また『遠くの⼭は⻘く⾒える』空気遠近法を教えていただきました。実技の体験を通じて⽇本画の素材と技法を知ることの⼤切さを教えられました」と妙子さん。

すごい! この平山さん直伝の教えが現在、山種美術館での、他館では得られない日本美術鑑賞体験につながっていると考えると感慨深いです。その鑑賞体験については、のちほどお伝えします。

気になりますね!

速水御舟を博士論文のテーマに

⽗・富治さんから伝えられた、「美術館を継ぐための条件」を達成するだけであれば、藝⼤の修⼠号を取得すれば満たされたはずですが、妙子さんは博士号を取得しました。単に条件を達成するのではなく、祖⽗ゆずりの絵を⼼から愛する情熱と探究心があったからではないかなと思います。そしてそんな彼女しか書けない、運命に導かれて実現したような、博士論文がこの時に完成しています。
それは、早世の日本画家・速水御舟に関する研究です。

山種美術館は、《炎舞》や《名樹散椿》と言った重要文化財をはじめとする御舟の作品を約120点(御舟が生前に制作したとされる約600~700点のうちの五分の一ほど)を所蔵する美術館です。それは、1976年に二代目館長となった富治さんが種二さんと相談のうえ、一括購入したからで、当時の日本経済新聞に「速水御舟の約百点 二十億円で決まる」とニュースにもなっています。折しも美術館の開館10周年記念で初めての御舟展開催の年だったので御舟の妻・弥(いよ)さんに富治さんがご挨拶に伺いたいと伝えたものの、丁重に断られてしまいます(御舟は1935年に亡くなっています)。その後、再三お願いしても固辞され、その他の研究者とも全くお会いになることが無かったそうです。

速水御舟《炎舞》【重要文化財】山種美術館

速水御舟《名樹散椿》【重要文化財】山種美術館

ここで登場するのが妙子さんです!
博士論文執筆に向けて御舟の研究を進めていた彼女は、自身の伯母の親友が御舟の次女の吉田和子さんであったご縁もあり、御舟への特別な思い入れが通じて弥夫人にお会いすることができたのです。それを皮切りに、夫人をはじめとするご遺族の方々への60数時間にも及ぶ取材が叶い、御舟の技法や人柄について数々の貴重な証言を得、未公開資料も調査することができました。その内容を記した論文が通って藝⼤の博士号を取得、のちに著書『速水御舟の芸術』(日本経済新聞出版1992年)として結実しています。

あやうく文字通り、謎につつまれた「幻の日本画家」になってしまうところだった御舟と彼に関する身近な人の証言を含め、危機一髪でまとまった本にすることができた妙子さんは、日本美術の救世主とも言えるのではないでしょうか。
一括購入した妙子さんのおじい様にも、お父様にも、他の研究者にもお会いしなかった御舟夫人。すでに90代というご高齢で、この時に妙子さんがお会いして、彼女やその親戚の方々しか知らないお話を聞き出すことができなければ、永遠にその内容はお蔵入りしてしまうという状況でした。妙子さんにならばとお会いする決心をしたからこそ、論文に書き残し書籍化もすることができて現代に伝わっているのだと思います。

妙子さんの熱意が、夫人の心を動かしたと思うと、感動的です。

日本画の描きかたも伝える展⽰

このように「画家の心がわかる美術館⻑」である妙子さんが指揮して出来上がる展示の工夫は、私達をぐいぐいと日本画の魅力の虜にしていきます。

例えば、2022年4⽉から7月まで開催された「【特別展】⽣誕110周年 奥⽥元宋と⽇展の巨匠 ―福⽥平⼋郎から東⼭魁夷へ―」では、奥田元宋が実際に使⽤していた絵具が効果的に展示されていました。元宋は戦後、「元宋の⾚」とよばれる⾚を基調に雄⼤な⾃然を描いた独⾃の⾵景画を確⽴した画家。その彼が所有していた赤い絵具と、それが使われたことが如実にわかる作品を隣り合わせで展示したのです。「絵具」というとまずは洋画に使うチューブから出てくるペースト状の物を思い浮かべますが、日本画の制作で使用する絵具は、鉱物や貝殻などを粉砕した顔料を接着剤の膠(にかわ)で溶いて使います。一般の鑑賞者にとって、天然鉱物の原⽯を砕いて作ったサラサラな岩絵具とその美しさは驚きでした。しかも元宋ほどの画家になると、通常は手に入らないような珍しい赤も多数所有していますので、完成された作品と共に絵具の実物を目の当たりにできるというのはなかなかできる経験ではありません。

元宋が実際に使⽤していた絵具を元宋夫⼈である⼈形作家・奥⽥⼩由⼥⽒より寄贈いただき展⽰した

そして来場者の反応を見ているうちに、妙子さんはあることに気がつきました。人々が、かなり日本画の描き方に興味を持っているということです。そこですぐに「描き方のオンライン講座」を考案し配信してしまうという行動力がすごい!

確かに、どうやって描かれてるのだろう?と思うことあります。


山種美術館で実施している公募展「Seed 山種美術館 日本画アワード 2019」で大賞を受賞した安原成美さんが作品を描きながら、完成させるまでの各工程のポイントを分かりやすく説明する動画を講座視聴費¥500で配信したところ大好評となりました。
私も視聴してみたところ、活用する道具や、どこに時間と集中力を注ぐかなどが具体的に分かり、柔らかくて繊細な白い花びらが見事な手さばきで描かれていく様子に見入ってしまいました。
安原さんは、「Seed 山種美術館 日本画アワード 2019」で大賞を受賞してから一層注目を集めるようになり、今や2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」完全小説版の装画を任されるほどの人気作家です。彼によるオンライン講座「日本画の描き方を知ろう」は、2023年3月5日までアーカイブ視聴できますので、皆様トライしてみてはいかがでしょうか?

詳細はこちらです⇒https://fuukei2022.peatix.com/

また、展覧会の企画内容や展示方法などの工夫はもちろんのこと、カフェ、ショップなどを含めてトータルで美術を体験して、それを来館者の⽣活にも取り⼊れられるよう心遣いが行き届いているのが山種美術館のステキなところです(カフェとショップのみ利⽤可)。
ここでは、そんな和菓子とグッズについてもご案内したいと思います。

日本画の世界を広げてくれる和菓子

山種美術館の「Cafe椿」では、毎回開催中の展覧会に展示されている日本画をモチーフにした和菓子を5種類出しています。妙子さんとスタッフと、青山の老舗菓匠「菊家」でアイデアを出し合って作り上げる和菓子は、他の店では見られない唯一無二のものです。
今回開催している「⽇本の⾵景を描く」展に合わせて提供している和菓⼦の中から、「⾹りたつ」をいただいたところ、作品世界が広がる体験ができました。

「⾹りたつ」は、黄色い土台にピンクのお花と透き通る山々が乗った華やかなお菓子。山本梅逸(やまもとばいいつ)の《桃花源図》をモチーフにしたとのことですが、一見随分雰囲気が違って見えます。元になった日本画は、とても落ち着いたベージュの下地に上品なピンクや緑で風景を描いたおとなしい感じの作品なのです。

和菓⼦の「⾹りたつ」

山本梅逸《桃花源図》山種美術館

メニューの説明を見ると、「遠くの山々を錦玉羹で、美しく咲いた一面の桃の花をきんとんで表した」とのこと。なるほど! 手前のもふもふしたピンクが桃の花なのですね。黄色い土台の中には、絹のようになめらかなこしあんが入っていて、濃密で甘くておいしい。山々は、緑と水色の二種類で、ちゃんと奥行きが感じられます。そういえば妙子さんが、「遠くの⼭は⻘く⾒える」という空気遠近法を平山先生からじかに教わったとおっしゃってたな、などと思いながら一口。清涼感のある錦玉羹は、なんとなく遠い山の味。それにしても、あの絵に青い山は本当に描かれていたかな? と記憶が定かでなく、もう一度作品を見に行くことにしました。オリジナルの絵の前に再度立つわけですが、今回は、和菓子を食べてもう一度見たいポイントが決まっているので、最初に全体をもやっと見ていた時とは違います。
桃林の前景と遠景の山々の世界が二つに分かれて見え、「あっ、ありました!」。緑の山のさらに奥の左端と右端にうっすらと水色の山が! きりっと冷たい遠くの空に、意識がふわっと飛んでいきました。

和菓子を味わって、そして絵画の魅力に気づけるって、いいですね!

文化を生活の中に組み込んでくれるグッズ

山種美術館のミュージアムグッズは、所蔵品をモチーフにしたバリエーション豊かなラインナップが魅力です。今回は、知る人ぞ知る名グッズを教えていただいたのでご紹介します。

まずは「お⾹セット」。

妙子さんが、上村松園の作品《春芳》を香りで表現できないかと考えて、⾹⽼舗松栄堂に直接オーダーしたこだわりの品とのこと。手に取っただけで、お花の香水のような香りが立ち上ってきます。絵の中の日本美人が目の前に現れたみたい。三色のお香の色も麗しく、緑からはみずみずしい透明感、朱色からは内に秘められた力強さ、藤色からは華やかな美しさが感じられます。

そして香り繋がりでもう一品。「⽂⾹(ふみこう)」です。

こちらも手に取っただけで、貴婦人が通り過ぎた後のような洗練された香りが漂います。このグッズは、妙子さんが受け取った、達筆な⼥性からの⼿紙に⼊っていた⽂⾹のさりげない⼼遣いに惹かれたことがきっかけで実現したものとのこと。
うっとりとしてしまいますね~。

宇宙人のような文字を書き、筆不精な私ですが、このグッズを手にして、「私も手紙にこの⽂⾹を入れてみたい」と思いました。そしてその時は、少しはたおやかな文字を書きたい! (笑)。美術館のグッズで、日常生活に和文化が感じられるのは素敵ですね。

和装へのこだわり&きもの特典

新年早々の取材ということで、妙子さんの美しい着物姿が印象的です。エレガントな和装のこだわりのポイントを伺ってみました。

和装の山崎妙子館長

「普段は洋服なのですが、お正⽉や特別鑑賞会、イベントでお客様をお迎えするときなどは着物を愛⽤しています。そのとき、その場にあったファッションというのは、お客様やお会いする⽅へのおもてなしの⼼を伝えることもできると思っています。また、着物でも洋服でも⾊づかいや組み合わせで、季節感を取り⼊れることができるので、季節を楽しむアイテムでもあると思います。
着物で⽇本画を鑑賞する醍醐味は、普段はあまり着るチャンスのない着物で出掛け、晴れ晴れとした気持ちで鑑賞できることです。また、掛軸の表装に使われた⾼価な裂地や、⽇本画に合わせたコーディネートなども作品と共に楽しめるポイントです。
着物で出掛ける場所が少なくなっていますが、⼭種美術館は短時間でも充分お楽しみいた
だけますので、観光地だけでなく美術館もぜひ⽇常と違うお出かけ先の候補に加えていただ
きたいです。気軽なレンタル&着付の活⽤もおすすめです。
当館では着物でご来館された⽅は、⼀般料金より200円引きの料⾦となる『きもの特典』のサービスを年間を通じてご⽤意しています」と妙子さん。

2023年は、着物で美術館を訪ねる機会を増やしてみるのも良いかもしれませんね。
※文中のうち、所蔵表記のない作品は、すべて山種美術館蔵

【展覧会情報】
特別展「日本の風景を描く─歌川広重から田渕俊夫まで─」
会期:2022年12月10日(土)〜2023年2月26日(日)会期中に一部展示替えあり
[前期12月10日(土)〜1月15日(日)/後期1月17日(火)〜2月26日(日)]
会場:山種美術館
住所:東京都渋谷区広尾3-12-36
開館時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日入館料:一般1,300円、高校生・大学生500円、中学生以下無料(付添者の同伴が必要)
※障がい者手帳、被爆者健康手帳の提示者およびその介助者(1名)は、一般1,100円
※冬の学割:本展にかぎり、高校生・大学生の入館料が通常1,000円のところ、特別に半額
※きもの特典:きものでの来館者は、一般200円引きの料金
※複数の割引・特典の併用は不可
※入館日時のオンライン予約が可能(詳細については山種美術館ウェブサイトを確認のこと)
※会期や開館時間などは変更となる場合あり

【問い合わせ先】
https://www.yamatane-museum.jp/

書いた人

アート&グルメライター。日本で社会学、イギリスの大学院で映画論とアートを学ぶ。「人生は総合芸術だ!」と確信し、「おいしく、楽しく、美しく」をテーマにアートとして生きる(笑)。そんなアートライフに、無くてはならないのが美食と美酒。独特な美学と文化を発信するアートなグルメ体験をシェアします!

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幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。十五代目片岡仁左衛門ラブ。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。