Art
2019.09.26

9/28公開!映画「春画と日本人」に見る忖度の構造、大墻監督インタビュー

この記事を書いた人

アート? ポルノグラフィ? 春画を「異物」に変えた近代日本の価値基準

「春画展」開催時、多くのマスメディアで「春画は、アートかポルノか」という類の文言が飛び交いました。いつから私たちは、外来語によって、自分たちの文化を識別するようになったのでしょうか。

喜多川歌麿「歌まくら」(映画「春画と日本人」より)
喜多川歌麿の春画の傑作「歌まくら」十二図のうちの一図。男女ともに性器が描かれない異例の春画ゆえに、今日までほぼ無修正で紹介されてきたことも「歌まくら」の名を世に知らしめる一因に。青楼の絵師、歌麿の面目躍如たる気品に満ちた一図。(映画「春画と日本人」より)

古今東西、大衆の欲望や、それをかなえる娯楽を管制することが、政治であり、権力の誇示であるという考え方が存在します。春画は、江戸時代後期の改革の中でもたびたび弾圧されてきましたが、明治時代の欧化政策により、非文明的で不謹慎なものと見なされ、徹底的に排除の対象となりました。日本人は、なかば盲目的に欧米の価値観(と信じたもの)を導入し、春画に限らず、欧米の尺度で計ることのできない自分たちのさまざまな文化を「異物」に変えてしまいました。その結果、1世紀半と経たない2013年には「世界が、先に驚いた」のです。

令和という時代を迎えてなお、日本の社会に蔓延している形骸的な制度や評価基準の導入に、映画「春画と日本人」は静かに疑問を呈します。

大墻監督: さまざまな絵師が、春画を描いてきました。絵師たちは生業として、役者も美人も風景も描けば、春画も描いていたわけです。それは一人の人間の生活の中で、連続してあったものですよね。それがある時期から、当時とは異なる価値観によって、春画だけが切り離され、無視されて語られるようになってしまいました。今後、春画を含めた研究や議論が活発になれば、本当の江戸時代の姿が見えてくるんじゃないかと思うんです。それは、浮世絵のいちファンとしても、非常に楽しみなことです。

現代社会の水面に投じられた、春画展という小石と波紋

大墻監督は、ご自身が撮影されたものを「波紋」という言葉で表現します。

大墻監督: 池に小石を投げると、水面に波紋ができますよね。私としては、春画展という小石が、社会という水面に投じられたときに起きた波紋を記録したかったんです。

「春画と日本人」の大墻敦監督「春画と日本人」の大墻敦監督
映画「春画と日本人」の監督・大墻敦(おおがき・あつし)さん。これまで、クラシック音楽、文楽、女流義太夫など、文化、芸術の分野で映像製作活動を積極的に展開。現在、築地市場に関するドキュメンタリー映画の製作が進行中。(撮影:田村邦男)

水面にあらわれた波紋はやがて消え、元の通りの平らな水面に戻ります。水質が激変するような事態は起きませんし、水底に沈んだ小石の存在は徐々に忘れられていくでしょう。けれど、そこに一瞬あらわれた波紋を見て俳句を詠み、咄嗟にカメラのレンズを向けるのが、人間なのではないでしょうか。

大墻監督: 公開までに4年かかったわけですが、「春画展」の波紋が消えてしまった状態のいま、結果としては良かったのかなと思っているんです。この映画を、私は「文化記録映画」と呼んでいます。ドキュメンタリー映画と呼んでも一向に構わないのですが、単に2015年の「春画展」のサクセスストーリーだけでない、そこに至るまでの歴史も踏まえた、文化的な活動の記録だと考えています。

「春画展」の会場に足を運んだ方も、そうでない方も、ぜひ、この映画を観て、当時の波紋のことを考えてみてください。似たような波紋が、いま皆さんの身の回りにも広がってはいないでしょうか。

大墻監督: この映画が、日本人は春画というものとどう向き合ってきたのか、さらに拡げれば、日本の近代化とはなんだったのかということを、考えるきっかけになればと思うんです。私は、今春から桜美林大学で教鞭を執っています。同校の理念に『学而事人(がくじじじん)』がありまして、自らの学びを人々や社会に還元することを謳ったものです。私も、今後は教育と研究をベースにしながら、映像制作の技能を通じて、社会に貢献し、第二の人生を充実させていきたいと考えています。

書いた人

東京都出身、亥年のおうし座。絵の描けない芸大卒。浮世絵の版元、日本料理屋、骨董商、ゴールデン街のバー、美術館、ウェブマガジン編集部、ギャラリーカフェ……と職を転々としながら、性別まで転換しちゃった浮世の根無し草。米も麦も液体で摂る派。好きな言葉は「士魂商才」「酔生夢死」。結構ひきずる一途な両刀。