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2019.10.16

親娘そろって浮世絵師! 展覧会と小説で楽しむ国芳と二人の娘の物語

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現在、東京・原宿の太田記念美術館で、幕末の浮世絵師・歌川国芳と、その娘の作品を紹介する企画展「歌川国芳—父の画業と娘たち」が開催中(2019年10月27日まで)です。このたび、国芳の長女・とり(登鯉)を主人公にした小説『国芳一門浮世絵草紙』(小学館)の著者である河治和香さんに、国芳やその娘の魅力を語っていただきました。この秋は、展覧会と小説で、国芳親娘の活躍をお楽しみください。

歌川国芳「相馬の古内裏」
『奇想の系譜』のトリを努める歌川国芳。三枚続きの画面いっぱいに描かれた骸骨はインパクト抜群。歌川国芳「相馬の古内裏」個人蔵

四十路の国芳がさずかった二人の娘

水滸伝のヒーローをはじめとする勇ましい武者絵や、巨大などくろなど奇想天外な作品で知られる、鉄火肌の浮世絵師・歌川国芳(うたがわくによし・1797-1861)。実は、2人の娘の父親だったのをご存知でしょうか。長女の名前は「とり」、次女の名前は「よし」。長女のとりが生まれたのは、天保10(1839)年、国芳が数え年で43歳のときでした。次女のよしは、その3年後の天保13(1842)年に生まれています。

30代に武者絵で名をあげた国芳は、40歳を迎える頃には多くの門弟を抱えていました。40代の国芳は、天保期の改革によってさまざまな表現が規制されていく中、痛快な機知で社会風刺もダジャレも描き、次々と作品を発表して、民衆の一層の支持を得ていきます。一方で、家庭には二人の娘が生まれ、井草という姓を嗣ぎ、向島から田所町(現・日本橋堀留町)に引っ越したりと、なかなかに多忙です。作品から、やんちゃで奔放な江戸っ子の印象がぬぐえない国芳ですが、そこには、一門・家族を背負ったひとりの親方の姿が浮かび上がってきます。

歌川国芳(左)「通俗水滸傳豪傑百八人之壹人 浪裡白跳張順」(右)「荷宝蔵壁のむだ書」
勇壮な水滸伝の豪傑と、壁の落書き仕立ての役者似顔絵。まさか、左右の作品を同じ絵師が描いているとは! 歌川国芳(左)「通俗水滸傳豪傑百八人之壹人 浪裡白跳張順」(右)「荷宝蔵壁のむだ書」ともに太田記念美術館蔵

女性が筆をふるった国芳門下

そしてこの国芳の二人の娘、実は揃って浮世絵師だったのです! 女性の浮世絵師といえば、杉浦日向子さんの漫画『百日紅(さるすべり)』でもおなじみ、葛飾北斎(かつしかほくさい・1807-58)の娘、応為(おうい・生没年不詳)が有名です。美人画においては父を凌ぐとも評され、北斎画と伝わる作品の一部には、応為の手によるものもあるとか。

筆一本で身を立てていた応為に比べれば、とりとよしの画業は、あくまで父・国芳のアシスタントにとどまり、現在確認できる活動期も概ね10代の一時期に限られます。しかしこの姉妹は、それぞれ「芳鳥」「芳女」というれっきとした雅号を持ち、錦絵(浮世絵版画)も出版されました。

歌川芳女「五節句の内 三節の見立 新材木町 新乗物町」
次女・よしが21歳頃に描いたとされる錦絵作品。作中に「朝桜楼芳女」とある。歌川芳女「五節句の内 三節の見立 新材木町 新乗物町」個人蔵

ちなみに、国芳の門下には、とりとよしの他にも、玉という女性がいて「芳玉」という名前で活躍していました。江戸時代、浮世絵に限らず南画などの分野でも、絵を描いた女性の存在は確認されていますが、とは言え活躍の場は非常に限られたものでした。そうした中で、三人もの女浮世絵師がいた国芳一門。誰に対しても分け隔てなく接した国芳の人柄がしのばれます。

食えなくたっていいじゃないか、誰もが夢を描ける場を

国芳の弟子は最終的には総勢70名を越え、浮世絵史上屈指の大所帯でした。優秀な人材を多数輩出していますが、実際のところ、セミプロのような弟子も多く、過半数の弟子は別業で生計を立てていたと考えて良いでしょう。一門きっての美男であった芳雪(よしゆき・生没年不詳)は深川芸者の妻と料理屋を出したと言いますし、提灯屋の息子だった芳兼(よしかね・1832-81)は千社札で有名になりました。芳延(よしのぶ・1838-90)はたぬき好きが高じて、浅草にたぬき汁の店を開いたとか……。

国芳は、プロの絵師を養成し派閥を拡げることを目的としていたというよりは、絵心のある人々に広く門戸を開き、「芳」の字や芳桐の印を、そこに集った人々を結ぶ絆のように大切にしていた印象を受けます。

歌川国芳「東都三ツ股の図」
スカイツリーが描かれた浮世絵として話題になった作品。国芳の風景画は斬新な構図の中に、江戸庶民の朴訥(ぼくとつ)とした姿が描かれているものが多い。歌川国芳「東都三ツ股の図」個人蔵

あらゆる人の可能性の芽を摘まず、誰もが描ける場をつくる――それは、30歳を過ぎるまで、なかなか世に認められず、それでも描くことをやめなかった国芳の、信念のようにも感じられます。ただし、国芳一門の古株の一人である芳宗(よしむね・1817-80)は、十数回破門された(破門されてもまたすぐ戻ってきた)とも伝えられ、入門も破門も比較的簡単な、結構ゆるい一門だったのかも知れません……。

『国芳一門浮世絵草紙』著者インタビュー【河治和香さん】

さて、ここからは、国芳の長女・とりを主人公にした小説『国芳一門浮世絵草紙』の著者、河治和香さんにご登場いただきます。本人も弟子も、ユニークな逸話の多い国芳。『国芳一門浮世絵草紙』は、いつもにぎやかで話題にことかかない国芳一門を、国芳の娘の視点から描いた時代小説です。

『国芳一門浮世絵草紙』

愛らしい名前に惹かれて

――本日はありがとうございます。さっそくですが、先生が国芳の娘を主人公にした小説を書こうと思った動機やいきさつなどをお聞かせください。

河治さん:まず、国芳の娘の名前が……〈トリ〉。それだけでもなんだか可愛いのに、さらに署名は〈一燕斎芳鳥〉……ツバメなんです。なんて軽やかな魅力的な名前でしょう。さらには、〈登鯉〉という記録もあって。鯉の滝上り! まさに勇み肌な〈一勇斎国芳〉の娘! って感じで……その昔、私はアイドル映画のシナリオを書いていたことがあるのですが、それを時代劇でやってみたいな、という気持ちではじめたように思います。(もう10年以上前の話で、ちょっと記憶が曖昧なのですけれど……。)

歌川国芳「江都勝景中洲より三つまた永代ばしを見る図」
凧揚げに羽子板。子供たちが遊ぶお正月の風景。この中に「とり」という文字の入った模様の着物を着た少女の姿が。40歳を過ぎてできた愛娘、目の中に入れても痛くなかっただろう。歌川国芳「江都勝景中洲より三つまた永代ばしを見る図」個人蔵

――父親が浮世絵師というだけでなく、自分自身も浮世絵師であったという点が興味深いですよね。河治さんの小説の中で、登鯉はさまざまな絵の仕事をこなしています。

河治さん:なぜか、幕末の浮世絵師には〈娘〉が多いんです。

北斎の娘……画狂人と呼ばれる人の娘だけあって、変人度高し。家事一切やらずに父の代筆に精を出す。
国貞(三代豊国)の娘……父の選んだ弟子と結婚。でも、凡庸な男で中風になったりして(多分苦労したんじゃないかと)。
広重の娘……父の選んだ弟子(だいぶ年上)と結婚したものの、追い出して別の弟子と結婚。(小学館文庫『茶箱広重』に詳しいです)
国芳の娘……絵は描いたものの絵師としては生きてゆかず、魚河岸の魚屋に嫁いで早世。
曉斎の娘……早くに父親を亡くすも女流画家として知られ、女子美で最初の女性の大学教授となる。

年表・浮世絵師とその娘
――すごい。ここまで揃いも揃って、娘ばかりとは……。

河治さん:こうして娘たちの生きざまを見ていくと、そこには父親の生き方が透けて見えるような気がします。
豊国や広重のように、娘を弟子に添わせようと思うのが、当時のごく普通の父親の考え方だったと思いますが、国芳はその中で、可愛い娘を身近に置こうとはせず、また北斎のように娘を便利使いすることもなく、江戸で一番イキのいい男のいる魚河岸に嫁がせます。(早死にしてしまいますが、〈女〉としては一番幸せだったかも!)実は国芳が意外と一番まっとうで……そして江戸っ子らしい娘への対応のように思われるのです。(まぁ、弟子が与太者みたいなのばかりで、婿にできそうなのがいなかった、っていうのもあったんじゃないかと思いますが!)

――娘の生きざまに、父親の生き方が! 面白いですね。つまり、国芳は自分の娘に「浮世絵師の娘」としての生き方を強要しなかった、と。

河治さん:実際のところは芳鳥は絵は描いていたのでしょうが、それが今でいう女流画家というような存在であったかというと、それほどでもなかったのではないかと思います。

(左)歌川国芳・歌川芳鳥「東都流行三十六会席 向島 葱売宿直之介」(右)歌川芳鳥「武具尽両面合」
長女・とりは国芳との合作が多い。左図では、人物を国芳が、背景をとりが描いている。とりが14歳頃の作品だが、白壁にこっそり描いた相合傘は……? さすが国芳の娘とあって、右図は武者の着せ替え人形。(左)歌川国芳・歌川芳鳥「東都流行三十六会席 向島 葱売宿直之介」個人蔵(右)歌川芳鳥「武具尽両面合」太田記念美術館蔵

――たしかに河治先生の小説の中の登鯉は、「国芳の娘」「女性浮世絵師」である以前に「江戸の町に生きる一人の女性」として描かれています。刊行時、読者の方々の反応はいかがでしたか?

河治さん:読者の方たちも、女の絵師としてのキャリアウーマンの物語……というより、年頃のおきゃんな娘の恋物語や、江戸っ子のお父つぁんとの掛け合いを楽しんで読んで下さっていたように思います。
余談ですが、国芳シリーズの一巻目『侠風むすめ』の解説は、篠田正浩監督が書いて下さっていますが、実は最初の賭場に出入りする美少女登鯉……は、篠田監督の『乾いた花』という映画に出てくる加賀まりこさんをイメージして書きました。(一巻目を執筆していた頃は、私はまだ日本映画監督協会というところに勤めていたんです。) ※「乾いた花」…1964年公開映画。撮影時、加賀まりこさんは20歳。

幕末から明治へ 国芳とその弟子たちが生きた時代

――河治先生の作品は『国芳一門浮世絵草紙』に限らず、幕末を舞台にした作品が多いですね。幕末という時代に、どのような魅力を感じていらっしゃるのでしょうか。

河治さん:幕末というのは、世の中がひっくり返ったり天災があったり、疫病が蔓延したりで、まぁその時代を生きた人は本当にたいへんだったと思うんですが、それを……国芳は実在の歴史上の人物ですが、いわゆる歴史上の人物としてでなく、ふつうの庶民の一人としてどう生き抜いたのか……そんな視点で描いてみようと思いました。
同時に浮世絵は「浮世の有様を描いた絵」のことなので、やっぱりその時代を色濃く映し出しているわけで、国芳はその時代との切り結び方が絶妙なんですね。絵を見ていると、私たちが思っている以上に、江戸というのは、発想や考え方が自由で、馬鹿馬鹿しくて……そして粋(いき)であったように思います。

歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」
国芳の作品がもつ緊迫感は、どこかこれから迎える幕末の騒乱を予感させる。歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」個人蔵

――時代の切り結び方が絶妙! まさに国芳の作品からは、その粋を感じます。そして現在、文芸誌『きらら』に連載されている小説『ニッポンチ!』は、その後の時代、明治を迎えた国芳の弟子たちの物語ですね。

河治さん:国芳シリーズを書いているときから、いつか明治篇……国芳一門の後日談を書きたいなぁ、と思っていました。語り部はまたまた国芳の娘で。早世した登鯉の下には、もう一人……その名も、お吉という娘がいます。(登鯉に比べて、なんか名前がイマイチ地味です。国芳のヨシから……「吉(よし)」。)この次女の方は、明治になってからも結局ずっと絵を描き続けて、どうにか生きていたそうで……なんと春画を描いて暮らしていたというのです。若くて可愛いまま早世した登鯉に対し、妹のお吉の方は、うらぶれた老婆(といっても明治の頃は50過ぎたら〈老婆〉ですが!)として語り残されていて……それでも〈食べていくために〉細々と絵を描き続けたという話には……なんだか国芳の娘の、光と影を見るような思いがします。

――先ほどおっしゃったような幕末に生きる苦労とはまた異なる、明治という時代の生き辛さがあったことと想像します。その中で、次女・よしや弟子たちは、たくましく生きていきますね。

河治さん:タイトルの「ニッポンチ」は、明治の頃に本当にあった雑誌の名前です。「日本地」とも書きます。〈ポンチ〉って、今はほとんど死語ですが、昔は漫画のことを〈ポンチ絵〉といいました。ちなみに、「月とスッポンチ」というのもありました。いやはや、このネーミングのセンス!……なんだか、国芳のおちょくりスピリット感満載です。表紙がまた、今見ても斬新なので、下記に掲げておきます……富士山をまたいでいるんですよ。

『日本地』表紙
かつて国芳の画塾に通った河鍋暁斎は、国芳一門の素行の悪さを見かねた両親に連れ戻され、狩野派に転入。結果として、浮世絵師と御用絵師のふたつの経歴の間で文明開化の時流を読みながら、独自の画境に向かっていく。『日本地』の表紙に描いた、仮名垣魯文(右)と自身(左)の姿には、新しい時代の表現をめざす意気込みが感じられる。『日本地』表紙 神奈川県立歴史博物館蔵

……みんな懸命なんだ。
それぞれに新しい道を模索している。
「いいねぇ、ニッポンチ! ポンチで行こうぜ」

――「ニッポンチ!」第1回(『きらら』8月号掲載)より

――河治先生、このたびはお忙しい中、貴重なお時間をありがとうございました。『ニッポンチ!』今後の連載も楽しみにしております。

河治和香(画・杉井ギサブロー)
ご多忙の中、丁寧にインタビューに応じてくださった河治先生。国芳の描いた裃猫を元に、並んでご挨拶する河治先生のイラストまで添えてくださいました。(作画は、アニメ監督の杉井ギサブロー氏。)

河治和香(かわじわか) 東京都葛飾区柴又生まれ。日本大学芸術学部卒業。日本映画監督協会に勤めるかたわら、江戸風俗研究家の三谷一馬氏に師事して、江戸の風俗を学ぶ。『秋の金魚』で、第二回小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。他に、「国芳一門浮世絵草紙」シリーズ(全5冊)(小学館文庫)、「紋ちらしのお玉」シリーズ(全3冊)(角川文庫)、『未亡人読本』(新潮文庫)。

「浮世絵」から「ポンチ」へ

『国芳一門浮世絵草紙』1巻の冒頭で生首を拾ってきた少年・周三郎は、新雑誌『日本地(ニッポンチ)』を立ち上げる河鍋暁斎(かわなべきょうさい・1831-89)。4巻から登場する寡黙な少年・米次郎は、月岡芳年(つきおかよしとし・1839-92 ※実はとりと同い年。)。河治和香さんの新連載『ニッポンチ!』では、これら大人になった「最後の浮世絵師」たちが、次女・よしの視点から描かれます。そしてまた、『国芳一門浮世絵草紙』の懐かしい面々も登場。おもちゃ絵の藤ぽん、こと歌川芳藤(うたがわよしふじ・1828-87)や、若衆髷の女浮世絵師、芳玉(よしたま・1836-70?)の「その後」についても語られます。

『国芳一門浮世絵草紙』は文庫本で全5巻。読書の秋、そして芸術の秋に、ぜひお手にとってみてはいかがでしょうか。そして新連載『ニッポンチ!』は、小学館の小説雑誌『きらら』(毎月20日刊行)にて連載中です。太田記念美術館では、国芳親娘の作品を紹介する今回の企画展の次に、国芳の弟子たちの作品を紹介する「ラスト・ウキヨエ 浮世絵を継ぐ者たち ―悳俊彦コレクション」展(11月2日〜12月22日)も開催予定。小説を読むと、展覧会の展示作品に一層親しみがわきますよ。

小学館『きらら』2019年10月号表紙

◆歌川国芳 ―父の画業と娘たち
会 期 2019年10月4日〜10月27日
会 場 太田記念美術館(東京都渋谷区神宮前1-10-10)
休館日 10月7日、15日、21日
時 間 10:30〜17:30(入館は閉館30分前まで)
展覧会公式サイト

◆河治和香『国芳一門浮世絵草紙』小学館文庫
1 侠風むすめ 2007/05/10 ISBN:9784094081671
2 あだ惚れ 2007/12/06 ISBN:9784094082333
3 鬼振袖 2009/06/05 ISBN:9784094083965
4 浮世袋 2010/07/06 ISBN:9784094085280
5 命毛 2011/08/05 ISBN:9784094086409
作品公式サイト(小学館文庫)

取材協力:河治和香、小学館『きらら』編集部、太田記念美術館、神奈川県立歴史博物館(敬称略)

書いた人

東京都出身、亥年のおうし座。絵の描けない芸大卒。浮世絵の版元、日本料理屋、骨董商、ゴールデン街のバー、美術館、ウェブマガジン編集部、ギャラリーカフェ……と職を転々としながら、性別まで転換しちゃった浮世の根無し草。米も麦も液体で摂る派。好きな言葉は「士魂商才」「酔生夢死」。結構ひきずる一途な両刀。