「碌山」の号でお馴染みの明治期に活躍した彫刻家・荻原守衛(以下、守衛)は、渡洋して初めてロダンに学んだ日本人であり、“日本近代彫刻の父”として知られています。内から溢れ出る生命の躍動を感じられるような守衛の力強い彫刻を鑑賞するなら、長野県安曇野市にある碌山美術館が真っ先に思い浮かぶかもしれません。安曇野は少し遠方で……と鑑賞の機会を逃している方にオススメしたいのが、中村屋サロン美術館です。
1910(明治43年)に30歳で急逝した守衛が、留学から戻り日本で彫刻を制作した期間はわずか2年でしたが、守衛が若手の芸術家に与えた影響は計り知れません。そんな守衛は、どのようにして彫刻家を目指すようになったのでしょうか? 中村屋サロン美術館の学芸員・太田美喜子さんに、荻原守衛の作家としての生涯や、中村屋の創業者でありサロンに集まる芸術家たちのよき父、母のような存在だった相馬愛蔵とその妻・良(以下、ペンネームの「黒光」)との関わり、中村屋サロンでの交流についてお話を伺いました。