ウイルス対策で、博物館や美術館はどこもお休み中。休みの日に時間があっても、なかなか芸術作品や歴史資料に触れる機会もない……しかし、この手がありました!
編集者の私が、仕事でよく利用している「国立国会図書館デジタルコレクション」。国立国会図書館で収集している資料をインターネットで閲覧できるサービスです。
見やすい!……とは言い難いのですが、さすがは国立国会図書館の運営。おびただしい数の資料が収集されています。特に著作権の保護期間が切れている江戸時代の資料は、かなりの数を自由に観ることができるのです。
観られる作品のなかでも特にオススメしたいのが「博物画」の数々! このところ仕事で江戸時代の博物画を探すことがよくあり、その魅力にすっかりハマってしまいました。
江戸時代には、身近な植物はもちろん、当時世界のなかでも独自の発展を遂げた「江戸園芸」、はたまた鳥獣類や魚介類など、あらゆる動植物が博物画に描かれました。
それらは美しい絵柄を楽しみアートとして鑑賞することはもちろん、そして当時の貴重な記録としても楽しむことができます。
なかには、当時日本にいるはずのなかった珍獣や、伝説の生き物といったミステリアスなものも。
一枚一枚博物画をめくっていくと、「こ、こんな絵があったのか!」「この絵はあまり知られていないんじゃ……ムフフ」と自分だけの宝探しをしているような気分になってきます。
せっかくのコロナ禍の夜長、自分の好きなジャンルからお気に入りの一枚を見つけてみてはいかがでしょうか?
そもそも何のために描かれたの? 博物画の源流・本草学とは
これらの美しい博物画たちは、そもそも何のために描かれてきたのでしょうか? まずは日本の博物画の歴史をカンタンに振り返ってみましょう。
例えば、江戸時代中期、多才多芸の人として名を馳せた平賀源内。優れた発明家、はたまたコピーライターとして知られた天才も、バックボーンとする学問の一つとして持っていたのが本草学です。
江戸時代の博物画は、この「本草学」の流れを受けて制作されていきました。
名前からは、なかなかどういった学問なのかイメージできないですよね。ざっくり言うと、あらゆる動物や植物、鉱物などを対象に、人間に対してどのような薬効を持つのかをベースに研究する学問です。
本草学は、古くは中国で唐の時代におこりました。時代が進み、16世紀になると、明の李時珍という人物によってあらゆる薬種を記録した『本草綱目』という名著が完成。これが伝来したことで、日本の本草学はとくに江戸時代に栄えたと言われています。
本草学は医学的な記録でもあり、人々が口にしたりするものの効能を記録するため、人の生死を左右する学問でもありました。
当時は、現代と違って医薬品の審査などもなく、生物学的な全国共通の呼び名(いわゆる標準和名や学名)も浸透していませんでしたから、一歩間違うと名前を取り違えた情報や俗説、デマが伝わりやすい時代であったとも言えます。
そのため、名前とモノとがしっかりと一致すること、そして正確に記録することが本草学の基本でした。
そして道ばたの植物から海産物、鳥や岩石にいたるまで、フィールドワークや観察に基づいて、あらゆる動植物についての記録が残されるようになります。
17世紀後半以降はヨーロッパの自然科学の影響も受け、人との関係をベースにする本草学から、形態や生態、地方名など、より客観的な情報を記録する博物学的なものへと変化していきました。
オタクの力は絶大?! 博物画を描いた人々
これらの博物画は、研究を本職にする本草学者はもちろん、旗本や町医者、薬種商や植木屋といった商人など、さまざまな立場の人物によって制作されていきました。
彼らのように日々の暮らしに困らない裕福な人々が、本業の傍らライフワークとして研究することも多かったようです。
たしかに博物学の研究や絵描きは、それ自体ではなかなか飯の種にはなりません。さらにそれを図譜の形にするためにも多大な労力がかかります。好きなものであれば金銭や労力の投入を厭わない、現代で言う「オタク気質」が偉大な成果を残してきたと言えるかもしれません。
ちょっとした博物画の楽しみ方ガイド
博物画を探すといっても、どうやって始めたらいいのか難しいですよね。
じつは国立国会図書館が、直々に電子展示会「描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌」というサイトで、たくさんの作品をまとめてくれているのです。助かる……!
こちらのサイトからは、デジタルコレクションの該当ページへ各作品からリンクされているので、作品名を知らなくても気軽にアクセスできます! まずは気になった絵柄の作品をパラパラとめくってみてくださいね。
オススメの楽しみ方① 好みの絵柄を探してみる
彼らが残してきた博物画は、記録であることを超えて、アートとして楽しめる美しい作品もたくさんあります。
そんな中でも個人的に大好きなのが、魚や植物、鳥、虫や菌類など、さまざまなジャンルをまたいで作品を残している旗本・毛利梅園(1798〜1851)。
初めて江戸時代の博物画を観るなら、梅園の作品はすべてのジャンルが高いレベルで描かれており、とてもオススメです。
梅園は幕臣でありながら自ら筆をとって写生に熱中し、模写も多かった時代に、自ら採集したものや知人から得た「実物」を描くことにこだわりました。
魚類や鳥類、草花や菌類など、さまざまなジャンルを描きまくり、一連の作品は『梅園画譜』と呼ばれ、その時代の貴重な資料になっています。
その筆致はとても生き生きとしていて、実物をしっかり観ているからか、構図もダイナミック。「とりあえず記録しました」というところをはるかに超えて、何か訴えかけてくる力があります。彩色も含めて、幕臣が自ら描いたとは思えないレベルの高さですよね。
先ほどの「描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌」では、梅園をはじめ、主要な作者の作品が幅広くまとめられています。ぜひ、ご自身の好きなジャンルから好みの絵を探してみていってくださいね。
オススメの楽しみ方② 珍記録を探してみる
博物画をパラパラと観ていて時々びっくりするのが、伝説上の生き物や珍獣に出くわすこと。美しい絵を楽しむだけでなく、こういったミステリー的な楽しみ方もオススメです。
先ほどの毛利梅園の作品の中でも、『梅園魚譜』を何気なくめくっていると、普通の魚たちのなか、突然リアルな人魚図が登場します。
実物を見て描く、ということにこだわった梅園にしては珍しい作品です。見た目の特徴についても、「耳は猿の如し歯はするどく……」などと詳しく記されています。
実物主義の梅園をして、どうして人魚を描いたのか、そしてその情報はどこから得たのかなど、興味深い作品です。
ツノがあり、口が5つあるなんとも奇妙な外見です。『異魚図賛』は神田で八百屋を営んでいた奥倉辰行が、栗本丹州の作品から奇魚を抜き出して転写したもの。
コレクションの解説では、その正体は「アカナマダ」とされています。実在する珍しい深海魚ですが、頭が突き出し気味なこと以外は、実際の姿とはかなり違っています。伝聞した情報をもとに、想像で描き起こしていったのでしょうか?
国民的妖怪・カッパ。江戸時代はカッパの存在が信じられていて、専門書も存在したそう。この『水虎十二品之図』は、文政3年(1820)にまとめられた資料集『水虎考略』を増補した資料から転写されたもの。2足歩行・4足歩行という違いがあったり、表情もさまざまです。
「水虎(すいこ)」という名前は、もともと中国から伝来した『本草綱目』に記されていた川にいるというカッパとは異なる妖怪をさしましたが、日本でカッパと混同されて使われていったようです。
鎖国していた状況とはいえ、オランダや清をはじめとした外国船によって珍獣たちが持ち込まれていたようです。愛玩用や見世物として利用され、各地の藩主たちも飼育するために買い求めたそう。
「豪猪」と呼ばれたヤマアラシは、あの水戸光圀が飼育していたと言う記録もあります。
お家でできる博物画めぐりを
観る人によって、さまざまな楽しみ方ができるのが博物画めぐりの楽しみ。この記事で紹介した作品はすべて国立国会図書館デジタルコレクションで観ることができます。
じっくり時間が取れる今だからこそ、自宅から気軽にタイムスリップしてみてはいかがでしょうか。
〈参考文献・サイト〉
電子展示会「描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌」
https://www.ndl.go.jp/nature/index.html
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp
杉本つとむ『江戸の博物学者たち』講談社学術文庫