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2016.03.03

平安のスーパースタ-!空前絶後の空海&最澄!おかざき真里『阿・吽』

この記事を書いた人

セバスチャン高木の日本のことはすべてマンガが教えてくれた

『阿・吽』 おかざき真里

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こんにちはセバスチャン高木です。突然ですが、私、最近ずっと悩んでおりました。何を悩んでいるかというと、250を超えてしまったΓGTPや芥川賞をとった羽田圭介さんはどこまでいっちゃうんだろう?ということではまったくありません。
  
何を悩んでいたかというと、小学館から発行されている雑誌、和樂の公式HPに和樂編集部日記というコーナーがありまして、私の上司である暴君編集長(当時:現和樂公式キャラクター)のアンドリュー橋本が「内覧会狂騒曲」という美術展のレポートを、私が「Never die to see!」というこれまた美術展のレポートを連載していたのですが、これまったくテーマがかぶってますよね!!!(ちなみにこちらのブログは2016年3月に書いたものをちょこちょこと修正して使いまわしています。アンドリュー橋本は今では和樂の公式キャラクターを勝手に卒業してしまいましたし、和樂編集部日記もひっそりと終了してしまいました)

40代半ばで日本の古式ゆかしきサラリーマン縦型社会のぬるま湯にどっぷりつかっている私にとって、上司である編集長とネタがかぶること、さらには、万が一そのレポート内容が上司を上まわってしまうことなど、一番避けなければならないことなのです。

しかしある日のことです。そのことが現実に起きてしまいました。

先日、アンドリュー橋本が母国英国へ里帰り中のため、代理で三菱一号館美術館で開催中の「画鬼・暁斎」展のレポートをしました。すると、結構自慢なのですが、そのレポートがアンドリューのいつものレポートをはるかに凌駕する反響を獲得してしまったのです。

しかし、これは「出る杭は打たれる」「目立たず、騒がず、出世せず」を座右の銘として生きてきた私にとっては、可及的速やかに解決しなければならない問題です。

「どうする?セバスチャン???」悩み抜いた私が出した結論、それは、「ブログ変えちゃおっと!」ということでした。だってブログのテーマさえかぶらなければ、さすがに女性誌界最凶の男とささやかれるアンドリューの逆鱗にふれることもないでしょう。

和樂の仕事もなんとか漫画で乗り切った!

でも、「なんのブログ書く?」そう悩んでいた私が仕事をさぼってtwitter活動に勤しんでいたところ、なんと!大好きな漫画家おかざき真里先生が和樂を読んでくださっていることを知りました。

その時私はハッとしたのです。和樂に配属になって12年、「その間ずっとおまえを支えてくれていたのはマンガじゃないか!」と。(それが今や私が編集長ですよ!びっくりポンやわ)

12年前、和樂に異動してきた私を待ち構えていたのは、日本文化に精通したスタッフのお歴々。そして、取材先はといえば、これまた日本を代表する文化人の方々。ふつうの大学を出て、たまたま出版社に入社した私がとても太刀打ちできるような方々ではありません。しかもその前はファッション誌にいたんですよ!これでも。

「こんなところでやっていける?」と不安を覚えていた私でしたが、これがなんと!意外とやっていけたんです。専門分野を持つスタッフや文化人の方々が語る日本文化の話を知った顔でふんふんと相づちを打つ程度ですが、なんとかついていくことができたのですよ、これが!

そして、それを支えてくれたのが、私が5歳の時から片時も離さずにいたマンガだったのです。

手塚治虫先生の「ブッダ」、山岸凉子先生の「日出処の天子」、大和和紀先生の「あさきゆめみし」など、かつて愛読したマンガから学んだことがここにきて結実したのです。ありがとうマンガ!Viva Manga!

あれ?これってどこかで聞いたような話ですよね。そう、最近大ヒットして映画化された「ビリギャル」が歴史を学んだのと同じ手法です。私も彼女と同じように、マンガを読むうちに知らず知らずのうちに日本文化を大掴みしていたのです。「ビリギャル」ならぬ「ビリ男」もしくは「ビリ親父」ですね。

兎にも角にも私がマンガから得たもの、それを少しでもみなさんにお裾分けできるのであれば、マンガと日本文化を愛する私にとって望外の喜びです。前振りが長くなって本当に恐縮ですが、そんなわけでブログタイトルを「日本のことは全部マンガが教えてくれた」に改題することにしたんです。

平成の日出処の天使が誕生した!

そして、記念すべき(自分で言うな!)その1回目はもちろん、本コラム誕生のきっかけを与えてくださったおかざき真里先生が月刊!スピリッツで連載中の最澄と空海の物語「阿・吽」(あ・うん)です。(結局このコラムは第三回でびたっと止まっています。は、は、早く再開しなくちゃ!)

タイトルとなった阿吽とはサンスクリット語で、最初の字音である「ア」と最後の字音である「フーム」を示す言葉。そこから転じて万有の始原と究極を象徴する言葉となりました。東大寺の仁王門で金剛力士像二体の口がそれぞれとっている「あ」と「うん」と言えばわかりやすいですね。

日本が生んだ仏教界二大スーパースターの最澄と空海は、ともに万物の真理を探求せんと日夜修行に明け暮れました。果たしてふたりがそこにたどり着いたかは定かではありませんが、そのふたりのマンガに「阿・吽」と名付けるとは、タイトルからして名作誕生の予感がぷんぷんとします。「源氏物語」をテーマとしたマンガに「あさきゆめみし」と名付けた大和和紀先生を彷彿させるところがあります。

さて、「阿・吽」の作者であるおかざき真里(敬称略で失礼します!)と言えば、『サプリ』や『&-アンド-』に代表される作品において、働く女性の物語をリアルな心理描写と洗練された絵で描いています。

そのおかざき真里の最新作が最澄と空海の物語?????最初その話を聞いた際は「ええ?うそでしょー」と思ったものですが、単行本の一巻を読んだ時、あくまでも読者視点ですが、「ああ!これは山岸凉子の日出処の天子のおかざき版だ」と腑に落ちました。(これも自慢ですが、このことは第二巻の帯で図らずも証明されたのです)

山岸凉子の「日出処の天子」を初めて見た衝撃は30年以上を経た今でもはっきりと覚えています。ほんと「なんじゃこの聖徳太子は!」だったのです。

だってそれまで聖徳太子と言えば、お札に描かれた杓を持った姿と十七条の憲法を制定したというイメージがあまりに強すぎて、とても自分と同じ人間とは思えませんでした。

そのごりごりに固まった聖徳太子像を『日出処の天子』は今風に言うとBL的な描写でこっぱミジンコに打ち砕いたのです。

空海と最澄は涅槃にたどり着くのか?

『阿・吽』はそれと同じような衝撃をウン十年ぶりに私にもたらしました。おかざき真里が描く最澄と空海は超イケメンかつ人間くさくて、えらいお坊さん(ほんと、ひどい言葉すみません!)はなんとなく枯れていて最初から超越した存在だったんじゃない?といういつもながらの固定観念をふっとばしてくれたのです。

そんなオシャレな最澄と空海がくりひろげる物語は(オシャレなのは絵だけでストーリーは骨太です)本編を読んでいただくとして、『阿・吽』で読んで私がびっくりしたことがあります。それは「文字の存在がすごく視覚的だなぁ」ということです。

たとえば最澄が経文を読んでいる場面では、経文から文字が虫のように飛び出してきて、最澄の身体を取り囲んでいきます。

今のように文字がそこかしこにあふれている時代とは違い、最澄と空海が生きていた時代って、文字ってここに描かれているように確かな質量を持っていて、経文を読むということはそれを身体に取り込むことだったのかな?などと思わせてくれるのです。それを本能的に感じ取って表現するとは、おかざき真里恐るべし!ですね。

そしてもうひとつ、『阿・吽』を『阿・吽』たらしめているものは、「ごちゃごちゃと男が頭で考えていることを女性はその身体性でやすやすと跳躍していくなぁ」ということです。

物語の中でひとりの女性が最澄を誘惑してきます。最澄はあれこれと論を説いてニルバーナ(涅槃静寂)の重要性を伝えようとするのですが、学がない女性にとってはちんぷんかんぷんです。

しかしながら皮肉なことに、最澄があれほど経文を読んでも得ることができなかったニルバーナを、作中、身体を修行僧に託して毎日の食を得ていたその女性が一瞬垣間見たような描写があったのです。実はこれはひとつの真理なのではないか?男性が何十年修行しても得られないものを、女性は一瞬にして超越する瞬間があるのではないか?だとすれば最澄と空海はどこへ向かうのか?そんな疑問を抱きました。

最澄と空海は、おそらく日本史上屈指の知能と才能をもつ天才でしょう。こんな天才たちのことを頭で理解しようとしても無理な話です。ですが、おかざき真里は女性という身体性をもって
まったく別の世界観を描ききるのではないか?二巻を読んでそんな期待さえ抱きました。

『阿・吽』はどこまで飛んでいくのかわからない最澄と空海の新しい物語です。Never die to see!

第6巻2017年6月12日発売!

✳︎本稿は2巻発売時に書いたものです。『阿・吽』6巻は2017年6月12日発売ですが、2巻発売時に抱いた感想はまったくかわっておりません。「この漫画が終わるまで僕はしにましぇーん!」と思いつつ、和樂も負けてはいられない!と決意を新たにする毎日です。

『阿・吽』(あ・うん)(1〜6巻)
おかざき真里 監修・協力/阿吽社