日本文化に欠かすことのできない「畳」。そして、茶道、華道、柔道など、「道」がつく日本文化の根底を成しているのが、着物をまとい居住まいを正して座ること。それは畳の存在なくては語れません。しかし海外の文化の流入や現代の住宅事情において、畳のある生活は影を潜めてきています。今こそあらためて、畳と日本文化の深く長い関係について、考えてみませんか。
日本文化は「畳」と共にありました
現存最古の絵巻「源氏物語絵巻」には、畳が細やかに表現されていました。ここから、平安時代の宮廷生活には、すでに畳が一部敷かれていることがわかります。「東屋」の帖を見ると、高位の人がいる奥の部屋の畳縁(たたみべり)は繧繝縁(うんげんべり)、手前の部屋の畳縁はその下の位の高麗縁(こうらいべり)と、地位により柄が違うことまで描写されているのです。
日本文化の代表「畳」は京都御所や国宝にも!
京都御所内で畳文化の歴史を色濃く残すのは、「昼御座(ひのおまし)」。儀式の際などに天皇が御座された厚畳が見受けられます。畳がまだ部屋に敷き詰められるものとなる以前の、上流階級社会でしか使用されていなかったころの貴重な資料。畳縁は、最も位の高い繧繝縁。
茶人・千利休が設計に携わったとされる、現存唯一の茶室 国宝「待庵(たいあん)」。華美な装飾を省き、簡素を極めた二畳の空間だからこそ、畳の存在が際立ちます。贅沢ではないけれど豊か。そんな“わび”の心が、この茶室には込められているようです。
撮影/岡本写真工房(岡本茂男)
世界に誇る「浮世絵」にも登場
幕末から明治期にかけて活躍した浮世絵師・月岡芳年(つきおかよしとし)晩年の傑作「月百姿」には、畳が描かれています。「名月や畳の上に松の影 其角」は、畳に松の木の影を映し出すことで、月を描かずとも月明かりを想像させるという大胆な構図に。
月岡芳年「月百姿」国立国会図書館
スポーツも日本文化。感動の瞬間は畳の上で
’84年ロス五輪の男子柔道決勝。右足を痛めていた山下泰裕選手と、そこを狙わなかった相手選手のフェアプレイに、世界中が涙しました。スポーツマンシップが話題の昨今、畳の上で大和魂について考え直したい! ちなみに厳密に言うと、現在柔道で使われているのは畳を模したマットです。
朝日新聞社/PPS通信社
日本文化のうえで発展した「畳」の歴史
畳は日本で生まれ育ち、発展してきた固有の文化。古くは奈良時代の「古事記」に畳の記述はあり、今日まで、畳文化は引き継がれています。
最初はござのようなものを重ね、寝具としていましたが、平安時代になると、畳は上流階級における権力の象徴へ。「置き畳」のようなものを必要な場所に置いたり、部屋の一部に畳を敷いていたようです。畳縁もまた、位によって使用できる素材や柄が定められていました。
その後、室町時代から安土桃山時代にかけての茶道の発展により、日本建築が大きく変化。茶室や四畳半という概念が生まれ、畳は部屋全体に敷き詰める様式に。合わせて日本人は正座をするようになりました。つまり畳が「正座」という座り方を確立させたのです。茶道のほかにも書道、華道、柔道など、日本に根づく「道」がつくものはすべて畳と深いかかわりが。畳が日本人の精神をつくり上げた基盤と考えられます。
しかし近年再び、畳が日本人の生活から縁遠くなっています。外国と同じような暮らしは便利ですが、日本人なら、畳の上で過ごす穏やかな時間も忘れたくありません。い草の青々とした香り、足を乗せたときの優しい風合い。だれもが感じる一種の懐かしさはつまり、日本らしさ、なのでしょうか。時代を経てその形や様式は変わっていますが、いつでも、敷いているのは「ニッポンの心」なのです。
「人倫訓蒙図彙」(部分)国立国会図書館/江戸時代前期の生活を図解した風俗事典「人倫訓蒙図彙」に登場する畳師。針を持って畳縁を取り付けている様子がわかる。
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