修学旅行や遠足も含めて、京都・奈良を訪れる人は多いと思います。でも、そこで日本を代表する木造建築を目にした時、一体どうやってつくられたのか?というところまでは考えないんじゃないでしょうか。何を隠そう、私もそうでした。すごいなーとは感じても、どこか人が関わっているという実感が伴わないというか。そこで、日本の木造建築に使われていた道具と技の歴史が学べると評判の、竹中大工道具館へ出かけてみました。
世界最古の木造建築、法隆寺建設でも使われた大工道具!
いきなりですが、これなんだかわかりますか?ヤリガンナという大工道具です。法隆寺など飛鳥時代(592年~710年)の寺社建築で使われていたもので、現在の鉋(かんな)と同じように木の表面を削ってなめらかにする道具です。鉋と聞くと四角い形がすぐに頭に浮かぶと思いますが、室町時代までは、この形が主流だったのです。
伝統的な木造建築の技を伝えるために、集めた大工道具約1万8000点
竹中大工道具館には、ヤリガンナをはじめ、約1万8000点もの大工道具が所蔵されています。貴重な文献資料なども合わせると、3万5000点余り。日本で唯一の大工道具の博物館として、国内はもちろん、海外からも来館者が訪れます。
株式会社竹中工務店は、慶長15(1610)年創業の古い歴史を持つ建設会社です。高度成長期に社長を務めた竹中錬一(たけなかれんいち)さんは、伝統的な木造建築技術が途絶えるのではと危機感を持ちます。館長の西村章(にしむらあきら)さんは、開館の経緯について、「コンクリート、鉄骨の耐火建築やプレハブ住宅が増加し、さらに大工道具が電動に変わり、昔ながらの木造建築技術が低く評価されていた時代背景があります。大工道具の展示によって、広く一般に木造建築の伝統やそれをつくった匠の技を伝えようとしたのです」と語ります。
大工道具は品質の良いものほど、摩耗するまで使うので、消滅してしまう宿命にありました。苦労しながら全国や海外からも大工道具を集めて、5年の準備期間を経て1984年に神戸市中山手に旧館をオープン。2014年には、大正時代の初めに本社があった現在の場所に新築・移転しました。
石を使うことから始まった大工道具の歴史
道具の始まりは、はるか昔、縄文時代の石です。そして弥生時代には、鉄が使われるようになります。これは労力が半減し、クオリティもアップする大きな出来事でした。竹中大工道具館では、どれだけ時間が短縮されたのか、それぞれ実際に、大工が大木を使って検証している映像も展示しています。石斧だと切り口がちぎれたような形状だったのが、鉄斧だときれいになっているのがわかります。
日本独自の発展を遂げた大工道具
その後、中国、朝鮮半島から伝わったヤリガンナなどの大工道具を中心にして、木造建築がつくられます。用途によって細かく使い分ける大工のニーズに合わせ、次第に日本独自の発展を遂げていくことに。世界でもまれに見るような多様性と、独自性を持つ大工道具が数多く作られていったのです。
こちらは天保12(1841)年から慶応元(1865)年に、京都伏見の桃山天満宮を建てた後に、奉納された大工道具59点。柱や土台といった主要構造部以外の、造作用の道具も多く、鉋(かんな)も小さなサイズのものが見られます。これらの道具は1人の大工の持ち物だったことから、数多くの道具を使いこなしていたことがわかる貴重な資料となっています。
鉋(かんな)を使って、様々な形の面取りをした実例も紹介しています。向かって右から二番目は、鉋で削った角が瓢箪(ひょうたん)に見えることから瓢箪面と呼ばれます。細かい箇所にまで神経を使う日本人の美意識なのでしょう。
迫力満点!唐招大寺金堂の柱と屋根の原寸模型
博物館の中でひときわ目を引く展示があります。それは、奈良県・唐招提寺金堂の柱と、巨大な大屋根の実寸大模型。間近で見ると、その迫力に唖然とさせられます。147の木のパーツを組み合わせて形をなしていることに、ただ、ただ驚き。
床に描かれた原寸図の展示を見ながら、西村さんが説明してくださいました。「寺院建築の様式は大陸から伝わりましたが、日本は雨が多いので軒を、大きく張り出しています。ただ大きく張り出した軒を支えるために、尾垂木(おだるき)という太い部材を軒先から建物内に入れて、てこの原理で支えています。そのため、木と木を組んでいくだけで頑丈なつくりになっています」。
あえてのスケルトン茶室
大工や左官の仕事ぶりがわかるようにと、あえて壁や天井を仕上げ畳を入れる前の骨組みの形にしてある、スケルトン茶室も興味深い展示です。靴をぬいで座敷に上がることもできるので、取材時には海外からの来館者が熱心に観察している姿に出会いました。
こちらは江戸時代中期の茶室の傑作、大徳寺玉林院の蓑庵(さあん)をモデルにしています。数寄屋造り(すきやづくり)と呼ばれる茶室は、素朴な優美さが特徴。壁はあくまでも薄く、柱も細いものが使われます。太い小屋梁や壁に塗り込められた力貫(ちからぬき)など、補強している箇所は外からは見えないように工夫するなど、細やかな配慮を感じる建築です。数寄屋造りの大工は、お茶の心得も必要なんだそうです。
宮大工の棟梁のスピリット
奈良斑鳩(いかるが)の宮大工として名高い西岡常一(にしおかつねかず)さんのコーナーは必見です。西岡さんは法隆寺の昭和の大修理や、薬師寺の伽藍(がらん)復興という難事業を成し遂げました。法隆寺修復時、解体した建築部材の加工跡を基にして、創建当時使用したヤリガンナなどの古代の大工道具を復元。棟梁として自らそれらの道具類を使いこなして修理するほどの情熱を注ぎました。
この改修は昭和9(1934)年から第2次世界大戦を挟み、30年もの長きにわたりました。生活の行く末が不安定な時期があったにも関わらず、職務をやり遂げた宮大工の心意気を感じます。
こちらのコーナーでは、西岡さんが残したメッセージ性のある肉声の数々を、ボタンで選んで聞けるようになっています。道具の手入れが何よりも重要と感じられる言葉が、「道具は手の延長である。大工というのは、木を刻む専門家。自分の心のままに道具も切れなければいけない」。
木を知り尽くした名人の言葉として、「山の中腹で強く育った木は建物の梁や柱に使え、谷で育った柔らかい木は建具など造作用に使え、適した場所に木を使えば建物は長持ちする。もしこれが忘れられたら、法隆寺や薬師寺も今日までなかっただろう」。
「仕事の構想を伝えると、皆が心の中に完成の形が描ける。命令されなくても、仕事の段取りができるようになる。とにかく、人を信頼してまかせる。それが棟梁の仕事だ」
この言葉は、大工の世界に留まらず、様々な業種のリーダーの指針になりそうです。
伝説の名工がつくった極上の大工道具
歴史に名を刻む鍛冶の仕事を知るコーナーもあります。伝説の名工、千代鶴是秀(ちよづるこれひで)がつくった道具類は、美しい光を放ち、知識がなくても凄みが伝わってきます。名門刀匠家に生まれた千代鶴は、明治時代に入って廃刀令の影響から大工道具をつくるようになります。用と美を兼ね備えて、大工道具を芸術の域に昇華させた伝説の名人と言われています。
こだわりが詰まった居心地の良い空間
竹中大工道具館は、施設自体も現代の名工達の技が惜しみなく使われています。まず入り口では、大工道具チョウナを使った印象的なデザイン、名栗仕上げ(なぐりしあげ)の自動扉が出迎えてくれます。ロビーの天井を仰ぐと、天然木で組まれた木材が絶妙なバランスでやわらかな曲線をえがく船底天井。中庭をめぐる回廊に面した壁面は平らな壁に、左官職人がコテだけで凹凸をつけた伝統技術とモダンデザインが融合した見事なもの。中庭の床には江戸時代から使われていた「だるま窯」という昔ながらの窯で焼成した、淡路のいぶし瓦を使うといったこだわりです。
建物は鉄筋コンクリートですが、感じるのは和のティスト。見えない部分で現代の技術を駆使した補強を行い、居心地の良い空間をつくりだしています。地上1階、地下2階建ての設計は、周囲の神戸の景色と調和して、都会のオアシスの風情です。コーヒーを飲みながら中庭が楽しめる休憩室は、ほっこりと和めておすすめ。「五感で楽しめる工夫を凝らしている博物館です。来てもらったらきっと伝わると思いますよ」と館長の西村さんは自信を覗かせます。
竹中大工道具館基本情報
住所:神戸市中央区熊内町7-5-1
開館時間:9時半~16時半(入館は16時まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)年末年始(12月29日~1月3日)
入場料:一般500円、シニア(65歳以上)200円、大学生・高校生300円、中学生以下無料
公式ウェブサイト
※2020年3月31日(火曜)まで、新型コロナウイルス感染症の感染予防・感染防止のために臨時休館しています。状況に応じて、休館期間変更の可能性があります。詳しくは、ウェブサイトでご確認下さい。