江戸と散歩と食を愛した作家・池波正太郎氏の小説『仕掛人・藤枝梅安』。この作品に登場する江戸の料理や食を解説した『梅安料理ごよみ』(佐藤隆介・筒井ガンコ堂編)のなかに「ごはんの唯一の欠点はおいしすぎること」という一文が出てきます。初めて読んだ日以来、その言葉を呪文のように唱えて、おかわりへの罪悪感を減らしている”ごはん”党な私です。そんな私がここ数年気になっているのが、ごはんのおいしさを引き出す“おひつ”の存在。昔はどこの家庭でも使っていた木製のおひつ。釜から茶碗にごはんを盛るのは“釜飯食い”とはやされたように、暮らしの嗜みでもありました。東京の手仕事シリーズ5回目は、東京で唯一おひつを手掛ける深川の「江戸結桶・桶栄」へ。作り手の想いや使い手の言葉から見えてきた、おひつの魅力とは?
昔から一目置かれる、おひつ職人
江戸中期の風俗史『守貞謾稿(もりさだまんこう)』には、「江戸では朝に飯を炊いて味噌汁とあわせて、昼と夕べには専ら冷や飯を食べた」とあります。朝から炊き立ての白米が食べられることをご自慢とした江戸っ子ですが、お昼に飯櫃からよそって食べる冷や飯もおいしかったはず。調湿効果に優れたおひつは、炊き立てのごはんの余分な水分を吸湿して粒だちよく、硬くなる冷や飯は保湿をしてもっちりと、おいしいごはんに保ってくれるから。そう教えてくれたのは、おひつを作り続けて30余年、「江戸結桶・桶栄」(以下、桶栄)4代目の川又栄風さんです。
結桶(ゆいおけ)とは、割り板を丸や小判形にあわせて竹材や金属の箍(たが)でまとめた、おひつ、風呂桶、盥(たらい)、水入などの、道具のこと。鎌倉時代末期には作られはじめ、室町時代以降の酒造業や醸造業などの発達とともに広まっていきます。江戸時代には、人びとの暮らしはもちろん、さまざま産業に欠かせない道具でした。それゆえ江戸の町にも、多くの結桶職人が暮らしていました。当時は風呂桶の職人は風呂桶を、櫃職人はおひつを、と専門で手掛ていたとか。なかでもおひつを手掛ける職人は、米が古(いにしえ)より神聖な糧であったこと、また練達な技量が要求されたこともあって、一目置かれた存在だったそうです。
江戸薫る深川、桶栄がこの地に工房を開いたのは明治20(1887)年のこと。日本中からいい木材が集まる木場が目と鼻の先ゆえに、近くには材木問屋をはじめ指物や建具などの木を扱う職人が暮らしていました。創業時から、おひつを手掛けてきた桶栄。初代のおひつは形の美しさや丈夫さが評判をよび、多くの料亭で使われていたと言います。今では、初代から受け継ぐ被せ蓋つきの江戸櫃(えどひつ)や手桶や花入れ、さらに当代が生み出したコンテナ櫃やボトルクーラーなどの木工芸品を手掛けています。おひつと言えば素朴なイメージですが、桶栄のおひつは洗練された雰囲気をまとっています。その理由はこだわりの材や技法にありました。
樹齢300年の椹でつくる、機能性と姿にこだわったおひつ
桶栄のおひつは、樹齢300年以上の椹(さわら)を材としています。軽くて手触りがよく、耐水性や抗菌効果があり、ごはんの香りをそこなわないほのかな香りという、おひつにはとてもふさわしい素材。「昔から付き合いのある材木問屋で原木をまるごと仕入れています。自然のものなので一本一本かなり違いがありますね。それを1年以上乾燥させてから、玉切りして割っていきます」。木の割り方は、年輪の目を断ち切るように直角に近い角度で切り出す柾目(まさめ)取り。柾目取りは材に狂いがでにくく、調湿性能が高いため、おひつやすし桶などに適しているものの、原木からはわずか2、3割しか取れません。そして柾目取りができるような大きさの原木を手に入れることは年々難しくなってきているそう。「木を割ってからも安定させるために半年以上置いておく。その後に、1日かけて加熱乾燥します。
それから木のなりにあわせ組み方や削り方を考えていきます」。
長い時間をかけて下処理をした柾目の割り材を裾すぼまりの桶の形にあわせて、角度やカーブを考えて数種類の鉋や繰り小刀で削り仕上げていきます。手馴染み、保温や調湿のための厚み、柾目の意匠を頭に置き、割り材を何度も削りあげて、それらを箍で束ねてさらに磨きあげていく。機能と姿を追求した桶の厚み、ぴしりと揃った蓋の柾目、磨き抜いたなめらかさ、手仕事でしかできない細やかな技のすべてが道具への洗練さへとつながっています。また当代からは、箍を木肌になじむ洋白銀へと見直したことで、よりさっぱりとシンプルな印象になりました。
こだわりの材から形になるまで100以上はある工程をすべて、ひとり手作業でこなす川又さん。「機械だからだめ、手作業だから優れているわけではありません。初代から受け継いできた技法が、よい道具を作るために一番のいい方法だと思っているだけ」。
受け継いだ技で次の時代に求められる定番を
川又さんが家業を継いだのは25歳のころ。大学卒業後はアパレル企業で働いていましたが、ものづくりに興味が沸きはじめて、「家業に心が向くように。父は反対しませんでしたが、一人前になっても生活していけるかは心配していたようです。それからは父のもとで修業をはじめます」と、職人の道へ。遅いスタートだからと、猛スピードで技術の習得に励みます。とはいえ、「指示通りに鉋(かんな)の刃を研ぎ、父と同じように使っても、うまくは仕上がらない。父も職人なので、言葉を尽くして説くわけでもない(笑)。どうしたらいいのか……」、と思案に暮れたことも。しかしあるとき、体格や力が違うのだから同じ研ぎ方や削り方でいいわけがない、と気がつきます。「刃の角度や力の入れ方など、自分にあわせて捉えなおすことが大事だと。それからは鉋仕事もつかめてきた」。
10年経つころには、一人前の職人として納得のいく道具を手掛けられるように。経験を積み重ねるなかで伝統工芸の可能性を模索してきた川又さん。自らが考えてきた新たなものづくりをはじめます。「今の時代にあわせたサイズや暮らしに馴染むように和の意匠が強すぎない道具を作ってみよう、と」。そうして完成したのが、ごはんはもちろんパンや菓子入れにできるコンテナ櫃やボトルクーラーにもできるオーバルコンテナなど。時代にフィットした道具は、いままでのご贔屓筋だけではなく新たな使い手を呼び寄せました。とはいえ、それらは今の時代だけを意識したものではありません。「素材や形など時流にあわせた一過性の商品ではなく、古びることのない定番となる道具を作っていきたい」。ここ数年、伝統工芸が見直されてきたこともあってさまざまな提案がもたらされるとか。しかし、それが次の時代に求めれるものなのかを常に見極めていると話してくれました。
銀座の寿司職人もうなる、手馴染みのよさと汚れにくさ
桶栄の道具に信用を寄せる使い手はたくさんいます。東京は銀座にある、「すし椿」。競りで一番のまぐろやうにを買い付けるなどネタにはとことんこだわり、きっちり江戸前の仕事をした寿司をいただける店です。その「すし椿」の寿司職人頭である和田安弘さんも、桶栄の道具には信頼をおいています。30余年の職人歴のなかで、さまざまな道具に触れてきた和田さん。その経験から桶栄のおひつやネタ箱のよさをこう語ります。「桶栄の道具はとても美しいでしょう。木目の詰まったいい材で仕事をしていることがすぐにわかる。桶栄のおひつやネタ箱は、もともとの材から水分やアクが抜けきっているからか、長く使っていても反りや隙間ができたりしないし、また汚れやカビがつきにくい。日々使うものだけに、他の道具との差をはっきりと感じます」。
すし飯を握る、ネタを出し入れする、常に手を触れているからわかることがあると言います。「おひつにしてもネタ箱にしても、なめらかで手馴染みがいい。また蓋には、すっと指をかけられる余白がある。それがあるだけですごく使いやすくなる。職人はキチっとするのがならいになっているから、蓋に余白をもたせることはあまりない。そういう些細なところにも使い手のことを考えた道具だと実感しますね」。鋭敏な手を持つ寿司職人だから感じる、道具にこめられた細やかな技巧。木曾檜の広いカウンター奥には、誉め言葉をうけてどこか誇らしげなおひつがありました。
海外からも注目される暮らし豊かにする道具
日本の伝統工芸やものづくりは、国内のみならず世界からも関心が高まっています。桶栄も海外の展示会への出店や海外からの客が工房へ買い付けに訪れることが増えてきているそう。その反応については?「一本の木で作るだけでなく、木目まであわせている作り方が非常に日本的だと驚かれます。特にフランスの方からは、ものづくりの背景や作り方などに興味や関心を持たれることが多いですね」。江戸のころは日用品だった結桶は、今や海外からも注目される伝統工芸品に。そして、おひつは暮らしの道具から暮らしを豊かにする道具へと。確かに価格だけを見ると決して安いものではないかもしれません。何にどれだけお金をかけるかはその人次第なのですが、高級炊飯器を買うならば桶栄のおひつを選びたい私です。
いつかは欲しいと憧れる、用を極め美しさを湛える桶栄の道具です。
江戸結桶 桶栄
住所 東京都江東区千田6‐10
電話番号 03‐5683‐7838
http://okeei.jp/
すし椿
銀座の高級店でありながらも、女将やスタッフのあたたかなおもてなしのなか寛いだ雰囲気で、江戸前鮨の伝統を大切にした練達職人が握る鮨がいただける。ランチは5,000円~、夜はおまかせ20,000円~(ともに税抜)
住所 東京都中央区銀座7‐7‐6
電話番号 03-3572-7807
営業時間 12:00~14:00、17:30~22:00
休日 日祝日
http://sushitsubaki.jp