宇多天皇(うだてんのう)は、皇族でありながら「姓」を賜り、臣下の立場から天皇となった人物です。宇多天皇自ら政治を行った世は「寛平(かんぴょう)の治」と呼ばれ、理想的な時代と捉えられました。
「寛平御時后宮歌合(かんぴょうのおんとききさいのみやうたあわせ)」「亭子院歌合(ていじいんうたあわせ)」など、和歌を好んだ宇多天皇の時代は文化面でも興隆し、多くの歌人が活躍しました。
ところでそんな宇多天皇が、実は無類の猫好きであったことをご存知でしょうか?
この記事では、宇多天皇の猫愛がわかるエピソードを紹介します。
臣下の身分から天皇となった宇多天皇
宇多天皇は、実はもともと天皇になるはずではなかった人物でした。
宇多天皇の二代前の天皇・陽成天皇は幼くして即位しますが、奇行が目立ったこと、宮中での殺人事件への関与が噂されたことなどから、17歳(満年齢では15歳)で譲位に追い込まれました。この譲位は、陽成天皇と関係が悪かった藤原基経(ふじわらのもとつね、伯父であり摂政)によるものという見方もされています。
こうして次の天皇候補となったのは、宇多天皇の父である光孝天皇(こうこうてんのう)です。55歳での即位でした。光孝天皇には多くの皇子や内親王がいましたが、即位したタイミングで全員を臣籍降下させています。つまり、姓を与えて皇族ではなく臣下の身分にしたのです。光孝天皇は、三代前の文徳天皇の弟にあたります。文徳天皇の代から、皇統は文徳→清和(子)→陽成(孫)と受け継がれており、ここで光孝天皇が即位したことで皇統が移動してしまったわけです。光孝天皇としては、自分は中継ぎの天皇であり、次代は正当な皇統に戻ると考えたのでしょう。
しかし、次の天皇に立ったのは当時、源定省(みなもとのさだみ)という名の臣下であった宇多天皇でした。一度は臣籍であった人物が天皇として即位することは、過去に例のない出来事でした。
そして宇多天皇は、のちに「寛平の治」と呼ばれる理想的な時代を築きました。当時権勢を誇った藤原北家の人物だけでなく、学者の家出身の菅原道真も積極的に重用しました。また、地方の国司との結びつきを強めて律令制への回帰を強く志向する、遣唐使を廃止するといった改革が行われたのもこの時代でした。
一方で、和歌にも優れた宇多天皇は歌合をしばしば主催するなど、文化の興隆にも大きく貢献しています。
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愛猫エピソード満載の日記『宇多天皇御記』
宇多天皇の意外な一面がうかがえるのが、宇多天皇在位中の日記である『宇多天皇御記(ぎょき)』(『寛平御記』とも)です。もとは10巻あったようですが、すでに散逸してしまっているため全貌はわかりません。
この日記に、宇多天皇の愛猫である黒猫についての記述があります。それによると、宇多天皇の猫は太宰大弐の源精(みなもとのくわし)が元慶8(884)年頃に光孝天皇に献上した猫でした。数日後に宇多天皇に譲られ、大切に飼われたようです。このころ宇多天皇はまだ即位前で、17歳の少年です。そして、宇多天皇自身の即位は仁和3(887)年。宇多天皇の即位は愛猫とともにあったのです。
出典元:Pixabay
宇多天皇は黒猫のことをよく観察し、体長・体高からしぐさまで細かく記述しています。しかも、読み進めると親バカならぬ猫バカで、
「愛其毛色之不類。餘猫猫皆淺黑色也。此獨深黑如墨。爲其形容惡似韓盧」
(うちの猫は類まれな毛色。よその猫はみんな浅黒い色なのに、うちの猫は墨のような漆黒の毛色で美しい。まるで韓盧のようだ)※韓盧とは、韓の国の名犬のこと。
「其伏臥時。團圓不見足尾。宛如堀中之玄璧。其行步時。寂寞不聞音聲。恰如雲上黑龍」
(伏せているときは足もしっぽも見えず、まるで黒い宝玉のようだ。歩くときはひっそりとして音もたてず、雲の上の黒龍のようだ)
「亦能捕夜鼠捷於他猫」
(また、ほかの猫よりも素早くネズミを捕まえることができる)
などと言葉巧みに表現し、この黒猫は特別なんだといわんばかりの褒めようです。
宇多天皇は光孝天皇から賜って以来5年もの間、この黒猫に毎朝乳粥を与えてかわいがりました。乳粥とは、私たちがイメージするようなミルク粥ではなく、「にゅうの粥(迩宇能可遊)」つまり牛乳を煮て固めた酪(らく)のことのようです。この時代、牛乳は貴重なものですから、それを毎朝手ずから与えるというのはもう溺愛以外の何物でもありませんね。
宇多天皇もその自覚はあるのか、「私がこの猫をかわいがるのは何かが優れているからではなく、先帝から賜ったものだからだ」なんて言い訳のように書かれています。
そして最後に、こんな文章も。
「仍曰。汝含陰陽之氣備支竅之形。心有必寧知我乎。猫乃歎息舉首仰睨吾顔。似咽心盈臆口不能言。」
(猫にこう言ってみた「お前は陰陽の気と四肢七穴を備えているのだから(つまり心と体を持つのだから)、私の心がわかるよね?」すると猫は、ため息をつき、私の顔をじっと見上げていた。胸いっぱいの様子だけど、口でものを言うことはできなかったのだ)
猫に語りかけるけれど、当然言葉を返してくれることはありません。それでも、「お前が心を持っていて私への思いでいっぱいなのはわかってるよ」とでも言いたげな一文。どこまでもデレデレでした。
平安時代のブログ。ペットを愛する気持ちは現代と変わらない
宇多天皇の日記『宇多天皇御記』の猫の記述は、日本発のペットブログのようではありませんか?ペットの画像をベタ褒めコメントとともに投稿する感覚でしょうか。臣下の身分から天皇になることになった宇多天皇にとって、かわいい黒猫は大切な心の癒しになっていたことだと思います。
仕事で疲れて家に帰ってきたときに、ペットが駆け寄ってくると安心しませんか?心の安らぎは昔から身近に迎えることができたのです。毎日のほんの小さな幸せをつづっていきたいものですね。