スイッ! スイッ! 今年も、あの掛け声が止むことはなかった。エイサーのまちとして知られる、沖縄本島中部のうるま市。ここに200年余りの歴史を誇る団体がある。平敷屋(へしきや)青年会だ。いつもとは事情が異なるコロナ禍の2020年。チームを率いた平敷屋青年会(西)の会長、新屋幸之(しんや・たかゆき)さんに話を聞いた。
旧盆に三線と太鼓の音を絶やさない。伝統のエイサー青年会は決めた
沖縄で七月(しちぐゎち)といったら、お盆のことを指す。年中行事のほとんどが月の満ち欠けを基準とした旧暦で動く沖縄では、旧暦7月13日~15日は「旧盆」と呼ばれて、先祖を迎えるために家族、親戚が一同に集う。とりわけ重要な行事のひとつだ。今年は新暦の8月31日~9月2日がその日にあたった。そして、七月エイサーという呼び方もあるように、七月といえばイコール、エイサー。地域の青年会に参加する若者たちが支える。
ただ、今年の「七月」は、いつもとは違った。新型コロナウイルスの影響で沖縄でも祭りや行事がことごとく中止に。エイサーも例外ではなかった。旧盆中も家々の訪問さえ控えるよう求められ、エイサーの実施は地域の自治会に判断が委ねられた。やむなく中止にした団体は少なくない。「エイサーロス」なんて言葉もつぶやかれたほど。
そうしたなか、旧盆のエイサーの実施に揺るぎがなかった会がある。平敷屋青年会だ。エイサーは沖縄を代表する伝統芸能として、今では季節を問わずイベントなどで披露されることも多いけれど、本土でいう盆踊りと同じで、本来は先祖供養のために演舞するもの。「今年、いったん中止にすると、来年も同じような状況であれば、復活することは難しいと考えました」と新屋さんは言った。よかった! メンバーで話し合い、規模を縮小することにはなっても演舞することを決めたのだった。
平敷屋青年会。伝統スタイルを守り続けるトップクラスの実力者集団
うるま市勝連町平敷屋は、本島中部の東海岸、勝連半島の先端にある。15世紀、海外貿易で地域に繁栄をもたらした阿麻和利(あまわり)が居城した世界遺産、勝連城跡はすぐ近くに。新屋さんは15歳で青年会に参加し、エイサーをはじめた。今年25歳。10年勤めあげたメンバーはほかにはいない。30歳を超えても活動が認められる青年会があるなかで、平敷屋青年会では男は25歳、女は23歳で卒業という決まりがある。だから、2020年は卒業の年。
普段なら旧盆が近づくにつれ、「家に着いたとたん、そのまま玄関に倒れこんで寝てしまう」ほどに厳しく、ハードになる練習も、コロナ禍では週2回に。参加者も限定し、新しいメンバー勧誘は行わなかった。「後輩たちにゆっくり細かく教えることができないのが、個人的には悔しい。けど、やることはやるので、応援よろしくお願いします!」(新屋さん)
エイサーといえば、頭や腰にサージと呼ばれる布を巻き、襦袢のうえに打掛を羽織って、脚絆を締めた下の写真のようなスタイルを思い浮かべる人が多いかもしれない。地謡(ジウテー)の三線と唄に合わせて、男たちはバチを振り上げ大太鼓、締太鼓を打ち鳴らす。このスタイルは、戦後、「魅せる」ことを重視して変化し、沖縄市を中心に広まったもの。
対して、伝統を踏襲するエイサーがうるま市には多い。平敷屋青年会はその代表格。エイサーが念仏踊りを起源とするといわれるように、太鼓打ち(テークチリ)の衣装は、白の襦袢に黒染の絣、黒帯を締め、背中には袖丈を上げる白タオル。足は素足だ。その姿は念仏踊りを広めたとされる鎌倉時代の僧、一遍を描いた国宝の絵巻から抜け出したよう。
衣装だけでなく、太鼓も違う。男たちが手にするのはパーランクーと呼ばれる小さな太鼓のみ。それを細いバチで「スイッ! スイッ! スーイヤ!」の掛け声とともに、足を上げ下げし、腰をゆっくり下ろしながら仲間と気を合わせて打ち鳴らす。隊列の自在な変化も平敷屋エイサーの特徴のひとつ。太鼓に注目が集まりがちだが、顔を白く塗ったナカワチの存在も大きく、彼らが吹く、耳をつんざく指笛の響きと掛け声が絡み合うと場は異様な興奮状態に。エイサーは、一般に知られる以上に多様なのだ。
私が初めて平敷屋エイサーを集落へ見に行ったのは2013年。それまでは現代的エイサーしか知らなかったからすっかり魅了されてしまった。夏にこれを見ずにはいられない。沖縄のことばで「肝(ちむ)どんどん」。ウキウキ、ソワソワするけれど、今年は遠くから見守るしかない。
ご先祖を送る「ウークイ」に、大型台風が襲来!? 演舞はどうなる?
エイサーは旧盆に披露されると書いた。3日間すべての夜に地域を回る集落もある。ただし、ルーツをたどれば旧盆の初日、ウンケーに迎えたご先祖様を、ウークイと呼ばれる最終日の夜、再びあの世へとお送りするために奉納するのが正しい。ご先祖様が帰り道を迷わないように。平敷屋青年会はこの伝統も守り続けている。
平敷屋青年会がウークイに演舞するのは、神屋(カミヤー)と呼ばれる集落の祖人を祀る建物前の広場。新屋さんが属する西(イリ)と東(アガリ)の2つが毎年交互に演舞の順番を変えて登場する。「ウークイの前にイベントで披露することがあっても、それは僕らにとっては余興に過ぎません」と過去に彼は言い切った。それほど、この日のエイサーは大切なものなのだ。
そして、ナカワチの中でも法被を身に着けた「頭」が前口上を述べるマルチャーから奉納ははじまる。「マルチャーって言われてますけど、本当は<マネチャー>、招き人なんですよ」と新屋さん。「イベントなどでは省略することも多いけれど、招きがないと平敷屋エイサーははじまらない。真のエイサーとはいえないんです」
唄や三線 テークぼんぼん 指笛吹き鳴らし
できらしば すりてぃ めんそーり ぐしんかさり
みなさん、唄や三線を弾き、太鼓を叩き、指笛を吹きますから、できれば、そろって見ていってください、ナンバーワンの俺たちが演じるから……というようなことを述べる口上が終わると、脇の道に控えていた太鼓連中、男女の手踊りがいよいよ繰り出す。ハントーカタミヤー(酒甕かつぎ)の後に続いて。
旧盆が迫る。――と、そこに大型台風襲来の予報が……。エイサーはできるのだろうか?
夏は終わった。
ウークイ当日。猛烈な強さで沖縄に迫った台風9号も、聞けば、それほど深刻な被害をもたらすことはなかったよう。朝までには過ぎ去った。
通常は夕刻から行われる奉納の演舞。今年は人が大勢集まらないように、午前から開始して縁の家々をまわり、午後1時に神屋へ。演者は三線を除いて、12人。25歳の最年長者だけが参加し、衣装は着ずに行われた。広場ではなく建物内で演舞は行われ、西の演目を一通りこなした。声は出したが、指笛はない。観覧も基本禁止に。それでも、生の演舞を見たいと願ったエイサー好きが20人ばかり遠くから見ていたそうだ。
「基礎練習をせず、いきなり三線と合わせての練習だったので完璧にはできなかったけれど、男たちだけでいいたいことを言い合って、やれることはやれたと思っています」と奉納を終えて新屋さんは語った。
本来であれば、ウークイの翌日に青年会主催の「へしきやエイサーのゆうべ」が浦ケ浜公園であり、毎週末は青年会活動資金を集めるための「営業」がある。招かれた居酒屋やコンビニなど多彩な場所で演舞を披露するのだが……。
「夏は、終わりました」
だれもが恨み言のひとつもいいたくなるところを、彼は決してそんなことは言わない。演目にもあるように、ヒヤミカセ(エイヤ、と奮い立ての意)が、沖縄の魂なのだから。