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2020.12.24

「雪は天から送られた手紙」世界で初めて人工雪を作った中谷博士の夢とロマン

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雪の結晶を見たことがありますか?

冬、寒くて空気の澄んだスキー場で、雪がちらつき始めたときにスキーウェアをよく見ると、小さな六角形の形をした雪の結晶に出会えることがあります。

空の高いところで、水蒸気が凍りついてできるのが雪の結晶ですが、なぜこのような美しい形になるのか、自然の神秘を感じずにはいられません。

そんな雪の結晶の魅力にとりつかれ、世界で初めて、実験室で人工の雪を作り出すことに成功した科学者が、100年前の日本にいました。

「雪は天から送られた手紙」という名言を残した中谷宇吉郎博士です。中谷博士はすぐれた文筆家としても知られ、科学の面白さをわかりやすく伝える随筆を数多く残しています。

小さな結晶の中に中谷博士が見つけた夢とロマンを知ると、きっとこの冬、雪が降るのがいつもより待ち遠しくなりますよ。

札幌赴任をきっかけに本格的な雪の研究に取り組む

中谷宇吉郎(写真提供:中谷宇吉郎記念財団)

中谷宇吉郎は明治33(1900)年、雪国石川県に生まれました。高校卒業後、東京帝国大学理学部物理学科に入学。物理学者・寺田寅彦に師事します。寺田寅彦は「吉村冬彦」という筆名で随筆も数多く残し、夏目漱石の弟子だった人物です。文筆家としての中谷宇吉郎は、漱石の孫弟子ということになります。

電気火花の研究を専門にしていた中谷宇吉郎が雪の魅力にとりつかれたのは昭和5(1930)年、北海道大学理学部の助教授として、札幌に赴任してからのことです。

昭和6(1931)年、アメリカで『Snow Crystals』という1冊の写真集が出版されました。ウィルソン・ベントレーというアマチュア研究家が、農業のかたわらコツコツと撮り続けた雪の結晶の写真を収めた本です。これまでにない美しい写真に世界中が魅了され、中谷博士もベントレーの結晶写真に感動しました。日本でも雪の研究ができないかと考えるきっかけになったのです。

博士はまず、札幌にある大学の、廊下の片隅で結晶の観察を始めました。その結果、日本に降る雪の結晶はとても種類が多いことがわかってきました。さらに研究を深めたいと考えた中谷博士は、翌年の冬から、札幌から150kmほど内陸にある十勝岳の山小屋を借りて、本格的な観察を始めます。

十勝岳・白銀荘のベランダに立つ中谷宇吉郎(写真提供:中谷宇吉郎記念財団)

標高1,000mあまり、空気の澄んだ山小屋で見る雪の様子を、博士は美しい文章で描写しています。

北海道の奥地遠く人煙を離れた十勝岳の中腹では、風のない夜は全くの沈黙と暗黒の世界である。その闇の中を頭上だけ一部分懐中電燈の光で区切って、その中を何時(いつ)までも舞い落ちて来る雪を仰いでいると、いつの間にか自分の身体が静かに空へ浮き上って行くような錯覚が起きて来る。(中谷宇吉郎『雪』より)

極寒の北海道で3,000枚以上の結晶写真を撮影

雪の結晶を観察するときには、氷点下10~15℃という極寒のベランダに顕微鏡を出しておきます。小屋の中の大きなストーブで十分に体を温めてから、防寒着を着てベランダに出て、体が冷え切る前に顕微鏡写真を撮るのです。繊細な結晶は、息を吹きかけるだけで溶けてしまうので、慎重さが求められる作業です。

十勝岳のような所では、零下十度以下の戸外で数時間もの連続観測をするのであるから、生易しいことではないのである。或る時などは、観測をし始めたら珍らしい雪が沢山降って来て、それが何時までも断続しながら続いて、とうとう十時間の連続観測をしなくてはならないことになってしまった日もあった。(中谷宇吉郎『雪』より)

過酷な環境の中、中谷博士は学生たちと一緒に毎冬山にこもり、3,000枚以上の結晶写真を撮影しました。さらに撮った写真を「針状」「樹枝状」など形状によって分類。雪の結晶の謎を解き明かしていきます。

天然の雪の結晶(写真提供:中谷宇吉郎記念財団)

さまざまな形の雪の結晶(中谷宇吉郎『雪』、国立国会図書館デジタルコレクションより)

研究を続けるうち、博士はいつしか「雪が人工で出来ないものだろうか」と考えるようになりました。

毎日のように顕微鏡で雪を覗き暮しているうちにも、これほど美しいものが文字通り無数にあってしかも殆ど誰の目にも止らずに消えてゆくのが勿体ないような気が始終していた。そして実験室の中で何時でもこのような結晶が自由に出来たなら、雪の成因の研究などという問題をはなれても随分楽しいものであろうと考えていた。(中谷宇吉郎『雪』より)

人工雪を作り出す鍵となった「ウサギの毛」

「実験室で雪を作る」とは夢のある話ですが、世界でまだ誰も成し遂げたことのない試みです。中谷博士も、最初は「どうして手をつけてよいか見当が付かなかった」と回想しています。博士はまず、雪の結晶と性質がよく似ている「霜」の結晶に着目しました。実験室でも比較的簡単に再現できそうな霜の結晶を作り、そこから雪の結晶の作り方を推測しようと考えたのです。

試行錯誤の末、霜の結晶を作ることに成功した中谷博士は、霜の性質を詳しく分析し、いよいよ雪の結晶作りに取り組み始めます。ちょうどそのころ、昭和10(1935)年、北海道大学に「常時低温研究室」という施設が完成します。8畳ほどのスペースで、1年中氷点下50℃までの室温を保つことができるという、雪の研究にとっては理想的な実験室です。

体を守るため、実験室に入るときには、「毛皮の防寒服、防寒頭巾、防寒靴及び手袋」というものものしい装備を身に着けます。雪の結晶のように小さく繊細なものを研究するには動きにくく、作業はなかなか捗らなかったようです。

人工雪製作装置に向かう中谷宇吉郎(写真提供:中谷宇吉郎記念財団)

霜はガラスや金属にくっついて出来上がりますが、雪は天から降ってくるものです。実験室で「天空から数時間かけて落ちてくる」のとなるべく近い条件を再現するため、中谷博士は試行錯誤を繰り返します。糸で吊るしたような形で結晶を作ろうと、繊維に氷の結晶をつけて発達させる方法を考えますが、なかなかうまくいきません。いろいろな繊維を試す中で、博士は「ウサギの毛」に目をつけました。ウサギのお腹に生える、極細の毛をよく乾かしてそこに結晶の「核」を作ると、雪の結晶がきれいに成長する 
ことがわかったのです。

こうして中谷博士のチームは、昭和11(1936)年、世界で初めて実験室で雪の結晶を作ることに成功しました。その後も温度や装置などを工夫して、700種類ものさまざまな結晶を作り出します。

中谷博士が残した「暗号解読表」

中谷博士が、結晶研究の道のりを書き記した名著『雪』(岩波文庫)は、次のような言葉で結ばれています。

このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。その暗号を読みとく仕事が即ち人工雪の研究であるということも出来るのである。(中谷宇吉郎『雪』より)

天から降りてくる小さな結晶のひとつひとつを、大切な人から届く手紙のように愛情を持って根気強く読み解いていった中谷博士の、自然をいつくしむ純粋な心が伝わってきます。

中谷博士が、結晶の形と気温・水蒸気の量の相関関係をまとめたグラフは「ナカヤ・ダイヤグラム」と名付けられ、後に続く研究者たちが雪の研究をする上で欠かせない「暗号解読表」となりました。

北海道で人工雪の研究を成功させた後も、博士はハワイ島のマウナロア山頂や、グリーンランドなど世界各地で雪や氷の研究を続けました。

一方で、科学の魅力を多くの人に伝えることにも関心を持ち続け、子どもや若い人たちに身近な自然の不思議を伝える随筆を数多く残しています。

われわれは大きい自然の中で生きている。この自然は、隅の隅まで、精巧をきわめた構造になっている。その構造には、何一つ無駄がなくて、またどんな細かいところまでも、実に美しく出来上がっている。(『中谷宇吉郎 自然の恵みー少国民のための新しい雪の話』より)

中谷宇吉郎の随筆の多くは青空文庫や電子書籍でも無料で読むことができるので、ぜひ手に取ってみてください。読みやすく、楽しい文章がたくさんあります。

2020年は中谷宇吉郎の生誕120年にあたり、中谷博士のふるさとである石川県加賀市の「中谷宇吉郎 雪の科学館」をはじめ、博士ゆかりの土地で、さまざまな記念事業が行われています。北大総合博物館では、2021年8月まで、随筆家としての中谷宇吉郎を紹介する「文士 中谷宇吉郎」の展示が行われています。また、2021年1月からは、中谷博士が行った着氷実験を紹介する企画展が北海道虻田郡倶知安町の風土館で開かれる予定です。興味のある方は、足を運んでみてはいかがでしょうか?

※記念事業の詳細は、中谷宇吉郎記念財団にお問い合わせください。

参考文献

中谷宇吉郎『雪』(岩波文庫)
中谷宇吉郎『雪を作る話』(平凡社)

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書いた人

北海道生まれ、図書館育ち。「言編み人」として、文章を読んだり書いたり編んだりするのがライフワーク。ひょんなことから茶道に出会い、和の文化の奥深さに引き込まれる。好きな歌集は万葉集。お気に入りの和菓子は舟和のあんこ玉。マイブームは巨木めぐりと御朱印集め。