大佛次郎茶亭をご存知でしょうか。大佛次郎賞という、名を関した文学賞もある大正〜昭和にかけ書き続けた偉大なる文豪です。
彼が愛した家が鎌倉にあります。そこは政界や映画界など、広く交流のあった大佛次郎のある種の拠点。あまたの著名人が訪れた場所でした。和樂本誌でも2013年に取り上げ、2017年には和樂webでも紹介しています。
猫好きで知られた人気作家・大佛次郎が生涯住んだ陽だまりの地『鎌倉』
この茶亭は3年前に、「不動産」として売り出され、大きな転機を迎えました。次の時代に向け、見た目はそのままに、あらたな姿として蘇ろうとしています。
実際に使われていた建物の、歴史の目撃者としての役割、そしてかつての日本人が持っていた文化に対する豊かさと敬意について、実際に大佛次郎茶亭を訪れお話を伺ってきました。
まるで別世界!文化人たちが訪れた日本家屋
鎌倉駅から歩いて10分ほど、鶴岡八幡宮のすぐ近くにある、旧大佛次郎茶亭(鎌倉市景観重要建築物)。鎌倉時代からあるという古い細路地を通り抜けると、豊かな門構えがふいに現れます。
「おさらぎ」の表札がかかっています。お客さんはこれを目印にしていたのでしょうか。左に写っている猫の表札「大佛茶廊」は、2019年まで営業していたカフェの名前です。
中に入ると、見事な庭園と、茅葺屋根の日本家屋が!門構えから入り口まで、枝ぶりの大きな木が影を作り、まるで別世界に迷い込んだようです。梅の木だけでも数本あり、今も梅が収穫され、漬けられているのだとか。
家屋は数寄屋風造り。茶室として使える部屋が2つ並び、まさに「茶亭」です。築100年近い重厚感は、大工さんの高い技術を感じました。茶亭からは藤棚越しに庭をのぞむことができ、とても優雅。
大佛次郎は1921年に鎌倉に移り住み、海外の方を含め、さまざまなお客さんを招いて交流していたそうです。
ちなみに、その自宅に加え、この茶亭を所持したのは50代になってから。戦後間もなく、東久邇内閣に招請され、参与として関わっていた大佛次郎。終戦、高度経済成長といった日本激動の時期を、この建物と過ごしました。
横浜・山手の大佛次郎記念館には、戦後、茶亭に海外の方を招きもてなしている夫妻の写真も残っています。いわば「サロン」としての役割も茶亭は果たしていただったのでしょうか。大佛次郎記自身は日本経済新聞の連載『私の履歴書』で、自分を「気弱くおとなしい人間」と記しているとのことでしたが、社交性は十分にあったように思います。
水屋も、実際に使われていた風情がありました。どんな道具が並んでいたのか、つい思いを馳せてしまいます。
庭には四季折々の草花が美しく配置され、夏の花があちこちに見えます。かの吉永小百合さんも若き日に訪れたこともあるそうです。セミが自由に飛び回り、どこかで風鈴がかすかに聞こえる。コロナ禍真っ只中の2021年だということを忘れてしまいそうでした。庭には、茶室に欠かせない手水もあり、横には石橋がかかっています。
ちなみに、お風呂場には、五右衛門風呂が残されていました!大佛次郎没後もご親族が住まわれ、建物は部分的に現代風にリフォームされています。ガスのお風呂と並んでいましたよ。
どのように過ごしていたの?大佛次郎記念館の資料から見るその生活
大佛次郎は鎌倉高等女学校(現在の鎌倉女学院)に教師として勤務するなど、鎌倉という土地自体とも深く関わった作家です。この茶亭でどのように過ごしていたのか……横浜・山手にある『大佛次郎記念館』を訪れ、こちらもお話を聞いてみました。
記念館は海の見える丘公園の中にある、横浜市立の文学館です。茶亭とは打って変わって端正な洋館で、正面に配置された噴水付きのローズガーデン含め、まるでヨーロッパに迷い込んだよう。しかし、中にはやっぱり猫ちゃんがいっぱいいるのが和みポイントでした。
妻が茶の稽古をするようになってから路地をへだてて別の棟を持ち、客もそちらでするようにしたが、その方の玄関も本を詰めた茶箱を積み上げて人間が出入りできなくなり、来訪者に庭に回って貰うようにした。
大佛次郎エッセイ「正月三が日」(大佛次郎随筆全集第2巻所収)より
大佛次郎記念館では、茶亭での写真も展示されています。雑誌掲載時の写真もあるそうで、やはり当時からしても憧れの場所だったのでしょうか。
大佛次郎が本や資料に埋もれている有名な写真があります。本ではなく収納をした茶箱を積み上げていたとは、どれほどだったのやら……。
大佛次郎記念館による『アルバム大佛次郎』の年譜には
書籍と猫にあふれた自宅を避けて、来客の接待や夫人の茶事に利用した。
と記載されています。どこまでも書籍と猫。お茶は奥様が中心となっていらしたようですね。編集者との打ち合わせも茶亭で行っていたそうなので、数々の名作の草案があの茶室で練られたのでしょうか。
なお、大佛次郎は歌舞伎俳優とも縁が深く、取材当時記念館では「大佛歌舞伎」についての展示が行われていました。歌舞伎好きな私は、見慣れたポスターが貼ってありびっくりです。既に歴史上の人物ですが、現代の私達とたしかにつながっているのですね。
美しさと貴重さと、現実的に守るということ
大佛次郎氏の高い美意識と自然への思いが隅々まで感じられる大佛次郎茶亭。実は2021年に新たな所有者に継承されています。
美しく広々とした庭園と家屋ですが、維持費がかさむのは私のような庶民にも想像がつきました。すべての文化財を保護するには地方財政にも限界がありますし、国の承認を得るにも長い時間と手間がかかる。一方で古くなった家は、たった1ヶ月住まないだけでみるみる劣化するものです。
美しいもの、貴重なものを大切にしたいという精神には、必ず現実的な問題がつきまといます。大佛次郎茶亭は、個人が保存するには限界が来ていたようでした。
「文化を守らなきゃいけない」使命感で立ち上がった現在の所有者
現在は一般社団法人大佛次郎文学保存会が所有しているこの建物。この茶亭を残してゆくために作られた一般社団法人です。売りに出され、解体の可能性も話題となっていた頃、鎌倉に地縁のあるとある方が「大切な歴史ある建物を守りたい」、と管理保存のために動かれました。
不動産は、売却と維持が難しく、時には、負担となってしまうこともあります。一方的な負担にならず、維持費を自ら生み出せるよう仕組みを計画し、現在準備を進めているそうです。
「当時は行政だけに頼るのは厳しいですし、かといって物件を保持する個人の力だけで保ち続けるのも非常に難しい状態でした。ご親族が売却を決断されたときは、本当に苦渋の決断だったと思います」
物件に最初から関わられた不動産会社の方も仰っていました。
「ただ、ひとりの方の思いから法人を作り、売買を経て、再生、保存をさまざまに検討して現在に至っている。その熱意は素晴らしいと思いますし、これからどうなっていくか、私も楽しみです」
たとえ「できること」が限られていたとしても、運命は変えられるのかもしれませんね。
先程話に出た大佛次郎記念館とも、今後はコラボレーションなどもあるかもしれない、とのこと。どんな展開が起こるのか、これからが楽しみです。
問題意識を持つ、知る、触れる、行動する……私達にできること
コロナ禍で、日本文化を担う数多の貴重な建築物が苦境に立たされました。クラウドファンディングなど立ち上げたところもあり、さて私達に何ができるのだろうと思ったのが今回の取材を思い立ったきっかけです。
大佛次郎文学保存会の方は「活字離れが深刻化している。大佛先生の作品はもちろん、若い世代にもっと本を読んでもらいたい。茶亭がその場づくりに協力できたら嬉しい」と願われています。
私達ひとりがまず問題意識を持ち、現状を知ること。その文化に触れ、できることを行動する。これだけでも、先人が培ってきた歴史を守ることにつながるのではないでしょうか。
取材協力:
一般社団法人大佛次郎文学保存会
株式会社原窓