一般的な心臓手術では通常、首の少し下からみぞおちまでの25センチほどを縦に真一文字に切開する。その下に潜(ひそ)む胸骨を切って広げると心臓から大動脈まで一目で見渡せるからだ。良好な視野を得られるため、ほとんどの心臓手術ができる。
半面、目立つ場所に大きな傷跡が残る。骨を大きく切るため、出血や感染症など、危険な合併症を生じることもある。このため、近年は胸を大きく開けない「低侵襲(ていしんしゅう※1)心臓手術(MICS※2=ミックス)」が注目されている。
※1:体にあまり害のないこと、または負担が少ないこと
※2:Minimally Invasive Cardiac Surgery
手術のために開ける創(そう=メスで切り開く穴)は3センチほど。一切骨を切らぬので術後の痛みも軽い。女性の場合、創が乳房に隠れるので、腕を上げぬ限り、傷跡はほとんど分からない。入院期間も短くて済む。
わが国におけるこの術式の第一人者で、世界的にも評価の高い日本赤十字社愛知医療センター名古屋第一病院の伊藤敏明医師に手術の要点や「うまい手術」に対する思いなどを聞く。世界的心臓血管外科医の技量を支えているのは子どものころにのめり込んだラジコンの操縦技術であった。
「患者ファースト」を実現する手立ての一つ
――先生が推し進めているMICSは心臓手術における従来の方法に比べてどのような利点があるのですか。
伊藤(以下略):胸の骨を全部切らなくて済むことです。患者にかかる負担を格段に減らせるからです。負担を減らす=低侵襲の第一歩はメスの及ぶ範囲をできるだけ小さくすることです。MICSが登場するまでの標準的な方法であった胸骨正中切開(きょうこつせいちゅうせっかい、以下正中切開)は首の少し下から25センチほどをばっさり切る。その後で胸骨も切るので術中も術後も患者に大きな負担をかけていました。
やや専門的になりますが、骨を大きく切ると骨髄からの出血や胸骨骨髄炎、骨の癒合不全(うまくくっつかない)などの危険な合併症を招く恐れがあります。その点、MICSは体の右脇の下を小さく切るだけで済みます。手術はその創を通して肋骨の隙間から行います。一切骨を切らないので、術後の痛みもほとんどありません。
当院では、2010年から開始し、これまでに1100人以上の方に行っています。症例としては、大動脈弁置換(べんちかん)、僧帽弁(そうぼうべん)形成など、弁に関係する部位の手術に数多く適用しています。このうち、大動脈弁置換は世界に先駆けた取り組みです。最近では他の外科領域に比べて遅れていた内視鏡による手術を日常的に行っています。
――患者にかかる負担を減らすという点では、患者ファーストの術式なのですね。
はい。術者にとっての利点は、弁を真正面から捉えられることです。内視鏡で詳細に観察できる上、創による感染を心配しなくていいのも助かります。ただし、冠動脈バイパス手術や大動脈瘤(だいどうみゃくりゅう)手術などは旧来の正中切開のほうが適しています。要するに何がなんでもMICSで押し切るのではなく、状況に応じて最適な手段を選ぶ。それが真の患者ファーストだと思います。
――新しい技術や考え方は古いやり方を良しとする人々に受け入れられない面があります。その意味で、MICSを行う術者の向き不向きはありますか。
僧帽弁の手術に限って言えば、3ポート法(※3)という術式が完成しているので、その通りにやれば、ほとんどの人ができます。ただし、操作の仕方やセッティングの意味を理解せず、生半可な気持ちでやると、たいてい失敗します。言葉遊びのようですが、MICSの術者としての適性は正中切開による手術が一通り危なげなくできること。この一点に尽きます。
※3:手術器具を操作するための左右2つの創と内視鏡を差し入れる創の計3つの創を二等辺三角形に配して行う方法
MICSには独自の新しいテクニックが必要ですから、正中切開とは異なる発想で臨まねばなりません。正中切開は完成された一つのパラダイムです。ですから、正中切開のほうが居心地の良い人や技術的に完成された人には向いていないかも。
要するに正中切開が上手になりすぎた結果、同じことがMICSではやりにくいと感じられるわけですね。手術のうまい、へたではなく、慣れているかいないかの差だといえます。正中切開に慣れていてもその技術を脇に置いておける人や一から身に付けようと思える人はほとんどの人ができます。しかし、往々にして人間は年を取ると頭の生理的な柔軟性がなくなるので、若い人のほうが適応しやすいと思います。
刃物で竹とんぼを作っていた少年時代
――年齢的に「正中切開世代」の先生がMICSに軸足を移されたきっかけは。
初めて日本に紹介された2000年ごろは懐疑的でした。当時は主に冠動脈バイパス手術に携わっていたので、MICSの利点を生かせる弁膜症手術にはさほど関わっていなかったからです。今日のような専用器具もなかったので出血事故も起きていました。
ところが、たまたま海外で見学したMICSが思ったよりも簡単そうだったので当院でも試してみることにしたのです。話が飛躍するかも知れませんが、MICSの実績を重ねていくうち、子どものころ夢中になっていた趣味が手術に生かせると思うようになりました。
――どんな趣味ですか。
ラジコン飛行機の製作と操縦です。その前段部分として、竹とんぼや凧などを作っていました。長野県の伊那市出身なので、材料は周りにふんだんにあります。刃物で割った竹を小刀で削ったり薄く削いだりする。父親仕込みです。
例えば、小学校低学年のころに軸と羽根が一体となった竹とんぼの作り方を教わりました。しかし、何か物足りない。そこで、軸の先端を二股にして羽根だけが飛んでいくものを考案しました。そういう工夫をしながら、手先を使って遊んでいました。それが後々生きてくるとは夢にも思わなかったですね。
高学年になると、朴(ほう)の木の胴体にバルサで作った主翼と尾翼を取り付け、ゴムの弾力で飛ばす形ばかりの飛行機をよく作っていました。機体の強度を高めるために表面にラッカーを塗ることも覚えました。
中学生になると、もっと本格的に飛ばしたくなってラジコンにのめり込みました。レーシングカーと並んで、当時の少年たちを熱狂させたブームです。ただし、出来合いの機体や組み立てキットではなく、方眼紙に設計図を描いて切り出してきた木で部品を作ることから始めました。部品を組み立て塗装した機体に模型のエンジンと無線のメカを積んで出来上がり。世界で一つの機体です。
――言わば伊藤製作所ですね。こしらえた後の操縦のほうは。
結果的にMICSに生かせると感じたのが、まさにラジコン飛行機の操縦です。飛ばすときには2つの心構えが必要です。まず、自分がコックピットに乗っているつもりでコントローラを操作する。その際は三次元的な空間を思い描きます。そして、実際に飛んでいる機体を見ながら制御する。
つまり、地上からの視覚情報と立体認識を組み合わせるわけです。例えば、降りるときには空中の機体を見ると同時に「滑走路はこう延びているので、このあたりにこう着陸する」と見当を付けて誘導する。ですから、さまざまなケースを想定したイメージトレーニングをいやというほど繰り返します。
頭の中で理想的な操縦をしっかり思い描かないと貴重な飛行機が一瞬で墜落してしまうからです。ラジコン飛行機を飛ばす要点は、視覚からのフィードバックで操作すること。その一点に尽きます。
ラジコン飛行機の操縦も手術も同じ
――ラジコン飛行機の操縦と手術との共通点は。
自分の経験では、事故なくきれいに飛ばすためにはイメージトレーニングに70%、本番の操縦に30%くらいの時間を配分して臨むと良いと思います。要するにイメージに重きを置く。それを痛感したのは内視鏡を使った手術に携わるようになってからです。
内視鏡手術はモニター画面に映る映像を見て、視覚情報をフィードバックしながら手術器具を動かします。実際の手術室では術者の正面に画面があり、真下に操作する手元があります。そう考えると、空を見ながら操縦席にいる自分をイメージするラジコン飛行機の操作と内視鏡手術とはかなりの部分で共通性があるといえるのです。
手はできるだけゆっくり動かす
――MICSに臨むときの心構えのようなものはありますか。
大きく分けて2つあります。第一に急がないこと。第二に「美しい手術の理想像」を思い描きながらメスを握ることです。急がないことは小刀で竹を削っていた経験に、思い描くことはラジコン機を飛ばすときの操縦法に通じます。「MICSの実績を重ねていくうち、子どものころ夢中になっていた趣味が手術に生かせると思うようになった」とお話ししたことの裏付けです。
まず、なぜ急がないのか。禅問答のようですが、急ぐ必要がないからです。例えば、きょうは120分で終わらせるぞ、と意気込んで時計をちらちら見ながらやる手術は絶対にうまくいきません。手術時間を目標にするのは誤りです。時間を気にするあまり、手術に集中できないからです。第一、患者の条件は同じではありません。やりにくいケースなら時間がかかるし、条件がよければ早く済む。それだけのことです。つまり、患者を自分の都合に合わせるべきではないということです。
――しかし、患者の立場では早く終わってほしい。
無論、患者にとっては短いほうがいいに決まっています。その兼ね合いをどうするか。時間を短くするために手を早く動かすのではなく、無駄を削ったり、意味のない動きをなくす。それ以外に時間を安全に縮める方法はありません。肝心なのは許される限り、手をゆっくり動かすこと。無駄な時間や操作を削り、正確に操作することです。
では、正確で滑らかな動きはどうすれば実現できるのか。ここで子どものころの経験が生きてくるのです。要は力の加減です。滑らかな動きを得るためには力を抜くのではなく、力を込める。例えば、小刀で竹を切ったり削ったりするとき、押すだけの力で一方向に進めると勢い余って他の部位に刃先が当たったり、支えている指を傷つけたりする恐れがある。
無用の事故を防ぐためには、小刀を握るほうの腕の筋肉を一旦緊張させて、少しずつ力を抜いてゆっくり動かすのがコツ。そうでないと、危なくて使えません。研修医に運針の方法を教えるのに「力を抜け」と助言する教官がいますがNGだと思います。震えず、正確に運針するためにはちゃんと力を入れてゆっくり動かす。小刀で竹を削るのと同じ要領です。
糸を縛るのも同じです。結び目がきちんと締まっているかどうか確認しながら処置しなければなりません。目にも止まらぬ速さで縛るのがかっこいいと考えるのは愚の骨頂。早く動かすのではなく、コントロールしながらゆっくりと動かす。一定のスピードを超えると制御できなくなるからです。ゴルフの球が打てないのはコントロールスピードを超えているから。手術ではゆっくり動かしても針は通ります。
――第二の心構えである「美しい手術の理想像」とは。
自分の手の動きや作業動作を意識することです。例えば、はさみを持っていたらぶれることなく、迷わず切る。思い描いた美しい手術のイメージに沿って、動かせばいいのです。実際、手術中は自分の呼吸や体の動きを意識しながら、思い描いたイメージ通りに動かしています。第一の心構えで触れたように、運針時には筋肉の動きを感じながら意識して操作しています。自ずとそうなるように、体が覚えているのですね。
例えば、創から菜箸のような長い器具を入れるとき、先端がぶれないように創のふちに軸を当てて支点を整えるようにします。こういうことは教科書には書いてありません。要は自分のやりやすい方法をあれこれと工夫する。人間の手は精密機械のアームではありません。ですから、機械に及ばぬ人間の限界をさまざまな工夫で補うのです。
当院の手術にはたくさんの見学者が訪れますが、分かる人はそういう工夫をちゃんと見ています。どういう理由や道筋があって、そのような動きをしているのか、といったようなことです。上達しない人は恐らく、本質的に結果しか見ていないはずです。うまい人とそうでない人の差はそんなことなのです。
減らせるものを常に考え、そぎ落とす
――つまり、ラジコン機をつくることは手先の器用さや手術における器具の扱いに、飛ばすときの制御は合理的で無駄のない進め方に役立っている。まさに「芸は身を助ける」ということでしょうか。
芸かどうかはさておき、いささか後付っぽく例えれば、そういうことです。
――先生にとって、手術の極意とは。
『和樂web』に寄せて言えば、わびさびを意識した立ち居振る舞いでしょうか。日本文化の特質の一つは、余分なものをそぎ落として本質を残すことにあると思います。油絵のように塗り重ねるのではなく、対極にある墨絵のような。
自分のフィールドに引き寄せると、MICSにはあれもこれも揃えてどんどん重装備化する考え方があります。しかし、装置や器具が増えればやることも増える。結果的に時間が延びて合併症を招く。その対応に、さらに時間を要する。まさに悪循環です。
MICSの得意な僧帽弁周りの手術の目的は弁を治したり、逆流を止めたりすることです。そのためには何をすべきかを考え、必要な装置や手順だけを残す。やらなくていいことはやらなくていい。MICSに限らず、実はすべての手術に言えることです。
高価な機械を使うためだけに余計なお金はかけるべきではないし、余分な操作もしない。なくても済むように工夫する。手術に対する私の基本的な考え方です。
【伊藤敏明医師プロフィール】
1986年名古屋大学医学部卒業。掖済会病院、名古屋大学附属病院胸部外科、トロント小児病院などを経て、1997年日本赤十字社愛知医療センター名古屋第一病院心臓血管外科。2005年同部長。