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2023.11.27

走った馬の足跡で吉凶を占う!? 笑顔あふれる小室浅間神社の流鏑馬占いに行ってきた

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流鏑馬(やぶさめ)とは馬を走らせながら3つの的を射抜く武士の弓術で、多くの神社の神事として現在も多くの神社で行われています。

神へと捧げるものなので、神社の神聖で静かな雰囲気の中、絶対に外せない緊張感が観客にも伝わって、思わず息を飲んで見守ります。そして見事的中した的は縁起物として観客へ下げ渡される。それが、一般的な神事としての「流鏑馬」の在り方です。

しかし、山梨県富士吉田市にある小室浅間神社(おむろ せんげんじんじゃ)の流鏑馬はちょっと変わっています。矢を射って的に当てることが目的ではなく。流鏑馬で走った馬の足跡を見て、町の火事(ひごと)・争事(あらそいごと)などの吉凶を占うことを目的としています。

この跡から何がわかるのか……!?

一体どういうことなのか……実態を取材しに現地へと向かいました。

小室浅間神社の鳥居

小室浅間神社の流鏑馬占い

小室浅間神社の歴史は古く、平安時代の初期、坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)が蝦夷(えみし)討伐のため東北へ向かう途中、この地から富士山を拝んで戦勝祈願をしたことから始まりました。

小室浅間神社本殿

流鏑馬を行うようになったのは、平安末期から。現在の形の作法が定められたのが鎌倉時代。そして毎年9月19日に行うことが定められたのが戦国時代だと伝わっています。

平安時代末期は今からざっくり850年前、戦国時代は400~550年ほど前!

流鏑馬の射手となる人たちは祭りの1週間前から「切火潔斎(きりひけっさい)」と呼ばれる斎戒(さいかい=身を清めること)を行います。その期間中は家族とは離れて暮らし、食べるものや特別な生活習慣などの規則を守り、毎日身を清めながら馬の世話や乗馬の訓練をして本番を迎えます。

本番の日はお祓いを受けて神社に参拝し、馬主は例大祭に臨み、馬方は御前10時半から馬を馬場に馴らせるために走らせます。この時は的を狙いませんが、観客たちは大勢集まっていて盛り上がっています。そして13時からいよいよ騎射が始まり、『後馬』と呼ばれる神馬が疾走します。

普通の流鏑馬との違い

小室浅間神社の流鏑馬は走った後に蹄跡で占いをする、という他にも、普通の流鏑馬と違うところがありました。

まず、的の位置が通常よりも高いところに設置されています。建物の上にちょこんとあるひし形の的……。これは通常の流鏑馬に慣れた弓馬術の人でも難しいのでは……? 

かなり頭上にある的の位置。的を射抜くのが目的ではないため、通常より上に設置されているそうです。

それから、外れても笑顔で楽しそうなこと。通常の流鏑馬では「絶対に外せない緊張感」が漂いますが、こちらのお祭りでは大衆に見られている緊張感や、馬上にいる緊張感はあるものの、基本的に馬で走ること自体を楽しんでいます。

とても良い笑顔

私は馬場の端の方にいたのですが、観客もスタッフも、流鏑馬をする人たちも和気あいあいとしていて、矢を射ることができなかったり、的を外したりする事はあっても、とにかく祭りの雰囲気を楽しんでいました。

神様も笑っている人間を見て楽しんでおられそう!

とにかく良い笑顔

ちなみに流鏑馬占いですが……占い専門の家に代々伝わる秘伝の占術なので、蹄跡の何を見てどう占っているのかはわかりません。けれど長い歴史の中では「当たりすぎて怖い」と言われることもあったとか。

スタートの合図を出す赤い旗で馬蹄を確認しながら馬が走った馬場を往復する占人さんたち

宮司さんにお話を聞いてみた

流鏑馬が終わり、お祭りの余韻が覚めやらぬ境内で撤収作業が行われます。そんな中、お話を伺ったのは、小室浅間神社の宮司である。渡邊平一郎(わたなべ へいいちろう)さん。

小室浅間神社宮司 渡邊さん

『例年は70代の方たちが中心でした。しかし高齢化して、危険を伴う馬主に立候補する人が少なくなっています。だんだんと奉仕者も少なくなってしまい、このままでは伝統も維持できなくなってしまう。そこで移住者を含む若い人たちを受け入れることになりました。

実際にやってみると、若い人たちは思っていたよりも素直に伝統を受け入れてくれました。そして新しいアイデアを出してくれます。そこに年配者が若者に伝統を守りながら知恵を貸して、宮司が取りまとめる、という形が出来上がりました。

例えば食べ物も、昔は地元で採れたもの・作ったものしか口にできませんでした。だけど現在は外から食べ物を持って来ざるを得ません。それに今では出来合いのものが簡単に手に入ります。どこまで認めるべきだろうかと、食べてよいものを伝統に則って決めています。

現代の価値観や習慣を伝統を照らし合わせると、どこまでOKでどこからがNGなのか、まったくわかりません。未来に残すために、どういう形にするのか、みんなで考えていきたいです』

保存会の方にお話を聞いてみた

次にお話を伺ったのは、代々流鏑馬祭りに参加している保存会の方にお話を伺いました!

『昔から、流鏑馬祭りはこの地域の楽しみの1つでした。もともとは地元の農民たちがお侍さんの真似事をすることから始まって、おそらく当時のえらい人からOKもらったんでしょうね。それでまず、神社に矢を取りに行った……という話を聞いています』

なにその可愛すぎる始まり! お殿さまと領民が仲良し……良いですね!!

お祭りの日にいただける弓とムチ(を模した棒)。すべて手作りで、邪気を払う神様が宿っているそうです。

『今まで地元の人たちでやっていた伝統に、外部の人を受け入れるということで、最初は難色を示す人もいた。でもやってみて、若い人のやり方を受け入れて伝統も少しずつ変化していくことも大事なんだなと感じました。流鏑馬祭りは、地域の人のコミュニケーションツールなんです』

『神馬』の名にふさわしい葦毛のイケメン馬! 馬たちは地元の人たちからも名前を憶えられて声援を送られていました

『何事も挑戦することが大事。小室浅間神社の流鏑馬は、たとえ的が外れても失敗じゃない。挑戦したってことだから。そして馬を通して会話が生まれ、思いやりやまごころを育む。たとえ伝統の形が変わっても、そういう根底にある「心」というものは変わらず受け継いでいきたいですね』

馬主の方にお話を聞いてみた

最後にお話を伺ったのは、移住者の立場で伝統ある行事に参加した西井康晃(にしい やすあき)さん。馬を世話し、馬に乗って疾走する『馬主』に挑戦しました。普段のお仕事ではこだわりのクラフトビールを作っています。

射手を務めた西井さん

移住者として地元を盛り上げるため、地元のお祭りにも積極的に参加し、今回の流鏑馬祭りにも参加しました。

『とにかく、安全に! 地元住民だけでなく外部からの人も受け入れた祭りで事故を起こしたら、850年の伝統が絶えてしまうのでは……とものすごく緊張しました。怪我無く無事に終わってよかったです』

流鏑馬の時も、とても楽しそうな満面の笑みでした。きっと昔の人もこんな風に笑顔で楽しんでいたんでしょうね。

『大昔のことはわかりませんが、昨年は潔斎の時に台風が来ました。でも本番の日、馬が走る時は雨が上がって虹の下で流鏑馬を行っていたのが、とても感慨深かったですね』

西井さんと愛馬パルティ―。「流鏑馬エール」を添えて

ちなみに、写真で手に持っているのは、西井さんのビールブランド「il st bibitone」のクラフトビール「森のエール」のラベルを流鏑馬仕様にした「流鏑馬エール」。スッキリとして、ビールの苦みが苦手な人(私)も飲みやすかったです。

il st bibitone https://ilstbibitone.jp/

関係者の皆様の柔軟な姿勢が、このお三方へのインタビューからも窺えます!

伝統を未来へと繋ぐということ

小室浅間神社の流鏑馬祭りは、古くからの伝統に新たな風を取り入れ、地域の絆と活力を育む素敵なお祭りでした。850年の歴史を背景に、未来への架け橋として、地域社会の大切なコミュニケーションツールとなっています。

伝統の魂を守りながら、変わりゆく時代に適応して、心豊かな未来へと続いていく……きっとほかの地域も「伝統」を繋ぐヒントになるかもしれませんね。

取材先:
小室浅間神社 http://www.fgo.jp/~yabusame/

参考文献:『甲斐国志』

写真撮影:鈴木慎平 https://suzukishimpei.com/

書いた人

神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。

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人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。