妖精とか精霊のたぐいが活躍するのは西洋のファンタジーの世界だけかと思いきや、じつは日本にも精霊の名を冠する存在はたくさんいる。とはいえ、小さな羽も柔らかな巻き髪も持ちあわせてはいないのだけれど。その代わり、日本の精霊は美女や美男子の姿で、またある時は子どもの姿を借りて人の前に現れる。
彼らに話しかけられるとき、私たちは誰もその姿から目をそらすことはできない。人外であったことを人間が知るのは、すべてが終わったあとだ。いったい、精霊とは何なのだろう。その正体を知る前に、まずは怪しく不気味な彼らの物語を紹介しよう。
来世安楽、鞠の精
鞠を嗜み始めてこのかた懸(蹴鞠をする場所。蹴鞠場の四方に植える樹)の下に立つこと、七千日。蹴って、蹴って、蹴り上げて、一日も欠かさず蹴りとおした一千日目。男は鞠の上手い者を集め、装束を正して鞠を上げることにした。棚を二つ設けて、一つには鞠を置き、もう一つには神様への供物を据えた。そうして、もてなしの料理と盃とを捧げて催しは終わった。
その夜、男が今日のことを日記に記していると、棚に置いていた鞠が落ちて転がった。目を凝らすと、三歳くらいの童子が三人立っている。
「何者か」男が問う。
「御鞠の精にござりまする」声が返ってきた。
「昔から鞠好きは多いですが、これほどの人はそういません。千日の満願成就には供物を賜り、御礼をと参上いたしました。私たちの名前をお知らせしましょう」
そういって童子は眉にかかる髪を押し上げた。額には一人ずつ「春楊花」「夏安林」「秋園」という文字が記され、文字は金色に光っていた。
「私たちは普段、青々と繁る林や清々しい木々に住んでいます。御鞠の盛んなる世は、国も栄え、幸多く、命長く、病もありません。人の身には一日のうちに数多の欲念が生じます。鞠を好む人は、鞠の庭に立つや鞠のことしか考えませんから、来世も安楽となりましょう。ぜひとも続けてください。」
そういうと、鞠の精は姿を消してしまった。(「成通卿口伝日記」より)
人を惑わす芭蕉の精
夜中に芭蕉の側を往くと、異形のものに出合うとの言い伝えがある。芭蕉の精が現れて人を驚かすのだ。とくに女性は夜の六時を過ぎたら外出してはいけない。もし出かければ、美しい男子か怪物に出くわすことになるから。
芭蕉の精は、美しい女の姿で現れることもある。若い僧侶の話が信州に残されている。
記述によれば、僧侶が夜更けまで本を読んでいたところ、傍らに一人の美女が現れた。怪しく思い、短刀でさっと切り払うと姿はなくなった。翌朝、血の垂れた跡をたどると、庭の芭蕉が切り倒されていたという。昨夜の美女は、芭蕉の精だったらしい。(「中陵漫録」より)
恋人は柳の精
ある寺の棟木にと、一株の古い柳の木が選ばれた。数百年を経ても朽ちることなく、この木のほかに棟木にふさわしい木はないと思われたのだった。
ところで、隣の村に一人の娘が暮らしていた。齢は十六。粗末な家に生まれたが容姿も心も美しく、そのうえ和歌にも精進する、両親も自慢の娘であった。そんな娘のもとに毎晩通ってくる男があった。惹かれあう二人。しかしある夜、男が涙に咽びつつ娘に告げた。
「あなたと会えるのも今夜が最後。名残惜しくてたまらない」女が理由を尋ねると、男は答えた。
「私は人間ではないのです。古柳の精なのです。人の姿となりあなたに会いに来ていたが、この身は寺の棟木になることが決まりました。しかし伐りとられても、千二千の人力でも動くつもりはありません。そのときは、あなたが一声の音頭をあげてください」
翌日、件の古柳は予定の通り伐りとられたが、数千人の人力をもってしても動かなかった。そこへ娘がやってきて古柳に向かって唄うと、古木は動揺し、難なく寺へと引かれていった。本堂は無事に完成したとのことである。(「裏見寒話」より)
まだまだある精霊譚
鞠の精は感謝の気持ちを伝えるために姿を現し、芭蕉の精は人を惑わし、古柳の精霊は涙を流して恋人に別れを告げた。人情たっぷりの精霊譚はほかにもたくさんある。
『裏見寒話』の古柳の精霊は男だったが、『多満寸太礼』に登場するのは女性の柳の精。特筆すべきはその美しさだ。「花の眦麗しく、雪の肌清らかに優しく、巧まずして媚態」を為すほどで、とにかく眩いほどの美女なのである。男は件の美女に惹かれて会いに行くが、美女は人間たちに伐られ、薪になっていた。大きな柳の切株だけが残されたさまはあまりに悲しい。
福島市に伝わる『王老杉物語』は、杉の精が人間の娘に恋をするという話。しかし杉の精の主張もむなしく、切り倒されて橋になってしまう。ところがこの橋、夜な夜なささやき声が聞こえるので誰も気味悪がって渡れない。杉の精が恋した娘が優しい手で橋を愛撫すると、ささやきはおさまったという。
自然へと向けられた愛情
律儀で礼儀正しく、人に惹かれて、人を怖がらせ、惑わせる。精霊とはいったい、何者なのだろう。
八百万の神々の存在が証明するように、古来より日本には人格霊がたくさんある。草木(あるいは鞠のなかに)に誰かが宿っていると信じていなくたって、日本人のおおくは自然物を礼拝することになんの抵抗も感じないはずだ。この国では太陽や山や海や、さらには岩や樹にまで神(ないしは人格神)がいることを認めているのだから。狐や蛇や犬も神扱いするし、祟りを信じて祀ってきた。崇拝の対象となった自然物は、親しみの感情と畏敬の念をもって扱われた。そういうわけで、お米の一粒まで無駄にしてはいけないのである。
植物にまで精神性を認めるという思想は、すでにインド仏教に現れている。けれど精霊と人との物語が生まれた背景には、日本人ならではの自然への愛があると言っていい。
花を愛で、山の崇高さを称える姿を見ていると、日本人には自然と一体になることに対する憧れとでもいうべきものがあるように感じられる。思えば、土から生まれた命を食べ、死んではまた土へ還っていく人間存在もまた、自然の一部といえなくもない。精霊物語が生まれた背景には、人もまた自然と共にあるという考えがあるのかもしれない。
精霊たちのいるところ
西洋のファンタジーのような華やかさはないけれど、日本の精霊たちは一途で、そして哀しい。精霊のおおくは、人を愛し、しかし人の手によって消え去る運命にある。人間たちの都合で失われていった彼らは、それでも物語のなかでは、別れを心から惜しんで泣くほどには人を愛していた。だから、精霊たちのさいごはいつも哀しいのだ。
【参考文献】
須永朝彦『奇談 日本古典文学幻想コレクション3』国書刊行会、1996年