江戸時代、長崎は出島のオランダ商館に勤めたフィッセルは次のように書き残している。「私は子供と親の愛こそは、日本人の特質の中に輝く二つの基本的な徳目であるといつも考えている」彼は日本の子育てに驚いた。なにせ「(日本人は)子供たちの無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大であり、手で打つことなどとてもできることではないくらい」だったから。
そう聞くと、わがまま放題に育ちそうなものだけど、江戸時代の子育てはおおむね上手くいっていたようだ。なにせあのディアナ号の艦長、ロシアの海軍少佐ゴロヴニンも手記に「日本人は幼年時代から子弟に忍耐、質素、礼儀を極めて巧みに教へこむこと」で「天下を通じて最も教育の進んだ国民である」と書いている。
とはいえ当時の親もまた子育てに頭を悩ませていたはずで、その苦労を物語るように江戸時代には育児や教育についてさまざまな本が出版された。
古書蒐集が趣味の私としては、この時代の教育本の面白さは見過ごせない。いったい、どんなことが書かれていたのだろう。その内容を、少しだけ覗いてみよう。
子どもには『孝経(こうきょう)』を読ませよう
子育ての不安は子どもが生まれる前からはじまっている。
当時の出産は(今も)命がけで、たとえ無事に生まれても生き延びる確率は低かった。だから乳幼児期を生き延びただけでも十分に幸運だった。江戸時代初期の儒学者、中江藤樹に言わせれば「父母の恩徳」の為すところである。
藤樹は、子どもが八、九歳になったら利発な子には『孝経』を読ませ、そうでない子には『孝経』を語り聞かせよ、と説いている。
『孝経』は江戸時代になって読まれはじめた本ではないが、文字を学ぶ子どもたちの数が増えるにしたがって、武士の子も庶民の子にも読ませるべきテキストとして推奨されていった。題名にもあるとおり、この本で説かれるのは「孝」の道だ。たとえば、書き出しはこんな具合。
子曰く、夫れ孝は徳の本なり。教の由つて生ずる所なり。坐に復れ。吾れ、女に語らん。身体髪膚、之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行ひ、名を後世に揚げ、以て父母を顕はすは、孝の終りなり
(私の身体は両手、両足、髪の毛、皮膚にいたるまですべて父母から戴いたものである。いわば両親の遺体である。この大切な遺体を善く守り、傷めないように心がけるべきである。それが孝行のはじまりである)
孝の出発点にあるのは、人間存在の根底にある父母の慈愛。子どもが無事に育つことを願ってやまない世の親たちの姿そのものである。
藤樹によれば、子どもは父母だけでなく、乳母や師匠や友など周りのたくさんの人たちから心や行いを学んでいく。孝について説いた本書は、読むことで大人たちからだけでなく文字からも孝の道を学べる一冊となっている。
宝を保ち、護り、譲り渡す。女性のための教訓書『鑑草(かがみぐさ)』
正保四(1647)年に出版された『鑑草』は女性向けの教訓書。
一般的な教訓にはじまり、不孝や嫉妬、悪い行いによる報い、子どもや家族への愛などが八つの項目で説かれる。その一つ「教子報」が説くのは母親が子どもに道を教えることの意義だ。
貴も賤も智あるも愚なるも、生とし生る人その子を愛せざるはなし。子を愛するときハ、かならずその子に宝をあたへんことをねがはざるはなし。しかはあれど、天下第一の宝のある事をわきまへざる故に、徒に世間のたからをあたへんとのみねがひて、性命のたからをあたへんと願こゝろなし
とまあ、こむずかしいことが書いてあるが、この本によれば天下には宝が二つあり、その一つが、すべての人の心のなかにある「明徳」なのだという。この宝を大切に保てば心楽しく、子孫も繁栄し、なおかつ現世も来世も安楽なのだそう。
世間で価値があるとされている宝は一生懸命に奔走しても手に入らないことがあるが、明徳は立場や育ちに関係なくすべての人に備わっている。この天下第一の宝を護ることこそが子を愛する至極であり、子どもに教えるとは、この明徳を子どもに譲り渡すことなのだという。
父親のあるべき姿を説いた『山鹿語類(やまがごるい)』
母親のあるべき姿を説く本があるなら、もちろん父親の理想を説いた本もある。
『山鹿語類』はぜんぶで四十五巻もある大作で、教育論をたっぷりと含んだ本となっている。全四十五巻のうち三巻にわたって、父としてのあるべき姿や子育てが論じられる。
当時の父親がそのすべてに目を通したかはが怪しいが、読み進めていくとなかなか学びがおおい。
著者の山鹿素行が本書でくりかえし主張するのは、父の子にたいする愛情はいついかなるときも変わらない絶対的なものであるべきだ、ということ。
子へ教えようとする気持ちには愛情もあるが、批判の目や自分の理想を押しつけようとする「利心」が潜んでいることもあると指摘する。そのうえで、子を養育する際の注意を説く。
生まれたばかりの赤ん坊は小さく弱いものだが、年月を経て初めて、元気のよい、気力の盛んなものになる。それは草木の実が初めて地上に芽を出した時と同じだ。この時、急いで土を耕したり肥料をやったりしても、急に育つものではない。かえって害になるだろう。また添え木をしてまっすぐにしようとしても、生を害することになってしまうから、外からの害を取り除き、内からの生長を妨げるものを退けて、その生長をまっとうさせるのみである。
とはいえ、ただ成長を見守るだけでは子育てとして不十分だ。著者はさらに、こう付け加える。
人の情はまだ何も言わずわきまえない赤ん坊の時から発しているのだから、養育にあたる者がこの情をうまく導いて養育することが、道に従った養育である。
子どもが泣いている時は憂いを探り、安心させる。子どもに物言うときは大きな声を出さない。子どもが物を取るようになったら、箸を使うことを教える。
なんてことない日常のなかに、父親の愛情を説いた道徳的にも優れた本だ。子育てとは、子どもの発達に目を配り、成長を導くものでなくてはならないということを丁寧に諭してくれる。
学者たち推奨の教育本
江戸の教育本は数がおおくて、どれもこれも紹介したいけれどそうもいかないので、私がごく個人的におすすめする本を何冊か紹介したい。
当時の学者が推奨した本に、『訓蒙図彙(きんもうずい)』がある。日本で最初の絵入り百科事典でもあるこの本は、子どもたちに知識を与えて書物に親しんでもらう「はじまりの本」として読まれていた。植物などの図が描かれていて、めくっているだけで大人も十分に楽しめる。
江戸中期の儒者、湯浅常山は『文会雑記(ぶんかいざっき)』のなかで、子どもにはともかく『訓蒙図彙』を渡して、片一方に絵を、もう一方に文字があるものを置き、学びが楽しくなるように工夫しなさいと語っている。
むやみに読書をさせるのではなくて、自然に書物に親しめるように、まずは絵のある本や軍記物などから読ませること。理屈めいたことは、そのあとでいいらしい。
ほかにも江戸の子育て論の基本理念を記した『比売鑑(ひめかがみ)』、江戸時代後期の国学者による『待問雑記(だいもんざっき)』、子弟を教える方法を説いた『父兄訓(ふけいくん)』など、この時代には優れた本がたくさんあって、挙げだしたらきりがない。
今も昔も変わらない子育ての悩み
文字や書物に親しませたいとか(『文会雑記』)、子は親の真似をするものだとか(『父兄訓』)、習い事は六歳からはじめるのがよいとか(『比売鑑』)。江戸時代の教育本を読んでいると、親の子にたいする憂いは今も昔も大してかわらないのだなあと、しみじみ感じる。
幼いころから優しいふるまいと礼儀とを教え、悪い心には用心させたいという親心はどの時代もおなじらしい。願うのは、子どもの健やかな成長だ。いまと大きな違いがあるとしたら、より礼節を重んじることだろう。
優しいだけじゃない江戸の子育て
江戸時代、日本を訪れた外国人は日本人の親の溺愛っぷりに驚いたかもしれない。ただ、その愛情は子どもの機嫌をとるためでも傍若無人のふるまいをよしとするものでもなかった。そこには、父母の愛に引かれながら、知恵と才徳の芽を伸ばした大人になってほしいという親の願いがこめられていたのだ。
それにしても、こうした本が読まれなくなってしまったのは本当に残念。ていねいに読んでいくと、大人でもはっとするような学びがたくさんあるのに。
自分はもう立派な大人だからと、人に教わることはないと、えてして自分を立派に評価してしまいがちな人間の、思い上がりをたしなめ、恥ずかしさを与えてくれるその感じが私は妙に好きで、やはり古い本はやめられないのだ。子どもも大人も一緒になって学べるのが、江戸時代の教育本の優れたところだと思う。
【参考文献】
中江和恵「江戸の子育て」文藝春秋、2003年
山住正己、中江和恵「子育ての書(1)」平凡社、1976年
栗原圭介「孝経 新釈漢文大系(35)」明治書院、1990年