Culture
2019.09.12

美白テクからニキビの治し方まで!江戸版おしゃれマニュアル『都風俗化粧伝』を読んでみた

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時代を超えたロングセラー

京都で出版された『都風俗化粧伝』は、京都・大坂・江戸の三都で販売されました。
明治になると『女子風俗化粧秘伝』と改題。大正12(1933)年の関東大震災で版木が消失するまで版を重ね、110年にわたる超ロングセラーとなりました。『都風俗化粧伝』は約1世紀にわたり、多くの女性たちに支持され、活用されていたのです。

男性版の発刊も予定されていた?

なお、巻末に、『都風俗化粧伝』後編と男性版ともいうべき『競風俗美男鏡(くらべふうぞくびなんかがみ)』の近刊予告がありますが、いずれも刊行に至らなかったようです。

顔面之部/スキンケア

顔の造作の欠点をいかにして補い、美しく見せる方法と顔の疾(やまい)を治す薬の法を紹介しています。
具体的には、顔の色を白くして光沢(つや)を出す方法や薬の処方、低い鼻を高く見せる化粧法、大きい目を小さく、あるいは小さい目を大きく見せる方法、広い口を狭く見せる方法、厚い唇を薄く見せる化粧法、丸顔を面長に見せる方法など。

その内容からは、当時の美人の基準がどういうものであったか、女性が美しくみせるため、どのようなことを気にかけていたかがわかります。

『都風俗化粧伝』より

江戸時代の美人は「色白」

江戸時代は、「色白」が美人の第一条件でした。
「顔面之部」の頭書にも、

人生まれながらにして三十二相揃いたる美人というのは至って少なきもの也。化粧の仕様、顔の作りようにて、よく美人となさむべし。その中にも色の白きを第一とす。色のしろきは七難かくすと、諺にいえり。

とあり、「美人のありようは、色が白いことが第一である」と言い切り、「色が白ければ、多少難があってもその難を隠してくれる」と述べています。

このため、江戸の女性は、白粉の塗り方にこだわっていただけではなく、美白スキンケアも行っていたのです。

書いた人

秋田県大仙市出身。大学の実習をきっかけに、公共図書館に興味を持ち、図書館司書になる。元号が変わるのを機に、30年勤めた図書館を退職してフリーに。「日本のことを聞かれたら、『ニッポニカ』(=小学館の百科事典『日本大百科全書』)を調べるように。」という先輩職員の教えは、退職後も励行中。