2019年9月20日、「ラグビーワールドカップ2019™日本大会」が始まりました。
日本代表の大健闘で、ラグビーに興味を持った方も多いのではないではないでしょうか?
ラグビーの競技人口は、世界で約500万人、日本では約12万人いると言われ、子どもからお年寄りまで、幅広い年代の方が楽しむことのできるスポーツです。そして、世界中のラグビープレイヤーにとって、ラグビーワールドカップは、選ばれた人だけが出場することができる憧れの舞台なのです。
この記事では、日本ラグビーの歴史について解説します。
ラグビーの歴史を知れば、もっとラグビーワールドカップが楽しめること間違いなし!?
ラグビーの歴史
「rugby(ラグビー)」は、2つのチームに分かれて行われ、楕円形(だえんけい)のボールを奪い合って相手陣のインゴールまで運ぶ、あるいは、H型のゴール上部に蹴り入れて得点を競うスポーツで、正式には「rugby football(ラグビー フットボール)」と言います。
ラグビー発祥の地・イギリス
ラグビーは、イギリス発祥の競技です。
イギリスのパブリック・スクール(特に、イートン、ハロー、ラグビー、ウィンチェスター)では、教育の一環として、各校独特のルールでフットボールが盛んに行われていました。
1823年11月、ラグビー校での試合中、ウィリアム・ウェブ・エリス(Wiliam Webb Ellis)という生徒が、興奮のあまり、規則と慣習に反してボールを腕に抱えて走ったことが契機となって、ラグビーゲームが創始されたと言われています。
なお、ラグビーの起源については、このほかにも様々な説があります。
エリスは興奮のあまりボールを抱えて走ったのではなく、故郷アイルランドのゲーリックフットボール(gaelic football)のプレイをそのまま行ったにすぎない、という説も。
ラグビー校校庭のれんが塀にはめ込まれているメモリアルには、次のように刻まれています。
この碑石は、1823年、当時のフットボールのルールをみごとに無視し、初めてボールを腕に抱えて走り出し、ラグビーゲームの独特の形をつくり出したウィリアム・ウェブ・エリスの功績を記念するものである。
ラグビーの発祥地であるイギリスでは、中流階級から上流階級の間でも人気があり、その子息が通う名門校でも盛んに行われていることから、「紳士のスポーツ」と称されています。
ラグビー協会の設立
1871年、イギリス・ロンドンでラグビー協会(RFU:Rugby Football Union)が設立されました。「ラグビーフットボール」の名称は、結成の際に、全面的にラグビー校のフットボールの規則を基準として採用したことによります。
その後、1873年にスコットランド、1879年にアイルランド、1880年にウェールズに協会が設立されました。
1887年、プリンス・オブ・ウェールズ(のちのエドワード7世)がイギリスのラグビー協会総裁となったことにより、ラグビーはイギリスの国技としての基礎を固めました。
ラグビーが世界へ広がる
フランス、ニュージーランド、南アフリカなどにもラグビーの組織が結成され、国際交流試合が盛んになると、様々な問題が生じるようになりました。
このため、1886年、「国際ラグビーフットボール評議会(International Rugby Football Board:略称IRFB)」が結成され、規則の構成及び規則の解釈の確立、国際試合で生じたあらゆる問題の提訴及び疑義の解決などにあたることとなりました。
現在、ラグビーユニオンの国際競技連盟は「ワールドラグビー(World Rugby)」と呼ばれ、115か国(地域)が加盟。本部はアイルランドのダブリンに置かれています。
日本ラグビーの歴史
それでは、日本でラグビーが行われるようになったのはいつ頃からでしょうか?
江戸時代末期の開港をきっかけに、外国の様々な文化やスポーツが日本に入ってきました。ラグビーもその一つです。
日本ラグビー発祥の地は横浜!
日本のラグビー発祥は、「明治39(1899)年に慶応義塾の学生がプレイしたことによる」というのが通説でした。
しかし、近年の研究で、それよりも前に、外国人同士のラグビーの試合が横浜で行われていたことが判明したのです!
「横浜フットボールクラブ」とは?
「横浜フットボールクラブ」(現・横浜カントリー&アスレティッククラブ(YC&AC))は、横浜の外国人居留地に滞在していたイギリス駐屯地兵と外国人居留地の住民によって構成されたチームでした。
平成21(2009)年頃、横浜開港資料館で、外国人居留地で発行していた慶応2(1866)年1月26日の『Japan Times(ジャパンタイムス)』に「横浜フットボールクラブ」設立について書かれた記事が発見されました!
さらに、明治7(1874)年に発行されたイギリスの雑誌『The Graphic(ザ・グラフィック)』にも、「横浜で行われたフットボールの試合」というタイトルの絵が掲載されていたこともわかりました。
アジア最古のラグビークラブのお墨付きをもらう
そこで、平成27(2015)年、YC&ACの歴史研究員であるマイク・ガルブレイスさんが資料を収集してイギリスにある世界ラグビー博物館(World Rugby Museum)に問合わせたところ、慶応2(1866)年に設立された「横浜フットボールクラブ」がアジア最古のラグビークラブと認定されたのです!
『Japan Times』の紙面には、「競技を行うグラウンドの確保は難しいことではなく、横浜にはラグビー校やウィンチェスター校の卒業生が2,3人いることから、きわめて優れ、技術的にも高度なプレイが期待できる」と書かれていたとか。
「ラグビー発祥の地」記念碑の設置
「ラグビーワールドカップ2019™日本大会」開催に先立ち、横浜中華街の山下町公園に「ラグビー発祥の地 横浜」の記念碑が設置され、令和元(2019)年9月5日、除幕式が行われました。記念碑には、明治6(1873)年に横浜で行われた試合のイラストが描かれています。
横浜中華街の山下公園にある “日本で最初のフットボール(ラグビー)発祥地 横浜” 記念碑。公園入口の右側にあります。思っていたよりも小さく、中華街の中では目立たないので、気づかない方が多いようでした。
慶應義塾にラグビーチームが誕生
明治39(1899)年、慶應義塾に赴任した英語教師のエドワード・ブラムウェル・クラーク(Edward Bramwell Clarke)とケンブリッジ大学の留学から帰国した田中銀之助(たなかぎんのすけ)が学生たちにラグビーを指導し、「慶應義塾體育會蹴球部(けいおうぎじゅくたいいくかいしゅうきゅうぶ)」が誕生しました。
慶應義塾大学・日吉キャンパス内には、「ラグビー発祥の地」の記念石碑があることが知られています。
初めての試合は、明治41(1901)年。横浜の外国人クラブYC&ACと対戦し、35対5のスコアで大敗しました。体格や知識に大きな差があり、ラグビースパイクを着用していたのはクラークと田中の2人だけというハンディがありました。クラークは歯がゆさから、試合中に「You employ JUDO !(柔道を用いよ)」と叫んだと伝えられています。
慶應義塾ラグビーチームの黒黄ジャージ
慶應義塾ラグビーのシンボルと言えば、目にも鮮やかな黒黄のジャージ。蹴球部OB会もそのデザインにちなんで「黒黄会(こっこうかい)」と名付けられています。
黒黄のジャージのデザインは、明治40(1907)年に卒業した岡本謙三郎(おかもとけんざぶろう、のちに大学部文学科教授)が、アメリカ・プリンストン大学のカレッジカラー「タイガー」を模して考案したと伝えられています。
なお、それまでの蹴球部員のジャージは、黒一色のシンプルなデザインでしたが、黒黄のジャージに変わった途端に入部希望者が倍増したと言われています。ハイカラを好んだ塾生気質に、黒黄のジャージのデザインが大いにアピールしたようです。
慶應義塾蹴球部編『ラグビー式フットボール』(博文館、1909年刊)表紙 国立国会図書館デジタルコレクション
表紙にラガーマンのイラストが! ジャージは、黒黄ではなくモノトーンですが、横縞が目を引きます。
日本ラグビーの興隆期
大正時代に入ると、旧制高校や大学を中心にラグビーが盛んになります。
大正11(1922)年11月23日、初めてのラグビー早慶戦が、慶應義塾・綱町グラウンドで開催され、慶應義塾が14対0で勝利。当時の『時事新報』は、早稲田の善戦により「面白い試合」と伝えています。
トップリーグの誕生
ジャパンラグビートップリーグは、日本における社会人ラグビー(15人制、ラグビーユニオン)の全国リーグです。
以前の各地域リーグと全国社会人ラグビーフットボール大会を発展解消するとともに、全国の社会人チームの強豪が一堂に会し、高レベルな試合を増やし、日本ラグビーの活性化につなげることを目的として、平成14(2002)年5月、発足しました。
トップリーグ2019-2020シーズンは、16チームによるリーグ戦、リーグ戦上位4チームによるトーナメントのトップリーグプレーオフが行われます。
ラグビーワールドカップとは?
4年に1度行われる15人制ラグビー世界王者決定戦となるのが、「ラグビーワールドカップ(Rugby World Cup)」。
約7週間かけて行われるラグビーワールドカップは、夏季オリンピック、FIFAワールドカップとともに「世界3大スポーツイベント」の一つで、世界で40億人が視聴すると言われています。
ラグビーワールドカップのはじまり
第1回大会は1987年、ニュージーランド、オーストラリア共催で開催され、その後、4年ごとに開催されています。
開催年と開催地は、下記のとおりです。
- 第1回 1987年 ニュージーランド・オーストラリア共催
- 第2回 1991年 イングランド
- 第3回 1995年 南アフリカ
- 第4回 1999年 ウェールズ
- 第5回 2003年 オーストラリア
- 第6回 2007年 フランス
- 第7回 2011年 ニュージーランド
- 第8回 2015年 イングランド
- 第9回 2019年 日本
第1回大会から第3回大会までは16の国と地域が出場し、第4回大会からは出場枠が20に拡大しました。
ラグビーワールドカップの試合方法
ラグビーワールドカップ本大会は、予選プールと決勝トーナメントから構成されます。
予選は、出場チームをいくつかのプールに振り分け、プール内の各チームと1試合ずつ対戦します。試合の結果ごとに「勝ち点」(マッチポイント)が与えられ、合計ポイントの上位2チームが決勝トーナメントに進出します。
決勝トーナメントは8チームによるノックアウト方式で実施され、規定の時間内で決着がつかなかったときは延長戦が行われます。
日本代表はワールドカップにいつから参加?
日本代表は、過去8回のワールドカップすべてに出場しています! いずれもアジア予選を勝ち抜き、一つしかないアジア代表の枠を確保して出場したのです。
アジアでは最強国の日本ですが、世界の強豪国と戦うワールドカップの舞台では、過去8回で28試合を戦い、成績は4勝22敗2分です。残念ながら、まだ一度も1次リーグを突破することができていません。
ワールドカップ史上最高のジャイアントキリング
前回、2015年のイングランド大会での日本代表の活躍を覚えている方もいるかもしれません。
グループリーグの開幕戦で、ワールドカップで優勝経験2回の強豪・南アフリカ代表に逆転勝利! 海外メディアからは「W杯史上最も衝撃的な結果」「スポーツ史上最大の番狂わせ」と報じられました。
日本代表の1次リーグの成績は3勝1敗でしたが、勝ち点で南アフリカ、スコットランドを下回ったため、イングランド大会でも1次リーグ突破はできませんでした。
ラグビーワールドカップ日本の招致活動
日本ラグビーフットボール協会は、第7回大会(2011年)の招致を目指していましたが、平成17(2005)年11月、に行われた国際ラグビー評議会で開催地がニュージーランドに決まり、招致に失敗。
引き続き、第8回大会・第9回大会での開催を目指すべく招致活動を行い、平成21(2009)年7月28日、国際ラグビー評議会(現・ワールドラグビー)の理事会で、2019年の第9回大会の日本開催が決まりました。
アジアでは初のワールドカップ開催です。
ラグビーのトリビア?
ワールドカップ優勝トロフィーの掟
ワールドカップの優勝トロフィーは、ラグビーの創始者にちなんで「ウェブ・エリス・カップ(Webb Ellis Cup)」と呼ばれています。高さ472㎜、重さ4.5㎏。歴代優勝チーム名が刻まれています。カップは1906年製。純銀製で、金箔で覆われたカップの持ち手にはギリシャ神話のサテュロスとニンフの頭部が施され、顎鬚(あごひげ)のあるマスク、ライオンのマスク、ぶどうの木のモチーフにより、カップ全体が装飾されています。
この「ウェブ・エリス・カップ」は大変に神聖なもので、「優勝者以外は決して触れることができない」という厳しい掟があります。
ラグビーボールが楕円形の理由
ラグビーのボールは、他のスポーツではあまり見られない楕円形をしています。どうしてラグビーボールが楕円形なのか、気になりませんか?
その理由は、「豚の膀胱を膨らませて、そこに皮を張り付けて使っていたから」という説が有力です。豚の膀胱は適度に弾力があり、軽くて走りやすかったため、ボールとして使用するには最適だったそうです。
ジャージは襟付きが基本
ラグビーのジャージには、衿が付いています。
これは、試合が終わった後に敵味方関係なく語らう「アフターマッチ・ファンクション」の際、ネクタイをするためのものでした。相手に失礼になってはいけないということで、最初はジャケットを着ようとしたのですが、あまりにも暑いのでジャケットはあきらめたものの、せめてネクタイをしようということになりました。
ネクタイをするには襟が必要。そのため、ラグビーのジャージには襟が付くようになったのですが、現在では、襟がほとんどなくなっているチームのジャージもあります。
ジャージがピタピタ?
現在のラグビーのジャージは、体にフィットするピタピタタイプが主流。
相手につかまれにくくするために、ピタピタになっていったと言われています。
ただし、当初のピタピタジャージは薄くて耐久性がなかったため、すぐに破れてしまい、ゲーム後半になると、選手の体がむき出しになることもしばしばだったそうです。スポーツ用品メーカーは、「薄くて耐久性のある」ジャージを提供するため、研究・開発を続けているのです。
そして、ピタピタジャージーは体のラインがはっきり出るため、選手は体を鍛えるようになったとも言われています。
ラグビーワールドカップ2019™日本大会
「ラグビーワールドカップ2019™日本大会」は、20チームが参加し、全48試合が行われます。
現在まで、日本の12会場で熱戦が繰り広げられました。
決勝は、2019年11月2日(土)午後6時キックオフ。神奈川県横浜市にある横浜国際総合競技場(日産スタジアム)で行われます。
「ラグビーワールドカップ2019™日本大会」の決勝戦が行われるのは、横浜国際総合競技場。収容人数7万2327人のスタジアムです。
主な参考文献
- 『日本大百科全書』 小学館 1988年9月 「ラグビー(rugby)」の項
- 『世界大百科事典 29』(改訂新版) 平凡社 2007年9月 「ラグビー(rugby)」の項
- 『ラグビーの科学-ラグビーがもっと好きになる』 吉田義人監修 洋泉社 2016年3月
- 『日比野弘の日本ラグビー全史』 日比野弘編著 ベースボール・マガジン社 2011年6月
- 横浜ラグビー情報(横浜市市民局スポーツ統括室ラグビーワールドカップ2019推進課)
- 日本ラグビーのルーツ-慶應義塾体育会蹴球部の歩み-(Keio Times 2019/06/27)(慶應義塾)