最近の私は、思考も感情も乱れっぱなし。友人たちのきらびやかなSNSを見るたびに、自分以外のみんなが楽しい日々を送っているようで……悔しいやら焦るやら、心が忙しく跳ね回る。ああ、なんだか疲れちゃったなあ。
そんなあなたに、おすすめしたい漫画があります。
『日日べんとう』(佐野未央子/集英社)は、禅寺育ちのアラサー女性・黄理子が、環境の変化や人間関係のトラブルに巻き込まれながらも、日々お弁当を作って食べて、ブレない自分を貫きながら生きる物語。
そして、主人公の生き方に強い影響を及ぼしているのが「禅」の精神です。
『日日べんとう』のあらすじ
主人公の谷黄理子は、小さなデザイン会社で働く32歳の女性。食べることが大好きな彼女に欠かせないのは、日々のお弁当作りです。
毎日の体調に合わせてブレンドした雑穀米と漬物がメインのお弁当は、質素だけれど、心と体にジャストフィットした一番のごちそう。彼女の気持ちがいい食べっぷりに、読んでいるこちらまでおなかが空いてきます。
一見地味な印象の黄理子ですが、その出自には大きな秘密が。
実は彼女は、恋多き大女優・谷原紅子が16歳の時に産んだ隠し子。母ではなく、女優として生きることを選んだ紅子は、知人の高僧・方丈(通称・方丈爺(ほじょじい))の寺に、生まれたばかりの娘を預けたのです。
このことは、決してバレてはいけないトップシークレット。しかし、勤め先の上司、荒井が、なぜかそのことを知っていて……。
『日日べんとう』1巻
以上が、1巻のおおまかなあらすじです。複雑な家庭事情に、始まるか始まらないかの上司との恋愛。黄理子はどのように乗り越えていくのでしょう。
そもそも「禅」ってなに?
黄理子が幼少期から高校時代まで過ごした「禅寺」と、そこで学んだ「禅」の精神。
彼女の人生にも物語にも深く関わってくることになるのですが、そもそも禅とはいったいどういうものなのでしょう。
「禅」とは、物事のありのままの姿を見つけ出すことができる、穏やかでととのった「心の働き」のことをいいます。
たとえば、「あの人のことが嫌い」という思いにとらわれているときには、「あの人」のありのままの姿は見えてきません。仮に良いところがあったとしても、「嫌い」という強い思いにかき消されてしまい、より意地悪で悪人であるかのように思えてしまうものです。
また、もともとまったく行きたいと思っていなかった場所や、欲しいと思っていなかったものも、友人たちがこぞってSNSにのせているのを見ることで、「ここに行きたい」「あれを手に入れたい」と思い始めてしまうことがあります。うらやましい、うらやましがられたいという気持ちが強すぎて、「本当は欲しくない」という自分の心が見えなくなってしまうのです。
どちらも、身に覚えのある経験ではないでしょうか。
禅の精神を身に着けていれば、こんな風に、自分が自分の心に振り回されてしまうのを防ぐことができます。自分や他人の「ありのまま」の心を見つめなおすことで、もっと生きることが楽になっていくはずです。
ブレない自分を貫いている、黄理子のように。
物語の要! 黄理子の「禅」的な生き方とは……
さて、ここでは物語から垣間見えてくる、黄理子が大切にする禅のこころを、いくつか紹介したいと思います。
ちなみに、物語の語り手は20年間使っている「曲げわっぱ」!
1)毎日をシンプルに過ごす
黄理子の一日はとってもシンプル。
たとえば、仕事が終わった後の家での過ごし方はこんな感じ。
晩ごはんを作って、食べて、図書館から借りてきた本を読む。
パソコンもテレビも持っていないので、自然とデジタル断食状態に。
夜更かししすぎないうちに床についてしまいます。
とってもふつうで、デザイナーという職業を考えると地味にも思えるライフスタイル。そこには誰に見せようとか、ほめられようという気持ちがみじんもありません。
それはきっと、黄理子が今の自分にとって必要なもの、不必要なものを常に考え続けているからなのです。
禅には「知足」という言葉があります。
人間の苦しみや悩みはすべて、あれが欲しい、ああなりたい、こうだったらいいのに……という「欲」から生まれるものだから、「足るを知って」、つまり自分の今の状態に満足して、心穏やかに生きましょう、という教えです。
自分にとって本当に必要なものは何か? 一度じっくり考えてみると、物も時間も、かなりのものが節約されて、余計なものごとに大切な人生を奪われなくてすむようになるかもしれませんよ。
2)食べることを大切にする
基本的に節制した生活を送る黄理子ですが、もっとも時間やお金をかけるのは「食事」です。
たとえば、忙しい朝でも、毎日自分の体調に合わせたごはんを炊いて、わっぱに詰めていくのが彼女のマイルール。ある日は十六黒米を混ぜて、またある食べ過ぎた翌日は、麦を多めにブレンド……といった感じ。
禅宗では、食事係のことを「典座(てんぞ)」と呼びます。そして意外にも、この典座の役職には、修行経験の長い高僧でないとつくことができないのです。
それは禅の「衆生本来仏なり」……つまり、生きとし生けるものはみんな仏である、という考え方に基づきます。私たち人間も、みんなが仏さま。したがって食事は、仏さまの命を養う大切な行為だと考えられます。
たとえ、自分ひとりで食べるごはんだとしても、それはただの命ひとつのための大切な食事。
小さなころから禅寺で、典座さんが丁寧に作る料理を食べてきた黄理子には、そのことがよくわかっているのでしょう。
黄理子が何度も思い出す方丈爺の言葉に、「自分の体のことは、だれよりも自分が一番よく知っている」といった言葉があります。
私たちも、情報に惑わされず、体と心が本当に求めるものを毎日食べられたら良いですね。
3)他人や自分に期待しすぎない
複雑な家庭環境で育ってきた黄理子。時には身勝手な母を思い、眠れないほど怒りを覚える夜もあります。
しかしあるとき、彼女は決心しました。
自分や他人に対する期待をすべて手放して、ありのままの自分を愛してあげよう、と。
「一切唯心造」――すべては、自分の心が作り出すものである、という教えです。
「こうであってほしい」という気持ちが強いほど、理想と現実の距離の大きさがのしかかってきて、苦しくなってきます。
本当はこうであってほしかった、あのときああしてほしかった、という母に対する期待も、そこから生まれる怒りも、自分自身の凝り固まった考えによって作り出されているものなのです。
たとえ周囲が自分の期待に応えてくれたとしても、また次の期待、その次の期待……と、新たな期待が生まれては、それがかなわぬ苦しさに押しつぶされてしまいます。
まずは、自分自身が今の自分を認めてあげること。
生きることを楽にしてくれる禅の知恵です。
4)今日、気分が晴れなくても、明日はよい日
「日日是好日」。
映画のタイトルにもなりましたが、もともとは禅の精神を表す言葉。黄理子もこの言葉を、方丈爺が大切にしていた言葉として、また自分が大切にしたい志として、心にとめているようです(タイトルの『日日べんとう』も、この言葉のアレンジだと思われます)。
心が沈んだ夜、黄理子が必ず行うことがあります。
それは、お菓子を作ること。
もちろん、作業に集中した後は、出来上がったお菓子をおいしく食べるところまでワンセットです。
この行為は作中で「お菓子作りの行」と呼ばれています。
行(ぎょう)とは、修行の「行」のこと。禅では、掃除や家事など、生きるための一切の行動を「作務」と呼び、それらすべてを修行であると考えています。ひとつの物事をていねいに集中して行うことで、雑念が消え、仏教でおなじみの坐禅や写経をしているときと同じような心の状態を作ることができるのです。
今日、少し落ち込んだとしても、明日には新しい日がやってきます。
夜のうちに心に残る雑念を取り去ってしまうことは、新しいよい日を生きるために欠かせない習慣なのです。
『日日べんとう』が読めるのはこちら!
いかがでしたか?
黄理子にはこのあと、仕事でも恋愛でも、数々の転機が訪れます。そのたびに、母・紅子ともひと悶着、ふた悶着が起きるのですが……。
黄理子がどのようにトラブルを乗り越えるのか、そして、どうしたら彼女のような強い心を持つことができるのか……気になったら、ぜひ漫画を読んでみてくださいね。
『日日べんとう』は全13巻で発売中。
【参考】
『生きるのが楽になる禅の言葉』(武田鏡村著 武田双雲書 三笠書房)
『道元「禅」の言葉』(境野勝悟 三笠書房)
曹洞宗公式サイト
臨済禅黄檗禅 公式サイト 臨黄ネット