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2020.03.19

あなたならどうする?大火災発生時、牢屋を管理する石出帯刀が下した驚くべき決断とは  

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明暦3年1月18日(1657年3月2日)に発生した明暦の大火をご存知でしょうか。死者は推定10万人という説もあるほど、江戸時代最大の被害を出した大火災として有名です。今回はこのような過酷な状況下、勇敢な行動で多くの囚人たちの命を救い、現行の刑事収容施設法にも影響を与えたひとりの人物についてご紹介します。

主人公となるのが石出帯刀(たてわき)こと石出吉深(いしでよしふか)です。石出帯刀とは江戸幕府で囚人などを収容した施設の囚獄(牢獄奉行)を務めた世襲名。牢屋敷や収監者を管理したり、牢屋敷役人の同心(下級役人)や下男を束ねたりすることが主な仕事でした。

さて、本郷丸山の本妙寺から出た火は、80日以上も雨が降っておらず非常に乾燥していたこと、その日は強風が吹いていたということもあってか大火災に。火は京橋あたりまで燃え広がります。

「むさしあぶみ」 浅井了意著 国立国会図書館デジタルコレクションより。大火の悲惨さを伝えることを目的とした文学作品

このままでは管理している小伝馬町の牢屋敷に火が移って囚人たちが焼け死ぬことになる。それではあまりにも不憫だと吉深は考えます。しかし鍵は奉行所が保管しており吉深の手元にはありません。刻一刻と迫る火の手に対し、奉行所へ鍵を借りにいく余裕はなかったことでしょう。独断で「逃げることなく、必ず浅草新寺町の善慶寺に戻るように」という条件をつけて囚人たちを外に出しました。これを「切り放ち」(期間限定の囚人解放)といいます。

「むさしあぶみ」より。絵からは逃げ惑う人々の緊迫感が伝わる

囚人たちがきちんと戻ってくる保証はなにもなく、万が一、悪事を働きなどしたら吉深1人の責任問題では済まされません。しかし彼は囚人たちの人権を考え、リスクをとった行動を起こしたのです。そんな自分の命を引き換えにした勇気ある決断に、囚人たちは感激し、涙を流したといいます。

さて、結果はというと、一時釈放された囚人たちは翌日の19日までに全員が指定の場所に戻ってきました。それをみた吉深は、その義理堅さを評価します。そんな彼らを死罪とすることは長期的に考えて国の損失になると考え、老中に減刑を嘆願したのです。これを受け、幕府は収監者全員の減刑を実行しました。なお、吉深が行った切り放ち後の罪人に対する処置は慣例化し、さらには明治時代の監獄法や現在の刑事収容施設法にまで受け継がれています。

多くの囚人の命が助かった一方で悲劇も起こりました。切り放ちで解放された囚人たちが浅草橋門へと殺到、役人たちが囚人の脱獄だと勘違いし門を閉ざしてしまったのです。このため、逃げ場を失った一般市民を含む2万人以上が死亡したといいます。

非常時が起こった時にどう行動するか。現代でも様々なリスク、判断にさらされている私たちにも、吉深や囚人らの行動には学ぶところがあるのではないでしょうか。