日本独特の国風文化が花開いた平安時代。紫式部や清少納言などの女流作家の活躍も顕著で、煌びやかな十二単の衣装は平安時代の貴族たちの優雅で華やかな生活を象徴していると言えるでしょう。しかし、彼らの衛生事情は豪華な衣装や住居ほど自慢できるものではなかったのかもしれません。迷信を信じ、占いに没頭。風呂にも入らない狂気的な平安貴族たちの生活を見ていきましょう!
お風呂大好き日本人!ではなかった
日本人は自他共に認めるお風呂好き!でも、今の私たちがイメージする湯船にザップーンというスタイルのお風呂がメジャーになったのは江戸時代に入ってからのことです。では、それ以前はどんなお風呂に入っていたのか。平安時代で風呂といえば、「風呂殿」と呼ばれる、今でいう蒸し風呂のことを意味しました。蒸し風呂で汗を流し、浮き出た垢などを拭き取っていたそうです。
ちなみに、蒸し風呂ではお尻の下に布をしき、「湯帷子(ゆかたびら)」を着用して入っていました。湯帷子とは、平安時代以後の上層階級が入浴時に着用していた麻の単衣(ひとえ)、つまり裏地のない着物のことです。これらの入浴アイテムが、現代の私たちが知る「風呂敷」と「浴衣」のルーツです。
貴族の風呂には、もう一つ「湯殿」というものがありました。湯殿は比較的今のお風呂に近いものです。貴族の風呂というと、旅館の露天風呂のような広く、ゆったりとしたものを思い浮かべますが、長さ五尺二寸(約一・五六m)、幅二尺一寸(約六三cm)、深さ一尺七寸(約五一cm)、その板の厚さは二寸(約六cm)と決まっており(『延喜式』巻三十四)、比較的小さいものでした。
蒸し風呂を風呂と呼ぶのに対して、こちらは「湯浴(ゆあみ)」と呼ばれ、浴槽に浸かるのではなくお湯を汲んで浴びるという行水方式で使用されていました。
ん?ちゃんと体を流していたの?と思うところですが、問題は当時の貴族にお風呂で体を綺麗にするという意識がなかったことです。体を流すことは「禊(みそぎ)」と捉えられていて、体を清めるためであり、体を清潔にするためではありませんでした。
お風呂も爪切りもぜ〜んぶ陰陽師任せ
平安貴族の生活は、爪切りから風呂、仕事、外出時の方向まで陰陽師による占いによって全て左右されていました。ちなみに、爪や髪は霊力や呪力が宿るとされ、呪術によく使用されていたため自分の魂と同等のものと考えられていました。現代ではDNA鑑定に使われるのですから、大事な個人情報という意味ではあながち間違いではないかも。
映画の題材にもなった有名人、安倍晴明もこの時代を生きていました。科学の発達した現代を生きる私たちには、バカらしく聞こえるかもしれませんが、当時は陰陽道こそが最先端の学問だったのです。
そんな占いを真剣に信じていた貴族たちは、お風呂に入るのも占い次第。占いで決まった日にしか湯浴はしませんでした。五日間に一回程度、つまり月にたった五〜六回程度だったと言われています。決められた日以外に体を洗うと、体を洗ったところから邪気が入り、病気になったり死んだりしてしまうと信じられていたのです。
蒸し風呂も使用していたので、それを合わせると二〜三日に一回程度体を洗っていたとも言われています。ただし、体を洗うという習慣がなかった貴族たちは、ゴシゴシと垢を落とすということはせず、清潔だったとはとても言い難い状況だと考えられます。そのため、皮膚病にかかる貴族も多かったとか。清少納言は『枕草子』で、ある貴人の着物のえりに垢が付いているのを指摘しています。
ちなみに、漆黒で艶のある長い髪が美人の条件であった平安時代の女性たちにとって髪は命。特に、特定の人以外には顔を見せなかった貴族の女性たちにとっては髪は男性に直接アピールできる大切な要素だったので、ヘアケアは欠かせません。お風呂には入らなくても、米のとぎ汁で艶を出したり、香木で香りをつけたりなどヘアケアには余念が無かったようです。
臭いはお香でごまかしちゃえ!
清潔感の欠如した平安貴族たち。特に女性は長い髪にもかかわらず、月一程度しか洗髪をせず、分厚い着物を着ていたため、体臭は免れなかったでしょう。では、制汗スプレーも消臭スプレーもない時代にどうやってその臭いをごまかしたのか。ズバリお香の匂いです。
粉末にした香木を蜂蜜や梅の果肉などと練り合わせた「薫物(たきもの)」を、炭火で炊いて部屋に香りを充満させたのが最も一般的な活用方法です。衣服や小物にも香りをつけて、体臭をごまかしていたと考えられています。基本の調合方法は六種類。これを基本にして、アレンジを加えることで個性を出していました。
服装や化粧が形式的に定められていた時代に、お香は自分らしさを主張できるツールでもあったのです。もともと仏教とともに来日し、魔除けなどに使われていた香木。まさか、こんな使い方をされるとは思ってもいなかったでしょう。
貴族より綺麗好きの庶民
貴族でそんな不衛生なら、庶民はもっとひどいだろう。そう想像してしまいがちですが、実は平安時代の庶民は貴族に比べると比較的綺麗だったようです。
庶民は貴族ほど日々の生活を占いに左右されることはなく、比較的頻繁に公共の蒸し風呂を使用していました。水で体の汚れを落とすということも、庶民の中ではわりと浸透していたと言われています。
普通に考えれば、裕福で衛生面もきちんと整えられるであろう貴族が、占いに惑わされ、貧しい庶民より不衛生な生活をして皮膚病にも苦しんでいたなんて、少し滑稽にも思えますね。
う○こまみれの平安京?
さて、貴族たちはかなり衛生面に無頓着だったという話ですが、そもそも平安京自体があまり衛生的ではなかったようです。平安京は緻密な計算を元に設計され、当時の最先端技術と文化が集結した都市でした。しかし、どういうわけか、衛生面はかなりお粗末だったようです。
奈良時代には、原始的ではありますが水洗トイレが存在していました。にもかかわらず、平安京で水洗トイレが使用されていた形跡は未だ見つかっていません。屏風や簾で区切った「樋殿(ひでん)」と呼ばれる空間に、「樋箱(ひばこ)」と呼ばれる簡易トイレを置いて使っていたそうです。
位の高い貴族たちは「樋洗(ひすまし)」と呼ばれる下級身分の女性に樋箱の管理をさせていましたが、庶民はもちろん自分たちで管理していたため当時の家屋は臭いがひどかったといわれています。さらに、庶民の誰もが樋箱を使えていたわけではありません。むしろ、かなり多くの人が樋箱を使用していなかったといいます。
では、彼らはどのようにして用を足していたのでしょう。実は、シンプルに道端で済ませてしまうことがとても多かったそうです。衣服が汚れないように、高下駄を履くという工夫をしていました。誰もかれもが道端で排泄していたなんて、現代の日本では想像もつかない状況ですね。
華やかなイメージが強い平安時代なだけに、お粗末な衛生事情はかなりショッキングです。文句を言う人はいなかったんでしょうか。諸説ある平安時代の入浴事情ですが、本当に当時の貴族が体臭を我慢した生活を強いられていたとしたら・・・。お風呂大好きな私としては、お風呂文化が定着したことに感謝です!
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