ご本尊などを表した朱印(しゅいん=朱色のハンコ)と、本堂や寺号を墨で書いたものをあわせて「御朱印(ごしゅいん)」。近年、神社仏閣めぐりや仏像めぐりに加え、この御朱印をいただくために寺院や神社をめぐる人も急増中です。小さな帳面に赤と黒で記される御朱印は、まるで日本独自のアート作品のよう。鑑賞する楽しみがありながら、寺社をめぐるごとにひとつひとつ増えていく“めぐり好き”ゴコロも刺激します。
これからの寺社めぐりにおすすめしたい御朱印めぐり、まずは「御朱印の歴史や成り立ち」を探ってみましょう。
御朱印の意味や歴史
御朱印の意味 ー 元々は納経の際に授与されていた!
そもそも御朱印とは、「書き写したお経を奉納した証」として授与されるものでした。四国などで御朱印を納経印(のうきょういん)、御朱印帳を納経帳(のうきょうちょう)と呼ぶのはそのためです。庶民も旅が許された江戸時代、参拝が旅の目的(大義名分?)となったことで、寺の周辺は観光地として多くの人が訪れるようになりました。
その後次第に写経の証としての御朱印本来の意味は薄れ、参拝するだけでもいただけるようになります。寺院のにぎわいぶりは神社にも影響を与え、神社も御朱印を授与するようになりました。
写真右は、3巡目に突入したお遍路さんの納経帳。左は霊山寺の納経印。中央の朱印も墨書きも、本尊の釈迦如来を表します。
人々が御朱印を“集める”風習のルーツはどこに?
答えは西国三十三所巡礼や四国のお遍路にあります。四国八十八ヶ所霊場を参拝読経するお遍路は、弘法大師が開いた信仰の道場(霊場)を大師亡きあと、弟子や行者が修行してまわったのがはじまりです。
庶民の間でお遍路は、200年ほど前から各地の社寺を参拝してまわる巡拝(じゅんぱい)という形で広まりました。「一生に一度はお伊勢参り」といわれた伊勢神宮参拝同様、お遍路も旅の大義名分という側面が大きかったようです。写経や読経を行う修行ではありましたが、行く先々で景色を眺め土地の味に舌鼓を打つなど、旅としての楽しみもあった巡拝。観光にグルメに買い物…と、その内容は今の私たちの旅と同じですね。
御朱印を集めるようになったのは、西国巡礼や四国遍路がひとつの旅の形として定着した戦後のこと。意外と新しい風習です。あくまで参拝の証としていただく御朱印ですが、「集めて愛でる」に値する美的価値があるのも確か。増やしていく喜びがあり、旅の記憶帳でもあり、鑑賞の対象にもなるということで、御朱印めぐりは、旅のひとつのスタイルになったのです。
御朱印のいただき方
境内ではどうする?神社やお寺の参拝マナー
歴史がわかったところで、次は実際に御朱印をいただきましょう。ここでは基本的な流れを掲載しますが、まずは敬虔な心持ちで参拝を。
1.聖域の入り口である山門や鳥居は一礼してくぐり 2.手水舎(てみずしゃ)で手と口を清め 3.線香などがあれば奉納するのもよいでしょう。 4.参拝では賽銭(さいせん)をし 5.寺院では静かに合掌。神社では基本的に二礼二拍手一礼で拝みます。 6.鳥居を出る時などは振り向いて立ち止まり、軽く一礼。神社の参道は神さまの通り道でもあるため、行きも帰りも中央を避け、少し右か左に寄って歩くとよいでしょう。
▼もっと詳しい参拝のマナーが知りたくなったらこちら(神社編)
神社を参拝する前に知っておきたい! 手水の正しい使い方は? お賽銭の相場は?素朴な疑問10
御朱印代(値段)は?
御朱印はお守りなどをいただく授与所や定められた御朱印所でいただきますが、僧侶や神職がひとりひとりのために心を込めて書いてくださるもの。同行者がいてもこのときばかりはお喋りをやめて待ちたいものです。御朱印帳のいただきたいページを開き、厳かな心持ちで「お願いします」と差し出しましょう。
真っ白な紙面に走る筆を眺めていると、気持ちが落ち着くから不思議です。書いているところが見えない場合でも、静かに待つのが礼儀。参拝と御朱印授与への感謝の気持ちで受け取り、御朱印代(300円程度)を納めましょう。
参拝して御朱印をいただくということは、神さまや仏さまと縁を結ぶこと。単なる参拝の記録とは異なり、御朱印帳は縁を重ねた証でもあると考えると、その扱いも自然と丁寧になりますね。
御朱印の楽しみ方
古くは写経、現代では参拝の証としていただいた御朱印。複数の朱印を捺(お)し、本尊や神社名を中央に墨書きしたり日付や山号などを書き入れたりする、朱印と墨書きのコラボアートといった趣です。何が書かれているのかわかると、御朱印はぐっと身近なものになるはず。
御朱印にはこんなことが書かれています
今回は、寺院の御朱印の見方をご案内します。
東京・浅草寺の御朱印の例
1.奉拝・・・「謹んで参拝しました」という意味を表します。代わりに山号(さんごう。仏教寺院の称号)が書かれることも。
2.押印・・・山号や寺院の俗称、札所(ふだしょ)番号などが捺されます。「奉拝の墨文字」に「山号の朱印」の組み合わせで記される場合も。
3.山号・・・寺院名の頭につける称号。書かれない場合もあります。
4.御本尊名やお堂名・・・中央に本尊名やお堂の名前が墨書きされるのが一般的です。観音菩薩を大悲殿など別名で記すこともあります。
5.梵字(ぼんじ)・・・本尊を表すための文字。中央がお堂の名前の場合には記されません。
6.日付・・・左上や右下などに参拝した日付が記されます。御朱印軸にいただく場合や、四国八十八ヶ所霊場では記入されません。
7.三宝印(さんぽういん)や御法印・・・仏・法・僧の三宝を「仏法僧宝」の四文字の篆書(てんしょ。楷書のもととなった、歴史の古い書体)で記した三宝印や、本尊を梵字で表した御宝印が書かれています。
8.寺号・・・左下には寺院名の墨書きが。山号と寺号の両方が書かれる場合もあります。寺号の墨書きと寺号印が重なります。
9.押印・・・寺院の名称が刻まれた朱印です。四角が一般的ですが、円形や梵鐘形(ぼんしょうけい。釣鐘の形)などもあります。寺号と山号の両方が刻まれることもあります。
寺社それぞれに個性があり、手書きのため、いただいた御朱印はまさに世界にたったひとつ、自分のためのもの。そう思うと、より味わいが増しますね。
やっぱり人気! カラフル! 授与日限定の御朱印紹介
神さまや仏さまと縁を結びながら、御朱印めぐりを楽しむために知っておきたいのが、限定期間しかいただけない特別な御朱印です。タイミングが合えば、ご縁を結びに行くのとともにいただいてみては?
東京の限定御朱印
小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)
6月30日・7月1日 限定
富士山の溶岩を運んで築かれた富士塚のある神社。毎年大祓(おおはらえ)と山開きに際して祭礼が行われ、その2日間のみ山開きの御朱印がいただけます。境内にはもうひとつ富士塚をもつ十条冨士神社があり、同様に御朱印を授与しています。
住所 東京都台東区下谷2-13-14
公式サイト
神奈川の限定御朱印
円覚寺(えんがくじ)
11月上旬 限定
鎌倉五山の古寺。収蔵文化財の虫干しを兼ねて展示する宝物風入(ほうもつかぜいれ)という行事があり、その期間中に国宝の舎利殿がある塔頭・正続院(しょうぞくいん)を公開。「舎利膽禮(しゃりたんれい)」と墨書きされる御朱印が授与されます。
住所 神奈川県鎌倉市山ノ内409
公式サイト
名古屋の限定御朱印
若宮八幡社(わかみやはちまんぐう)
元々は、文武(もんむ)天皇の時代に那古野庄今市場(なごのしょういまいちば)に創建されたとされる神社で、7月1日~8月31日に行われている風鈴まつりの期間中にカラフルな限定御朱印を授与しています。
住所 愛知県名古屋市中区栄3-35-30
公式サイト
京都の限定御朱印
八坂神社(やさかじんじゃ)
7月1日〜31日 限定
平安時代、流行した疫病の除去を祈ったのがはじまりの祇園祭。その1か月期間限定の御朱印が、「祇園 御霊会」と墨書きされた御朱印。祇園祭を象徴する山鉾が印刷された用紙にいただきます。
12月13日~2月3日 限定
毎年御祭神の在する方角に向かってことを行えば万事に吉とされ、また初詣には自宅から見て恵方の方角の神社に参る恵方詣りがあり、その時期にいただける御朱印です。
住所 京都府京都市東山区祇園町北側625
公式サイト
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)
7月13日〜15日(新暦盆の時期) 限定
7月16日は、閻魔さまの縁日で、今一度「死後の世界」・「輪廻転生」さらには「地獄の世界」などを見つめ直し、考えて欲しいと、地獄絵や十王図などの特別展観とともに記念の御朱印を授与しています。
住所 京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595
公式サイト
仁和寺(にんなじ)
毎月8日 限定
通常は「阿弥陀如来」や「旧御室御所(きゅうおむろごしょ)」などの御朱印がいただけますが、薬師如来の縁日である8日にのみ授与される御朱印が「薬師如来」の墨書き。国宝の薬師如来は秘仏のため公開されないのでせめて御朱印をいただいてみては。
住所 京都府京都市右京区御室大内33
公式サイト
奈良の限定御朱印
興福寺 北円堂(こうふくじ ほくえんどう)
春と秋の特別公開時 限定
国宝の北円堂の内部は通常非公開ですが、春と秋に特別開扉があり、弥勒如来(みろくにょらい)などの国宝仏を拝見することができます。この公開日にのみいただけるのが、「北円堂」と書かれた御朱印です。
住所 奈良県奈良市登大路町48
公式サイト
御朱印をいただく際の必需品、御朱印帳とは?
では、御朱印をいただく際に必要な御朱印帳ってどんなものなのでしょうか?御朱印をいただく帳面に特に決まりはないそうですが、朱印帳、あるいは集印帳として販売されているものの多くは文庫本程度の大きさで、持ち歩くのによいサイズです。それではどんなものなのか、さっそく見ていきましょう。
御朱印帳のデザインや仕様はこんなふうになっています
まず表紙ですが、織地や染め生地、和紙や千代紙などで、色柄はさまざまです。お堂や周囲の景色などを表した寺社オリジナルの御朱印帳も多くあります。
帳面部分には楮(こうぞ)を原料とした厚手の和紙である奉書紙(ほうしょがみ)や、越前などの特産和紙を用い、裏表使用できる蛇腹式が多いのが特徴です。裏面の使用は自由ですが、2枚重ねて張り合わされているとはいえ、墨書きが裏までにじむ場合もあるので片面しか使わないという人も多いようです。
和綴(わとじ)やコデックス装(蛇腹式ではなく一辺が閉じられているノート式)の場合は御朱印をずらりと一度に眺めることはできませんが、ページをめくると次々と御朱印が見られるという楽しみもありますね。
2015年7月号の雑誌和樂の付録では、染色家 芹沢銈介(せりざわけいすけ)の代表作をあしらった御朱印帳が。
なお、御朱印帳は、和紙の老舗である榛原(はいばら。公式サイト)、鳩居堂(きゅうきょどう。公式サイト)、http://www.goshuincho.jp/ などの専門店などで購入できます。
【現地レポ】 四国のお遍路
和樂記者が四国お遍路を取材! 今回は日帰りということもあり、第一霊場から第三霊場を車で移動したレポートをお届けします。
何度もめぐって信仰を深める信者が多い四国のお遍路。2順め以降は納経帳を新調せず、印だけを重ねて捺していただく〝重ね印〟の風習が。巡拝を重ねるほど朱く染まっていきます。
四国第一霊場 霊山寺(りょうぜんじ)
徳島空港から車を走らせること30分、まずは第一霊場の霊山寺を参拝します。
駐車場にある売店はさすが第一霊場、装束一式から菅笠(すげがさ)や金剛杖(こんごうづえ)、納経帳、数珠や線香など、さまざまなお遍路グッズが揃っています。正式な遍路装束に身を包んでもよし、法被(はっぴ)やベスト式の白衣(びゃくえ)と輪袈裟(わげさ)の簡略装束でもよし!
身支度を整えたら、まずは山門前で一礼。手水舎で手と口を清め、本堂に参拝してから御朱印をいただきます。ここ四国では「御朱印」ではなく「納経印」と呼ぶのだそう。だから「御朱印帳」も「納経帳」といい、御朱印は写経を納めた証としていただくもの…という本来の意味を感じます。
取材のためご住職から話を伺い、いよいよ納経印をいただきます。四国のお遍路には専用の納経帳がありますが、旅行時の立ち寄り参拝なら普段使っている御朱印帳で構いません。
2014年末から各所で御朱印をいただいている記者も、マイ御朱印帳を開いて「お願いします」と手渡します。朱印を捺し、墨書きを施すさまを目の前で拝見するのも、御朱印をいただく楽しみのひとつ。すっと背筋を伸ばして少し前かがみになり、さらさらっと筆を運ぶさまは、どこの寺社で拝見しても気持ちのいいものです。
霊山寺は「一番さん」という愛称で親しまれている、四国お遍路発願(はつがん)の寺。天平年間(729~749年)に聖武天皇の勅願により行基(ぎょうき)が開山。弘仁6(815)年、弘法大師がこの寺で煩悩を浄化し救済を図るために修行し、霊場の開設と成就を祈願したと伝わります。本尊は釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)です。
住所:徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126
四国第二霊場 極楽寺(ごくらくじ)
次は霊山寺から車なら2分程度の極楽寺(ごくらくじ)。歩き慣れていない人の脚でも、徒歩10分程度の距離です。
ここも行基開祖の寺。八十八ヶ所霊場のうち28の寺が行基によります。弘法大師が霊山寺の修法(しゅほう)を行ったのと同じ年に、ここで阿弥陀経を37日間読経し、現れた阿弥陀如来の姿を彫って本尊としました。境内には弘法大師お手植えと伝わる樹齢1200余年の大杉が。幹に触れば長寿を得るといわれています。門前の土産物屋でうどんと名物のお餅をいただけます。
住所:徳島県鳴門市大麻町檜段の上12
四国第三霊場 金泉寺(こんせんじ)
霊山寺同様、聖武天皇の勅願(ちょくがん)により行基が開山したお寺。本尊・釈迦如来の脇には阿弥陀如来と薬師如来が。弘仁年間(810~824年)の弘法大師四国巡教の折に、霊水を掘り当てたという井戸が境内に残っています。花鳥を描いた護摩堂の格天井や、「新平家物語」に登場する弁慶の力石なども。
住所:徳島県板野郡板野町大寺亀山下66
番外編:御朱印帳と御朱印帖、2つの表記の違い
「帳」と「帖」の字、なぜ2種類あるのでしょうか?それぞれ漢字の意味を調べてみました。
「帳」・・・幕。カーテン。帳面。ノート。
「帖」・・・書きつけ。はりふだ。習字の手本。折り本。
出典:新選漢和辞典 第6版 小学館
冊子を意味するという点では同じですが、「帳」は布、「帖」からは紙をイメージさせますね。
ただ、「帖」の字は当用漢字(※)ではなかったため、「帳」の字が広まったという説も。現在は常用漢字以外の漢字も使用できるため、両方が使用されています。
(※)1946年〜1981年の間、日常生活の当座上では漢字の使用が制限されていました。その後常用漢字として集約されます。
写真/篠原宏明、小寺浩之
※本記事は、雑誌和樂2015年7月号の記事に加筆・再編集のうえ掲載したものです。限定御朱印のデータは、2019年6月1日のものです。