カレー界の千利休は中村屋で、古田織部は大阪スパイスカレー? 馬鹿馬鹿しいことを真剣に追求する、日本文化の入り口マガジン『和樂web』。カレーとお茶の共通点を語り合う! とタイトルに掲げてみましたが、ペアリングとかおいしいお店の情報を公開するわけではありません。
和樂web編集長セバスチャン高木が、日本文化の楽しみをシェアするためのヒントを探るべく、さまざまな分野のイノベーターのもとを訪ねる対談企画。第14回はカレー研究家のタケナカリーさんです。
ゲスト:タケナカリーさん
カレー研究家、CHANCE THE CURRY代表。ほぼ毎日カレーを食べている。最近は専ら日本的なカレーの模索にどっぷりで和食とスパイスの組み合わせを探求中。執筆、レシピ開発やカレーイベントの主催、製品開発なども手がけている。カレーから愛されたい。手がいつもカレー臭い。
カレー界の千利休は、中村屋だ!
高木(以下、高): タケナカリーさんが毎週開催しているClubhouseの「カレー部屋!CURRY in da HOUSE!」。実用情報満載じゃないですか。カレー界のニュースとかイケてる店の話とか。
タケナカリー(以下、タ): たしかに。実用的なことしか話してないですね。
高: だから今回の対談が、タケナカリーさんのファンの期待を裏切っちゃうんじゃないかと心配していました。
タ: いいんです。今日は、実用的な話を一切しません(笑)!
高: 今日お話しするテーマですが、ずばり「カレーとお茶の共通点」。
タ: 「カレーの辿ってきた道」と「日本のお茶の歴史」が似ているなー、という話を高木さんとしたかったんです。
高: ではいきなりですが、カレー界における千利休(せんのりきゅう ※)はどの店でしょう? 個人的には、四谷の「アジャンタ」かな? と思ったのですが。
タ: あー、非常に近いですが、僕のイメージとはちょっと違います。
高: じゃあ、湯島の「デリー」?
タ: あそこも名店ですね!
高: 思い出しちゃったんですけど……「新宿中村屋(以下、中村屋)」ですか?
タ: ご名答! カレー界における千利休は、中村屋じゃないかと。
高: なぜ、中村屋がカレー界の千利休なんでしょう。
タ: 鎌倉時代、宋から入ってきた抹茶の原型のようなお茶を、日本独自の「わび茶」として大成させたのが、千利休ですよね? 一方、日本には西洋風カレーしか普及していなかった明治時代に、カレーの元祖であるインドカレーを日本で初めて取り入れ、日本独自のカレー文化に大きく貢献したのが、中村屋です。
高: 海外から入ってきた文化を日本独自の文化に昇華させたのが、千利休であり、中村屋だったというわけですね。
タ: 知っている方はわかるかもしれませんが、中村屋のカレーの歴史は、いつか朝の連続テレビ小説とかで放送されてもおかしくないレベルです(笑)。
高: そうそう。ラス・ビハリ・ボースさんと中村屋のドラマチックな出会いがあるんでした。
タ: さすが、高木さん! インドの独立運動で活躍したラス・ビハリ・ボースさんが、大正4(1915)年に日本に亡命して、中村屋の創業者である相馬夫妻に匿われるんです。やがて相馬夫妻の長女の俊子さんが、ボースさんと恋仲になって、結婚して。ボースさんはインドから日本に帰化するんですが、そこで気づいちゃうんです。「日本のカレー、うまいのないなー」って。
高: 当時の日本は、小麦粉を使った西洋風カレーが主流でしたもんね。
タ: そうなんです。そこでボースさんは、インドの本格的なカレーを広めようと「純印度式カリー」をつくって、喫茶店で出し始めたんです。中村屋のこの発明が、インドのカレー文化に日本のカレー文化がミックスされた、最初の瞬間じゃないでしょうか。ボースさんがいなければ、現代の日本のカレー文化はきっとありえなかったと思います。
高: ボースさんが、日本にカレー革命を起こした、と。
茶の湯→コーヒー→ラーメン→カレー?
高: 個人的に 「茶の湯」の流れを現代に受け継ぐもののひとつが、喫茶店のコーヒーだと思っていて。喫茶店のコーヒーって、マスターがコーヒーを淹れるところを客に見せるじゃないですか?
タ: 見せますね。
高: あれって、たぶん茶の湯におけるお手前を見せるところからきていると思うんです。さらにいうと、ブルーボトルコーヒーをはじめとするサードウェーブコーヒーも、客の目の前でコーヒーを淹れるじゃないですか。あれも、日本の喫茶店から影響を受けているんですよ。
タ: それは知らなかった!
高: で、喫茶店のコーヒーの次に、茶の湯の系譜を辿ったのが、日本のラーメン。
タ: 日本のラーメンって、かなり多様ですよね。
高: はい。そもそも日本文化の大きな特徴として「(1)多様である (2)入り口がたくさんある (3)外からきたものがガラパゴス的に進化する」の3つがあって、その要素がそろったときに、現在のようなラーメン文化が生まれたんじゃないかと思うんです。あとはラーメンの湯切りも、お手前と同じ発想じゃないかと(笑)。現在まで、コーヒー、ラーメンときて、茶の湯の系譜で次にくるのが、カレーじゃないかと思っています。
タ: いや〜、そうおっしゃっていただけると、カレー研究家としてはありがたいです。今、日本のカレーはめちゃくちゃおもしろいですからね。
高: コーヒー、ラーメンが辿ったように、カレーも複雑化の道を辿っていませんか?
タ: 同感です。例えばですが、中村屋の登場以降、インドカレーに立ち帰る動きというか、ルネサンス的な流れがありました。
高: なるほど。日本のカレー文化の中で「インドカレー復興運動」が起こっていたんですね。
カレー界の古田織部は、大阪スパイスカレーだ!
高: 最初はルネサンスだったはずのカレーにおけるインド復興運動が、いつのまにか王道になっていませんか? 最近はどこに行ってもインドカレー的なものが食べられる。だとすると、そろそろカウンターカルチャー的なカレーが出てくるなんてことが、あったりして。
タ: まさに、それが今の日本のカレーシーンで起こっていることなんです! カウンターカルチャー的なカレーの代表格が「大阪スパイスカレーだと思っています。例えば、最新の大阪スパイスカレーってどんなメニューがあるのかというと、僕のよく知っている店「はらいそ Sparkle」は「豆乳バター明太牡蠣カレー」とかつくっているんですよ(笑)。もうこんなの、たまらないですよね(笑)!
高: ここ数年で、東京でも大阪スパイスカレーが食べられるようになってきましたが「これをカレーとは認めない!」なんてカレーファンの方もいたのでは?
タ: そういう方もいたと思いますが、それって、結局カレーを否定することにもなってしまうんですよね。カレーは文化をミックスすることが根底にあるので、大阪スパイスカレーをを否定してしまうと、カレーの基本精神に矛盾するというか。そんな理由もあって、大阪スパイスカレーは、日本のカレー文化において絶対無視できない存在になっています。
高: つまり、タケナカリーさんにとって、中村屋が千利休だとすると、大阪スパイスカレーは古田織部(ふるたおりべ ※)的な存在ですね? 織部って、千利休が大成した「わび茶」がある前提で、ぐしゃっとした茶碗なんかをつくった人です。大阪スパイスカレーも、アバンギャルドで、しかもそこに日本の旨味成分をミックスしていますよね? 織部も美濃で茶碗をつくらせて日本ならではの茶碗を追求していたんですが、そういう過程も似ている気がして。
タ: あ〜織部! そうかもしれないです。
日本三大カルチャーにおけるカレーのポジションは?
高: カレーから少し遠ざかりますが、今の日本文化に大きく影響を与えたと個人的に考えている、3人の日本三大カルチャーの創始者についてもお話ししてよろしいですか?
タ: どうぞどうぞ。
高: 日本三大カルチャーの創始者、ひとりめが『源氏物語』の作者である紫式部。彼女がどんなカルチャーをつくったのかというと、「あわれカルチャー」です。最近、夜な夜な平安時代の日記文学を読んでいるのですが、平安時代って「あはれ史上主義」なんですよね。
タ: 「あはれ」ですか?
高: 「あはれ」とは何か? というと、江戸時代の日本古典研究家である本居宣長の説明をざっくり訳してみますね。
美しいものがある。それを美しいと感じる。美しいと感じる心があると感じることこそ、あはれである。
タ: なんだか哲学的ですねー。
高: はい。個人的に今の日本に足りないのは「あはれカルチャー」だと思っています。続いて、日本三大カルチャーの創始者ふたりめが千利休です。彼のつくった「わびカルチャー」は、禅的思想に基づき「あはれ」のカウンターカルチャーとしてつくられたと考えています。シンプルなデザインとかミニマルな思考とか、ステレオタイプな現代の「日本文化」のイメージは、この「わびカルチャー」からきているのかもしれません。
タ: 紫式部の「あはれカルチャー」に、それに対する千利休の「わびカルチャー」。
高: で、最後のひとりが後白河法皇(ごしらかわほうおう ※)。彼がつくったのが「今様(いまよう)カルチャー」です。「今様」って、いわゆる「流行」のような意味です。つまりはポップカルチャーの創始者ですね。最近よく聞く「クールジャパン」で盛んに取り上げられているものは、後白河法皇が礎を築いたんじゃないかと思っています。
タ: 後白河法皇がポップカルチャーの創始者! なるほど。
高: 「あはれカルチャー」「わびカルチャー」「今様カルチャー」、今の日本のカレー文化はどこに属しているんだろう? と考えると、やっぱり千利休の「わびカルチャー」なんですよね。だから、タケナカリーさんが千利休と中村屋の共通点をお話ししてくださって、かなり驚いたんです。
タ: よかった〜! こんなにすんなり共通点を分かってくれる人、なかなかいません(笑)。
高: 僕は頭でっかちなので、論に論を重ねてこの説に辿り着いたんですけど、タケナカリーさんはカレーの解釈をもってして、いきなりこの結論に辿り着いたのでさすがです。
『源氏物語』をカレーに取り入れる?
高: ここまで、現代の日本のカレー文化の話をしてきましたが、今後のカレーシーンはどうなっていくんでしょう。
タ: そうですね。個人的には、そろそろ小堀遠州(こぼりえんしゅう ※)的な、きれいカレーがくるんじゃないかと予想してます。
高: 小堀遠州ですか。
タ: 簡単にいうと「ミニマルだけど、ちょっと遊びがあるようなカレー」です。例えば、佐賀市の「カレーのあきんぼ」のカレーがそういうタイプかな? と思っていて。スパイスをあまり使っていないんですが、素材が際立っていて、とにかく美しいんです。
高: ミニマルという点では「わびカルチャー」の延長上にあるカレーですね。個人的には、「あはれカルチャー」的なカレーにも期待しています。今のカレーは、まだつくる人の「つくる」って意識が入っている気がするんです。いつか「つくる人と食べる人が一体化するようなカレー」とか登場しないかな、なんて。
タ: あ〜。今の話聞いて思い出しちゃったんですけど、谷崎潤一郎の『陰影礼賛(いんえいらいさん)』という本がありますよね? たしかその中で、真っ暗な部屋で羊羹を食べるシーンがあると思うんですけど、高木さんのおっしゃっている「あはれカルチャー」って、これに似ているのかな……。
高: 鋭いですね。谷崎潤一郎って、平安文学に傾倒しているところがあって、だから彼の書くものって「あはれ」を引きずっているんですよ。川端康成も「平安時代の中期から末期の文学、特に『源氏物語』を読まずして、日本文学は成立しない」と語っていますし。だからもう、極端にいえば『源氏物語』的なエッセンスを、カレーにも取り入れてほしいんですよね。
タ: 『源氏物語』をカレーに取り入れる!? これはもう読まなくちゃ。
高: ぜひ読んでみてください。カレーって、自分のかけた手間とか選んだスパイスとか、すべてが一皿に出ちゃうでしょう? 自分の内面をだすというか、つくった一皿に対して、言い訳できないじゃないですか。「これがおれのおいしいだからさ! 」って。
タ: たしかに、人がつくったカレーを食べていると「迷っているな? 」とか「置きにいったな」とかわかっちゃいます(笑)。
高: そういうすべてをさらけ出す面が、平安時代の日記文学にはあるんです。なんにも包み隠さないんですよ。カレーも、それと似ているなと思って。
タ: そうですね。全部さらけ出します。
高: さらにいうと、カレーって参入障壁は低いんですが、クオリティの高いものを提供する人はその中でも限られていますよね?
タ: カレーはだれでもつくれちゃいますからね。
高: 日本文化の発信スタイルって、3つのタイプあって、ひとつが貴族が中心の「公家カルチャー」。続いて武士が中心の「武家カルチャー」、そして江戸に入って生まれた「庶民カルチャー」。現代の我々は、庶民カルチャーの最先端を走っていて、その中にカレーもあるんじゃないかと思います。誰でも発信できる庶民カルチャーは、自ずと実用的な情報が溢れてくる一面もあるわけですが。
タ: あれ? 今日もだんだんと実用的な話になってきましたね。
高: 庶民カルチャーで思い出すのが、雑誌の編集長をしていた頃いただいた、ある歌舞伎役者の方の言葉です。「高木さん、あなたは考えすぎ。意味なんて考えちゃだめ! 」。僕のつくる企画が頭でっかちに見えたんでしょうね。「歌舞伎は、ただお客様を喜ばせるためだけに存在してきた。そこに伝統や高尚なものはない」とおっしゃったんです。……ここまで話してきましたが、ちょっとカレーに意味を求めすぎちゃったなーって反省しています(笑)。
タ: え! ここにきて、ちゃぶ台返しですか(笑)!
高: ただただおいしいカレーを、自分の好きな人に食べてもらえればいいじゃないですか。結局ここに戻るんです。