編集長がつぶやきました「浮世絵ってWebと似たところがあるんだよね」。
……えっ、浮世絵がWeb? 共通点が見えないぞ! 一体どういうこと…??
和樂web編集長セバスチャン高木が、日本文化の楽しみをシェアするためのヒントを探るべく、さまざまな分野のイノベーターのもとを訪ねる対談企画。第11回は太田記念美術館の学芸員、日野原 健司さんです。
ゲスト:日野原 健司さん
1974年千葉県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科前期博士課程修了。太田記念美術館主席学芸員、慶應義塾大学非常勤講師。江戸から明治にかけての浮世絵史、ならびに出版文化史を研究。太田記念美術館では「没後170年記念 北斎―富士への道」「異世界への誘い―妖怪・霊界・異国」などの展覧会を担当。
マイナーな作品に光を当てる
高: 太田記念美術館のTwitter、おもしろいですよね。浮世絵を知らない人も楽しめますし、大変勉強になります。
江戸時代、災難や病気をまぬがれる護符として、旅のお守りになっていたのが、白澤という霊獣の絵。葛飾北斎は『北斎漫画』二編で白澤を描いています。ヤギのような姿で、額と胴体に眼がついています。太田記念美術館は3/31まで臨時休館。新型コロナウイルス拡大防止を祈念して #おうちで浮世絵 pic.twitter.com/uIzP9lNZQM
— 太田記念美術館 (@ukiyoeota) March 14, 2020
高: 「浮世絵動物園」や「怖い浮世絵」など企画展も毎回ユニークなテーマですが、過去に開催した展覧会で会心の企画はどれでしょうか?
日: ひとつ選ぶとしたら2015年に開催した「江戸の悪」です。役者絵(※)を集めた展覧会を企画する場合「現代の歌舞伎には興味あるけど江戸時代はちょっと……」なんて人も多いので、どうやって集客するかで悩んでいました。そんなとき、たまたま本屋で「悪人」に関する書籍を目にして「役者絵をあえて歌舞伎ではない切り口で紹介すれば、たくさんの人に興味を持ってもらえるんじゃないか?」と展覧会のテーマを「悪」に設定したんです。
高: 他の美術館でも、こうしたユニークなテーマの浮世絵の展覧会はされているんですか?
日: まだまだ少ないんじゃないでしょうか。と言いますのも、うちは都内で数少ない浮世絵専門美術館でして、トータルで約1万4000点の作品を所蔵しています。さまざまなテーマで展覧会ができるのは、この量があるから可能とも言えるんです。マイナーな時代やジャンル、絵師たちに光を当てた企画展を開催することは、太田記念美術館のミッションのひとつであると感じています。
北斎の作品を見た人のリアクション
高: 先生が浮世絵に興味を持たれたきっかけを教えてください。
日: 高校生の頃でしょうか。美術館や博物館へ行くのが好きで、そのとき見た中でも特に衝撃的だった作品が葛飾北斎の浮世絵でした。
高: 当時、どの作品をご覧になられたんですか?
日: 『冨嶽三十六景 山下白雨』です。そのときの衝撃が、ずっと忘れられませんでした。今見ても、全く古さを感じさせないんですよ。
高: 山の上は晴れていて、下は雨が降っている状態。登山の経験がある人だったらどういう状態かイメージできるんですけど、江戸時代の人って誰も想像できなかったんじゃないでしょうか?
日: そうなんです! 江戸の街に住んでいたら、遠くに富士山があるっていうことはわかるでしょう。それが高い山であることも知っている。でも「その上がどうなっているか?」と考えた時に、登山に興味のない街の人たちが、何がどうなっているのか想像できたのか……。江戸の人々が「つまらない」「よくわからない」なんてリアクションだったとしても、おかしくありません。こういった反応は現代のさまざまなメディアにおいても同じです。新しい表現が登場すると、衝撃がある一方で、ついていけない人もたくさん出てきます。
高: でもこの絵が刷られて現代に残っているということは、それなりに需要があって、少なからず江戸の人たちがこの絵を楽しんでいたってことですよね? それがすごいなと思うんです。
世間のニーズに応える広重、描きたいものを描いた北斎
高: 北斎と同時期に活躍した浮世絵師で、わかりやすい表現やテーマを描いた歌川広重の作品はいかがでしょう? 当時は北斎よりも売れていたんですか?
日: 北斎と比べると、広重の作品のほうが売れていました。広重の絵は、江戸の人々のニーズを満たしていたんですよ。「東海道五拾三次」シリーズをはじめ、みんなが知りたかった旅の情報なんかをわかりやすく描いている。求められるべき仕事をしっかり果たしているのが大きいですよね。
高: 対して、北斎の『諸国滝巡り』なんか……もう、ぶっ飛んでますよね? こんな滝、誰も見たことないじゃないですか。
日: そうそう。表現もそうですし、見たことない場所づくしなんですよ。有名な滝を描くならわかりますが、場所が判明していない滝もあるんですね。「一部空想の滝もあるのでは?」というのが僕の結論です。
高: 北斎の作品は、現代に生きる我々が見ると斬新さが伝わりますが、先生のおっしゃるとおり、江戸の人々の反応は賛否両論だったと思うんです。それでも出版に踏みきらせるところに北斎の凄みがあるんでしょうか?
日: 当時のニーズにあわせて描くのではなく、北斎が描きたいものを描く。それでも売れるだろうと版元(出版社のプロューサー的な立場)が判断していたんでしょう。
時代の一歩先を行くセンス
高: 浮世絵って「版元」と「絵師」と「彫師・摺師」この三者が力を合わせてヒットを生み出しているんですよね?
日: そうです。北斎でさえも、当時は版元の事情で中止になったり、ボツになった企画があるわけですよ。ただ北斎の作品は、現存する数からそれなりに売れていることがわかっています。北斎とは別の絵師の話になりますが、売れたときには6000から7000枚も刷ったという記録も残っています。
高: その数って、現代でいうとどれくらいの感覚ですか? 僕は出版の人間なのでいつもそれが気になっていて(笑)。
日: 当時の感覚でいうと、現代の「100万部」に近い感覚でしょうね。
高: シビアな浮世絵の世界でヒットを生み出すために必要な能力ってなんだったんでしょう?
日: 時代の一歩先を行く絶妙な感覚が、浮世絵師に求められた素質だったでしょうね。大衆に必要とされるものをつくらなくちゃいけない、だけどありきたりの表現だとつまらない。かといって乖離しすぎると誰もついてこれなくなってしまう。未開の表現は、個人の才能だけでなく世の中の空気を感じとって形にする力があってこそ伝わるんじゃないでしょうか。
高: その感覚って、きっと現代のメディアビジネスにも通じますよね。浮世絵師に一番近い現代の職業だと、漫画家とか。たくさんの人の心を掴みつつ、自分の表現を開拓していく、この作業はなんとなく似ているような気がして。手塚治虫にあたる浮世絵師は誰になりますか?
日: 多作という面では北斎ですが、表現を飛躍させて新しいスタイルを確立していったっていう意味では鈴木春信も……むずかしいですね(笑)!
アートか?出版か?史料か?
高: 世の中の多くの人って「浮世絵=江戸時代のアート」というイメージですよね。僕も和樂の仕事をしていなければ、大正初期くらいまで浮世絵が存在したなんて知らなかったと思います。
日: なかなか紹介されませんからね。実際、江戸時代より後の浮世絵研究ってまだまだ進んでいなくて。
高: 例えば明治以降の「出版物」として浮世絵を研究されている方っていらっしゃるんですか?
日: 数は多くはないですね。ただアートとしてはもちろん、出版や史料として研究される方もいます。いろんな視点で浮世絵を研究されている方がいらっしゃるのですが、それぞれの分野で個別に活動しているかんじですね。
高: 浮世絵研究って、いろんなジャンルが重なりあっているところにもおもしろさがあると思うんです。いろんなジャンルが重なり合って浮世絵を成しているんですけど、その研究がWebを使ってもっと柔軟に横断すると楽しくなりそうですよね。
日: 江戸時代の浮世絵だけでも、絵だけでなく、小説の挿絵として描いているものもあれば、和歌や俳諧などの文学と関わりがあるものもあります。どういう人たちが買って、どれくらいの規模で流行していったというマーケティング的な観点も研究対象のひとつです。浮世絵研究の切り口は、もう無限大なんです。
浮世絵とwebは似ている?
高: 江戸時代の浮世絵って当時の世界のアートと比べると、どんな存在だったんでしょうか?
日: 当時のヨーロッパに目を向けると、アートは王侯貴族など身分の高い人たちのためのものでした。対して浮世絵は、身分の低い人たちが世間の空気を読み取って発信していくもの。全く逆の存在だったんですよ。なので日本の場合「文化を支えている人たちは誰か?」と歴史を遡って考えたときに、常に庶民の姿が見えてきます。
高: それが20世紀に入るとヨーロッパでもポップカルチャーが発展していくんですよね、テレビとか映画とか。しかしそれよりも早い段階で、浮世絵は大衆文化として発展していった。おそらく世界のポップカルチャーの中でも、一番成熟するのが早かったと思うんですよね。大げさに言うと、浮世絵が現代にも通じる「日本文化のありかた」をつくっているような気がするんです。
高: で、さらに「現代のポップカルチャーを牽引するものってなんだろう?」と考えると、僕はWebのような気がして。ふたつとも大衆発の文化ですし、Webって常に新しいサービスや技術が生まれていますが、これって浮世絵が隆盛を誇ったときと同じ現象だなと。そう考えてみると、浮世絵とWebって似ているんじゃないか?と思ったり。
日: たしかに、Twitterでのリアクションなんかもそうですし、高木さんのおっしゃるような共通点があるせいか浮世絵とWebは相性がいいなと感じます。
高: Webの本質って「つなげること」なので、違う絵師を同じテーマでつなげるとか、アーカイブを生かした浮世絵の楽しみ方がいろいろ考えられますよね。太田記念美術館ならではのテーマ設定が、Webの表現や技術と合わさることで、楽しみ方もますます広がるんじゃないでしょうか。
日: Webの技術をもっと活用していきたいという気持ちはあります。展覧会で作品を知ってもらった先に、お客様をどこへ導くかが美術館としてのひとつの課題でもありました。ディープな浮世絵の世界へと足を踏み入れていくときの道しるべ的な存在を、これからWebで表現できたらいいなと思いますね。