Gourmet
2020.09.07

京都の名喫茶店に名物あり。「市川屋珈琲」のフルーツサンドはまた食べたくなる秘密がいっぱい

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京都といえば、老舗喫茶店巡りが面白い。戦火を免れたこともあり、戦前から続く喫茶店も現存する全国でも希少な街であるからだ。提供するのはコーヒーのみならず、文化。サロン的な空間と、そこに集まる人々の心を潤すもてなし、それに呼応するように小粋な客のふるまいが老舗の喫茶店にはある。

さらに長く続いてきた店には、コーヒーのおともとなる名物メニューが必ずあるのだ。「進々堂 京大北門前」のフレンチロール、「イノダコーヒ」のナポリタン(正式名称は「イタリアン」)、「スマート珈琲店」のフレンチトースト、「フランソア喫茶室」のレアチーズケーキ、「六曜社珈琲店」のドーナツ…ああ、書き出したら止まらない。まだ挙げたい店があるし、モーニングひとつとっても店の色がある。老舗の喫茶店を巡るだけで、1ヶ月は滞在していられる。これってすごい!

老舗喫茶の名物に引けを取らない、コーヒーのおとも。それは開店5年目を迎える喫茶店のフルーツサンド!

だからこそ、わたしは思う。京都でカフェを始めるのは簡単。でも、喫茶店を始めるのはよっぽどの勇気がないと。実際、カフェやコーヒースタンドはここ数年の間に数えられないほど登場している。しかし新規参入した個人喫茶店で、老舗の名店に並んで「京都の喫茶文化」を伝えていく気概のある店は、街中ではここしかないと断言したい。それが「市川屋珈琲」である。開店5年目を迎えるこの店の名物は、季節ごとに変わるフルーツサンドイッチ。

季節のフルーツサンド1,130円(税込)。

盛夏の時期は「白桃」。マスターの市川陽介さん、ごめんなさい。この記事が配信される頃には「白桃」ではなく「いちじく」に変わっているのだけれど(2020年は9月20日ごろまで、いちじくを提供予定)、この白桃の断面はどうしてもお見せしたかった。どうやって切ったら、円盤みたいになるわけ? 見て興奮、食べて興奮。さらには大きな白桃が丸1個入って千円とちょっと、という喫茶店価格にびっくり(フルーツパーラーで食べたら、2倍3倍するのがあたりまえ)。

「今ごろ何言ってんの。この店のフルーツサンドは開店当時からインスタ映えで有名ですよ」というツッコミもあるでしょう。わたしも過去に和樂本誌で何度か撮影をしたこともある。が、あるとき気がついたのだ。季節が変わると中身の果物がスイッチするだけじゃないんだ! パンの切り方も、フルーツの散りばめ方も、サンドイッチをのせる大皿の色も、果物によって違う。そして毎年、同じ果物の組み合わせが登場するわけでもない。

秋の入り口に登場する「いちじくとバナナ」。ほわっと品のいいいちじくの味わいに少量のバナナを加えることでコクが増す。撮影に苦戦する私を見かねて、市川屋珈琲の若きスタッフがオシャレに撮ってくれました!

もしかして、この店のフルーツサンドイッチは一期一会なの?

「お決まり」のものが出てくることに安心する人もいるだろう。数百円でひとときを過ごす喫茶店という場所は特にそうだったりする。この店でもほかの軽食は、毎回同じ盛り付けのようだ。フルーツサンドにだけ許された、ちょっとした冒険。

春の始まりは「せとか、いよかん、金柑」の組み合わせ。

初夏を告げる「スイカ、メロン、キウイ、パイン、マンゴー」のトロピカルフルーツサンド!

わたしはこの店ではカウンターに陣取って、次々と注文が入るフルーツサンドがつくられていくさまを眺めるのが趣味のようになっている。見ている分には楽しいけれど、果物が変わるごとにこの店にしかないプレゼンテーションを考えるのって、手間のかかることだ。しかしこのタイヘンで、ワクワクする試みを続ける心意気がなければ、京都で新しく喫茶店なんて始められない気がする。

老舗が鎮座する京都。その老舗を追随する新しい店の動きも、京都は面白い

和樂Webで過去5回、わたしは「京都の老舗の新商品」を紹介してきた。100年以上続く老舗が、次の100年も続くような看板商品を生み出すために、当代の主人がどんな試行錯誤をしているのか。顧客のニーズをつかみ、「ただの古い店にしない」ための努力を新商品というモノを通して伝える試みだ。

老舗を追いかけるうちに、目に入ってきたのは老舗で修業を積んで独立した職人の方々。店の構えは新しいけれど、やっていることは昔ながらの手をかけたこと。でも、老舗と同じというわけにはいかない。追随しながら、独自のものづくりをしなければ新規開業した意味がない。気合いが熱く伝わる店もあれば、静かに満ちている店もあるのが京都の奥ゆかしいところ。そんなニューショップのこれぞと光る名品を、勝手に「100年先の京定番」と命名しようと思う。

今回は「市川屋珈琲」のフルーツサンドイッチ。この新名品を手掛かりに、「市川屋珈琲」という店の誕生が、どれだけ京都の街にとって歓迎する出来事なのかを紹介してみたい。

「市川屋珈琲」は老舗喫茶店に18年勤めた市川陽介さんが独立開業した店

築年数200年を超える立派な町家をリノベーション。町家でありながら開かれた佇まいに生まれ変わった。

マスターの市川陽介さんは京都生まれの京都育ち。大学生の頃からフライパンで豆を煎り、友人たちにコーヒーをふるまっていたとか。コーヒー豆のマニアというよりは「自らがふるまって、喜んでもらうのが好き」であることを認識していたので、これを本業にするなら「喫茶店」で修業を積むのが順当と考えた。そこで門を叩いたのが名門「イノダコーヒ」というわけだ。

新型コロナウイルス感染防止対策により、カウンターにはビニールシートの衝立が加わった。それでも、私はこのカウンター席がいちばん好きだ。厚い杉板に触れていると落ち着く。

「イノダコーヒ」が京都の喫茶店の中でどれだけ格式があり、なくてはならない存在であるかの説明は省略するが、市川さんの修業時代のこの話で十分に伝わると思う。「入社して半年の間に、300人ぐらいの常連さんを覚えましたね。ひとりひとり似顔絵を描いて、コーヒーは何がお好みか、灰皿が必要か不要か、新聞を読むのかどうか。全部書き出していました」

「喫茶店でここまで目配りをするなんて、実に京都的ですよね」と市川さんは笑うが、自身が喫茶店を開く際にも「フルサービス」でいくことは最初から決めていたとか。「さまざまなサービスを削減していくことが時代的にはあたりまえになってきますけれど、うちの店では京都の喫茶店の伝統にある”もてなし”を感じてもらえたら。コーヒーだけでなく、店の雰囲気、うつわ、もてなしのしかた。全部含めてお客様に味わってもらって、『ありがとう』と気持ち良く帰っていただくためには何ができるかを考えています」

2015年に開業。なんと、開店準備に2年もかけたそうで! 「時間かかりすぎでしょう(笑)。それはこの町家は僕の祖父が住んでいたもので、家賃を支払う必要がなかったし」。いやいや、それだけじゃないはず。この2年という準備期間が、振り返るととても大事な時間だったとか。その理由はフルーツサンド誕生秘話で語ってもらいましょう。

店のある東山五条は清水焼に縁のある街。青磁の清水焼のコーヒーカップは「市川屋珈琲」のシンボル

市川さんは清水焼の陶工の家に生まれている。三男のため、家業を継ぐことはなくこの道に進んだ。この店は、先にあったようにもともとは市川さんのおじいさまの住居兼工房。歩いて1分もかからない距離に河井寛次郎の住居兼工房もあった(現在は「河井寛次郎記念館」として公開)。おじいさまがご健在の頃は、河井家の登り窯を共同で使っていたらしい。

看板の「市」も無理を言ってお兄様に焼いてもらったという。2枚の陶板を張り合わせた。

「清水焼の家に生まれたからには、この店で扱ううつわは清水焼にしたかったんです。実家は青磁を得意としているので、コーヒーカップとソーサーもメインに使うものは青磁にしました。兄が作陶してくれるのですが、身内をいいことに難しい注文をつけているんです(笑)」

工芸品を身近に感じてもらいたい、という市川さん。「市川屋珈琲」のコーヒーメニューは「市川屋ブレンド」「青磁ブレンド」「馬町ブレンド」と3種類あるのだが、これに対してカップの形がそれぞれを用意されている。奥に見えるのが「市川屋ブレンド」でこれがスタンダードの形だ。

対して「青磁ブレンド」は香りが華やかに開くように配合されているので、広口のカップにデザイン。

また、深煎りの「馬町ブレンド」は小ぶりのカップが用意されている。いずれのカップも底を厚く、冷めにくい配慮がされていて、初めてその話を市川さんから聞いたときはとても感心したのを覚えている。なにより、青磁のツヤツヤとした肌が好きだ。口あたりも柔らい。そして「また来たいな」と思ったのだ。だって、そんなところにまで気を使っている喫茶店は、これまでない。

「なんとなく、おいしかったな」ぐらいのコーヒーでちょうどいい

「市川屋珈琲」が新しい発想の店だな、と感じたのはうつわに対するこだわりだけではない。コーヒーの味もそう。スペシャリティーコーヒーがもてはやされている世間の流行を市川さんも知っていると思うが、店主としては「思わず2杯目を頼んでみたくなる価格と味」に焦点をあてている。「一生に一度飲んでみたかった!」という味は1回きりのおつきあいだと経験上、わかっているからだ。

現在のところ「市川屋ブレンド」が470円で、おかわりコーヒーが230円(共に税込)。

また飲みたいな、とお客様に思ってもらうために用意されたブレンドは、共通して「後口が柔らかく、すっと消えて、ふわっとした印象が残る感じ」。お客様に直接意見を聞くことはないけれど、飲む姿を通して店主はこっそりヒアリングしているという、衝撃の事実が今回明らかになった!

「僕が観察するポイントは、ふた口目を飲むまでのスピードですね。おいしいと思っていただいた場合は、ひと口目のカップをソーサーに置く前に、口に運ぶ。こんなこと話すの初めてだけど、いいのかな(笑)。お客様の反応を見て、味の構成を調整しています」

開店前、深夜まで果物と格闘して誕生したフルーツサンドイッチ

フルーツサンドイッチをメニューに入れたのは、季節の巡りを感じてもらうため。切り口に凝るようになったのも、月ごとに違う形にしようと考えたのも、大皿に盛ることも(大皿だけは清水焼でそろえていない)すべて開店前に決めていたそうだ。「フルーツサンドイッチそのものは、取り立てて新しいものではない。それをどう見せたら、うちの店だけのものになるのか、自分が納得するまでには時間がかかりました。毎晩、午前1時ぐらいまで練習していましたよ(苦笑)」。

いちじくのシーズンが終わると、ぶどう。このたたずまい、笑っちゃうほど美しい。このスタイルに着地するまで、どれだけ試したのだろう?

わたしが感心するのは、切り口だけではない。果物のコンビネーションもこの店にしかない組み合わせだ。たとえばぶどうのサンドイッチは、マスカットと長野パープル、そこに小さく切った梨も加わる。梨には塩味があり、食感に異なるリズムが生まれる。また、一般的なフルーツサンドイッチは「満遍なく」果物を配置するものだが、この店はランダム。そこがシャレているし、だからこそ記憶に残る。

みかんの房の上に金柑がちょこんとのっている。小さくてもこの苦味がアクセントになって味を引き締める。酸味と甘味のバランスは常に考えられている。

「5年続けてくると、この季節にはこの果物とお客様も覚えていらっしゃるのでなかなか変えられないのですが、できれば毎年内容も変えたいと思っているんです。たとえ、同じ果物を使っても少し切り方が違うとか(笑)」。

なんとまぁ。フルーツサンドにも、また来てもらうための工夫が密かに織り込まれているのだった。

開店以来、メニューを変えたことがないのが誇り

今回、この取材のために市川さんと話して理解したこと。それは修業時代にお客様の喜ぶ顔、悲しむ顔をたくさん見てきたんだろうな、ということだ。

店内の席の配置についても、「ハズレ席」をひとつもつくらないことを念頭に設計している。また「あれが食べたかったのに」との声がないように開店以来、メニューの変更はしてない。というより、「没メニュー」の生じないメニュー構成なのだ。ほかにもスタッフの顔を覚えてもらいやすくするようなある工夫など(何回か通ったら、気づくはず!)、細かな配慮が積み重なって、穏やかで落ち着いた空間が保たれている。開店前に、じっくりと腰を据えて店のあり方を考えたのであろう。

「イノダコーヒには40年、50年と勤めているスタッフがいますからね。そんな先輩方から、いつ来てもお客様に喜んでもらうにはどうしたらいいのか教えていただきました」。老舗の名店から受け継ぐおもてなしと、市川さんの新しい感性が加わってこの店がある。京都の喫茶店は敷居が高そうと思う人にも「市川屋珈琲」は入りやすいはず。現に、老若男女、地元民も観光客も入り混じって、思い思いにくつろいでいる。一緒に年を重ねていきたい、喫茶店である。

町家特有の陰影が美しい。店の入り口には焼き物も販売している。

市川屋珈琲
075-748-1354

写真提供/石井宏明(ぶどう)

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書いた人

職人の手から生まれるもの、創意工夫を追いかけて日本を旅する。雑誌和樂ではfoodと風土にまつわる取材が多い。和樂Webでは京都と日本酒を中心に寄稿。夏でも燗酒派。企画・聞き書きを担当した本に『85歳、暮らしの中心は台所』(髙森寛子著)、『ふーみんさんの台湾50年レシピ』(斉風瑞著)、『鍵善 京の菓子屋の舞台裏』(今西善也著)がある。