ソースとカニが渾然一体。日本洋食界の逸品
洋食の中でも不動の人気を誇るフライのいろいろ。その中で、最もエレガントなのはカニクリームコロッケです。ナイフを入れると、とろりとした白いソースとカニが現れます。日本のフランス料理や洋食を牽引してきた『東京會舘』、その伝統を守る『シェ・ロッシニ』で、プロならではの丁寧なつくり方を教わりました。
ベシャメルソースを、丁寧に丁寧にかくことが大切です
『東京會舘』は大正11(1922)年の創業。皇居のお堀に近い丸の内にあって、多くの国賓、公賓の午餐会の会場となり、芥川賞・直木賞など文学賞の贈呈式が行われることでも知られています。フランス料理のレストランやカジュアルな西洋料理の店をもつ正統派の料理の殿堂で、西洋料理『シェ・ロッシニ』のカニクリームコロッケが絶品です。
『東京會舘』内観
「海老、舌平目、帆立貝のフライ、カニクリームコロッケから、2品選んでいただける『シーフードフライ盛り合わせ』が人気です」と調理長の伊藤貴章さん。フライは中身をしっとりと仕上げるのが難しく、油の後片付けもたいへん。さらにクリームコロッケは揚げるのもひと苦労。プロに任せたい料理のひとつと言えるかもしれません。
日本のコロッケは、フランス料理のクロケットが元になったというのが定説です。明治初期にはジャガイモのコロッケが文献に出てきますが、クリームコロッケはもう少し遅く、明治中期になってから現れます。中身はカニではなく、鶏でした。それでは、ベシャメルソース(ホワイトソース)とカニが一緒になるのはいつからなのでしょうか。ズワイガニに玉ねぎ、ピーマンが入ることで、食感が生まれる
19世紀のフランス料理を集大成した料理人エスコフィエが書いた『ル・ギッド・キュリネール』には、ベシャメルソース、オマール海老、トリュフなどを使った贅沢なクロケットが出ています。その翻訳である、宮内庁の料理人だった秋山徳蔵の『仏蘭西料理全書』には、甲殻類が使えることは書いてありますが、カニと特定されているわけではありません。『東京會舘』では昔からつくられているメニューです。家庭でつくると「粉っぽい」「揚げているうちに破裂する」「外だけ色づいて中が冷たい」など、なかなか難しい料理に感じますが、プロのコツを聞くとその悩みが氷解します。
上写真『メニューブック』は、帝国ホテルの料理長で、後に『東京會舘』の料理長になった田中徳三郎が書いたもの。月ごとにフランス料理のメニューが載っています。7月のページに載っているクリームコロッケは鮭入りでした。カニクリームコロッケは、魚介とベシャメルソースの相性のよさを発展させた日本人の創作、のように思えてきました。
カニクリームコロッケをつくってみましょう
1.ベシャメルソースをつくる
ふるった強力粉に有塩バターを入れ、白っぽくなるまでよく炒める。小麦粉とバターは1:1の割合。温めた牛乳を何回かに分けて入れ、さらになめらかになるまで、かき混ぜ続ける。ソースを150℃くらいの低い温度のオーブンに入れて煮込む。固めのベシャメルソースに仕上げ、寒冷紗でソースを濾す。
2.ソースと具を合わせる
ソースは冷蔵庫で1日寝かせ、使うときに再度濾す。ズワイガニの脚をほぐし、軟骨や殻などを取る。玉ねぎ、ピーマンは小さな角切りにし、炒める。カニを加え、温める。ブランデーでフランベして香りをつけ、白ワインを加えて煮る。具とソースを1:1の割合で合わせ、パプリカで色をつけ、塩胡椒で味を調える。
3.60gほどの俵形にまとめる
でき上がったたねはバットなどに入れてしばらく置き、粗熱をとる。バットごと冷蔵庫に入れて、たねを締めて形をつくりやすくする。たねを冷蔵庫から出し、ひとり分2個をサーブする場合なら、1個60gほどに分けて、上の写真のような俵形にまとめる。あまり大きいと扱いづらく、揚げにくい。
4.パン粉などのころもをつける
たねの周りに、小麦粉、溶き卵、パン粉の順につける。パン粉は細かく擂り下ろしたフランスパン。大きな生パン粉よりも口当たりがよい。付け合わせとして、春キャベツのコールスローをつくる。春キャベツのせん切りに塩胡椒、エクストラバージンオリーブオイルを振り、よく混ぜる。くし形に切ったトマトも用意する。
5.表面が色づきすぎないように揚げる
中温に油を熱し、たねを入れて表面に色がついたら取り出し、低温のオーブンで中まで火を通す。一度冷蔵庫で冷やしているので、中まで火が通りにくいため、オーブンで火を入れるとよい。中まで温まっているかどうかを確認するには、鉄の串を刺して、それを唇の下に当て、温まっていればよい。
6.シャトーソースをつくる
ドミグラスソースをベースにして、エシャロットのみじん切りを白ワインで煮詰めたペーストを合わせる。バターを入れ、なめらかになるまで混ぜる。ドミグラスソースよりも明るい茶色のソースになる。皿にコロッケ、コールスロー、トマト、レモンを盛り、コロッケの周りにシャトーソースを適量敷く。
『東京會舘』カニクリームコロッケの秘密
この料理のコツは、ベシャメルソースを上手に「かく」ことです。ソースは決して焦がしてはいけません。色がつけば、ブラウンソースという、ほかのソースになってしまうのです。『東京會舘』では、一般の人を対象に長年料理教室を続けていますから、どこに気をつければいいか、大切なポイントをまず教えてくれました。
調理長の伊藤貴章さん。
「家庭でつくるときに粉っぽい仕上がりになるのは、小麦粉に火を入れる時間が少ないからですね。小麦粉にバターを入れると、初めは黄色っぽくなりますが、火を入れているうちに白くなってきます。そこまで弱火でじっくりと炒めることが大切です」と調理長の伊藤貴章さん。炒めていると、なめらかなルーができ上がります。
これを牛乳でのばします。そのときにだまをつくらないためには、温めた牛乳を使い、数回に分けて入れること。牛乳を入れたら、鍋を火にかけたまま、かたまりがなくなるまでかき混ぜ、塩胡椒で調味します。ここまでは「知っている」という人もいるでしょう。しかし、プロはここでオーブンを使います。低温のオーブンに入れて、ソースを「煮込む」のです。このひと手間が小麦粉を感じさせないベシャメルソースのコツだったのです。
「オーブンで煮込むことで、小麦粉のグルテン(粘り気を出す成分)を切り、牛乳の甘みを出します。クリームコロッケ用ですので、後で成形しやすいように、固めのソースに仕上げます」このソースを寒冷紗(粗い平織りの布)で濾すのもプロの仕事。ふたりがかりで布の両端を持ち、ぎゅーっとしぼります。できたソースはすぐには使わず、1日冷蔵庫で寝かせます。こうすると、味が落ち着くのだそうです。使うときには、もう一度寒冷紗で濾しています。
白く仕上がったソースに、パプリカでほんの少し色をつけます。その訳は「真っ白よりおいしそうに見える」から。確かに、なんだか味があるように感じるのが不思議です。ここにズワイガニを合わせるのですが、炒めたピーマンと玉ねぎも入れて、単調な食感にならないようにしています。ソースと具は1:1の割合です。これをもう一度冷蔵庫で締めます。俵形に成形しやすくするためです。
「中が少し冷たい状態で揚げるので、外側が色よく揚がっても、中は熱くなっていない可能性があります。そこで、揚げたコロッケを低温のオーブンに入れて温めます。鉄串を目立たないところに刺して、それを唇の下に当て、鉄串が熱く感じたらでき上がりです」まわりにはシャトーソースを添えます。シャトーブリアン・ステーキのソースだからとも、ワインの醸造所の意味ともいいます。ドミグラスソースとエシャロットのみじん切りを白ワインで煮込んだものを合わせてあります。ドミグラスソースよりも軽く、クリームコロッケにぴったりです。
丁寧につくられたカニクリームコロッケ。黄金色です。厨房で見てきた手間を思い出すと、食べるのが惜しくなるようなでき上がりでした。