全国初の日本画専門の美術館として1966年に開館し、2021年7月7日に創立55周年を迎えた山種美術館(東京・広尾/最寄り駅は恵比寿)。創立者である山崎種二が蒐集した1800余点の所蔵作品を中心に、様々な日本画の展覧会を実施しています。
最初は、「日本画」と聞くとちょっと古めかしいとか、堅苦しいといったイメージがあって若干距離があった私ですが、山種美術館を何度か訪れるうちに、すっかり日本画が好きになりました。なぜかというと、私達が日本画をもっと身近に感じられるよういろいろな工夫をしてくれているからです。
企画展の内容や、展示の仕方、ミュージアムショップなどはもちろんなのですが、私が山種美術館ならではの素晴らしい試みだと思うのは1階「Cafe 椿」の和菓子です。展覧会ごとに出品作品に描かれた花や動物などのモチーフが見事にあしらわれた和菓子を毎回5種類もメニューとして出していて、解説も丁寧です。
大きな屏風に描かれた風景画や、掛け軸に描かれた動物たちなど、平面の世界をどうやってあの一品に凝縮して変身させるのでしょう。そのプロセスや技などと、舞台裏のエピソードを交えて、山種美術館と、特別オーダーを受けて和菓子を作っている老舗菓匠「菊家」に伺いました。
移転を機に始めたカフェの和菓子が好評に
「Cafe 椿」がスタートしたのは、山種美術館が2009年に広尾に移転し、リニューアルオープンしたとき。日本画専門の美術館にちなみ、所蔵品をモチーフにした和菓子をメインに出すことにしたところ、予想以上に好評だったそうです。
「伝統的な上生菓子は、お茶会や自宅用などのテイクアウトが多く、カフェで気軽に食べられる『Cafe 椿』のような老舗の和菓子を提供するカフェは珍しいので重宝されたようです。また、展覧会を鑑賞した余韻にひたりながら、見たばかりの日本画を表現した和菓子をいただけることも当館ならではです」と山種美術館さん。
山種美術館と菊家で日本画を和菓子にするプロセス
新しい和菓子はどのようにして生まれるのでしょうか?
「まずは、企画展の担当学芸員が展覧会出品作品を決めて画像付きの作品リストを作ります。それをもとに、どのモチーフの和菓子を希望するかを菊家さんに伝えます。美術館側は、試作品が出来て来ると山崎妙子館長はじめ展覧会の担当学芸員を中心に集まって、皆で楽しみながら意見を出し合います。その意見を和菓子の制作に反映します」
総力を結集して、展示企画するのと同等の気合を感じます。
最初に作った名作!定番の「散椿」
「Cafe 椿」の名は、山種コレクションの中でも人気の高い速水御舟《名樹散椿》【重要文化財】から名づけられたのですが、記念すべき最初の和菓子も、この作品に描かれた「椿」をかたどった「散椿」。これがまた大人気で、通常の和菓子は企画展が変わるごとに入れ代わるのですが、この「散椿」は定番となりました。
もとになった絵はこちら。
そして、和菓子はこの絵から一輪の椿だけが取り出されています。大胆!
「最初は金地に赤や白の椿がたくさん咲いているデザインのお菓子を試作してみたのですが、あまり椿にも見えずイマイチパッとしませんでした。それだったらいっそのこと一輪だけを取り出してしっかりと椿らしさを出してみようとなり、練り切り(白あんに砂糖、山芋や求肥などのつなぎの食材を加え、調整し練ったもの)で立体的にしました。赤い椿と白い椿の2種類作ったのですが、白い方は、中の黒いあんこの色が透けて真っ白なお花の感じが弱かったので、結果的に赤だけになりました。少し白でグラデーションをつけて、絵に描かれているような赤白ミックスの花びらを表現しました」
ゴロっとした存在感と鮮やかな赤が速水御舟の椿をしっかり思い起こさせてくれます。
気づかれなくても貫く?! 向田邦子にも愛された老舗菓匠の驚愕のこだわり
ところで、椿の形はどうやって作るのでしょう?菊家の若旦那・秋田祥秀(あきたよしひで)さんに伺いました。「手で丸めて大まかな形を作ってから三角ベラという道具で角スジを入れます」とのこと。シンプルだけど、これでどこから見ても椿に見える形にしてしまうのだから、匠の技はすごい!
そして、よく見ると、「散椿」が置かれている葉っぱは本物の椿の葉!道理でリアル。椿の葉だけを買うことができるそうですよ。そのことを初めて知って驚きました。
秋田さんに軽い気持ちで色のことを聞いてみたところ、想像を絶するこだわりが浮き彫りに!
「色の濃さは、お菓子を出す場所の明るさによって変えています」
えっ? お菓子の色の濃さを変えるのですか?
「例えば、茶室ですと少し暗めですが、山種美術館のカフェは全面ガラス張りでとても明るい。これだけ明るいと、色が飛ぶので、同じ色でもくっきり鮮やかに作ってお届けします」と秋田さん。見ただけでは絶対にわからないこだわりを貫いているとは、さすが老舗の和菓子屋さん! ジーンと心にひびきました。
ふと、向田邦子が『眠る盃』というエッセイ集の「水羊羹」の中で、「本当においしいのにはなかなかめぐり逢わないけど、『菊家』のが気に入っている」という内容を書いていたことを思い出しました。見えないこだわりの積み重ねって、きっとわかる人には伝わるのだなとやたら納得した私。
さて、お味の方は? 見た目のインパクトとは裏腹に、甘さ控えめなこしあんが上品でおいしい。それに、椿の真っ赤な色に、おしべの黄色が効いていて食欲をそそります。
速水御舟と吉田善彦 展オリジナル和菓子の制作エピソード
【その1.速水御舟 《翠苔緑芝》より「みどりの陰」】
現在(2021年9月)開催中の「速水御舟と吉田善彦」展に合わせて作った和菓子の制作秘話についても伺ってみました。
まずは、かわいい白兎がぴょんと乗っている「みどりの陰」。これは、速水御舟の《翠苔緑芝》左隻(二隻一組(要するに2枚でペアになっている)の屏風のうちの左側)がモチーフのお菓子です。
一番気になるのは、なぜ、黒猫が描いてある方の屏風ではなく、白兎の方の屏風を選んだのかという点です。
「どちらにするかは、皆で大変悩みました。金色の背景が特徴の作品なので、黄色の土台は決まっていました。まずはその土台の上に試作で兎と猫を配置してみました。すると、猫の黒が、土台の黄色とバランスがあまりよくないことがわかったのです。それから、お菓子なので『口に入れる気がするか』という点がとても重要なのですが、黒い猫はちょっと躊躇する感覚がありました。白い兎なら軽やかでかわいいし、あまり抵抗を感じないということで意見が一致しました」
そうか! お菓子だから、純粋にもとの絵画に似ているかどうかとか、見た目が良いかだけでなく、「食べたくなるか」もポイントになるのですね。同様のポイントを、菊家の秋田さんも指摘。
「動物は、リアルすぎると食べたくなくなってしまいます。特に、『目』がついていると、食べづらくなる傾向があることがわかっているので、山種美術館さんの和菓子にはあまり『目』をつけません」と秋田さん。
本当だ! 「みどりの陰」の兎には、目がついていません。確かに、画中の兎のようにつぶらな目で見つめられるより食べやすいかも。
お味は、こしあんが杏子入りの練り切りで包まれていて、さりげない酸味が爽やか。黄色い土台に杏子の粒が見えるというポップな視覚の効果もあります。黄緑色の芝生の上にいる淡雪羮の白兎もふわっと口で溶けてやさしい味でした。
【その2.速水御舟 《炎舞》より「ほの穂」】
山種美術館が所蔵する120点もの御舟作品の中でも傑作として名高い《炎舞》。漆黒の闇に赤く燃え盛る炎とそこに群がる蛾たちがなんとも妖艶な作品です。これを和菓子にしようと考えるとは、チャレンジング!
やはり和菓子制作の過程では試行錯誤があったそうです。
「まずこの作品で重要かつ目立つモチーフとして『蛾』があります。でも、先ほどの『食べたくなるか?』という観点から『蛾』のトッピングはNG。お菓子に『蛾』を乗せずに どうやって《炎舞》を表現するかが大きな課題となりました。一方、炎は、オレンジ色の練り切りに金粉をまぶし、最初は白い懐紙に置いてみたのですが、何かしっくりきませんでした」
「そこで、黒い敷紙(しきがみ)に置いてみたところ、闇に浮かぶ炎の様子が良い感じで立ち上がってきました。ここで実は、『蛾』問題も一気に解決。黒い敷紙に蝶を配すことで、炎の周りに飛び交う蛾を表現できたのです」
すご~い! 和菓子を置く紙の色を変えてみることで、作中の蛾をも表現できてしまったという克服劇に感動。
お味は? 燃えるような色のきんとんの中から上質な素材を活かした大島あんが現れます。黒糖をぜいたくに使った味わい深い一品です。
菊家の秋田さんによると、炎は、オレンジ色の練り切りを濾し器で濾してそぼろを作り、お箸で一束ずつ植え付けて作ったとのこと。伝統的にある技だそうです。世の中には、いろいろな技があるのですね。もっといろいろ知りたくなってきました!
それにしても、色合いや形、トッピングの配置など、細かなやりとりには、時間がかかりそうですね。それも、言葉だけで通じるのでしょうか?
秋田さん曰く「大体3~4回くらい往復して、1つのお菓子を2か月くらいかけて作ります。絵画として美しい見た目と、美味しそうに見える和菓子は、必ずしも同じものではありませんので、その両方を実現するために苦戦することがあります。美術館からのメッセージはもちろんですが、イメージスケッチはとても参考になります」
山種美術館の皆さんと菊家さん両者のアイデアや技や創造力が結集して日本画のエッセンスが和菓子に組込まれていくのですね。こうなると、お菓子も独立した芸術作品と言えそう!
和の神髄を感じる! 紅葉に合わせて変わる和菓子?!
「実は、会期中に色変わりする和菓子もあるのです。晩夏から秋にかけて企画される展覧会に合わせて登場することがあるのですが、例えば、富取風堂(とみとりふうどう)の《もみぢづくし》をモチーフにした『秋のおとずれ』というお菓子です。2018年の『 [企画展] 日本美術院創立120年記念 日本画の挑戦者たち ―大観・春草・古径・御舟―』の時にお出ししました」
さらりとおっしゃるけど、それって凄いことではないですか? 和菓子が色変わりするって一体どういうことなのでしょう???
わー、透き通る緑にもみぢが一杯つまって、清涼感あふれる和菓子ですね。これがどのように変化するのでしょう?
おー! 和菓子が紅葉している。透明な寒天の中から覗くもみぢが何枚か色づいています。外の草木が色づいてくるのに連動して、カフェで出されるお菓子も色変わりするなんて初めて聞きました。
「菊家さんからは、毎日朝一番でその日の和菓子が運ばれてくるのですが、ある日、このお菓子が色変わりして運ばれてきたので、私達もびっくりしたのです」
ということは、これは菊家さんのサプライズ的なはからい! 1935年の創業から、宮家をはじめ、茶道関係の方々など多くの美食家を楽しませてきたという老舗菓匠ならではの心意気を感じます。考えてみると、会期中に2度訪れて「秋のおとずれ」をオーダーしてお菓子の紅葉に気づくお客さんはほとんどいないのでは? それでも移り行く季節を和菓子に込めて表現するなんて! 「ここに和の神髄あり」と感じた瞬間でした。
もとになった絵《もみぢづくし》を見てみると、「猩々」や「大明錦」「大鏡」「野村」など、やはりこちらも、緑が赤や黄色に色づいていく様々な種の紅葉を取り合わせた作品。
「Cafe 椿」にいると、作品の紅葉と、和菓子の紅葉と、外の紅葉と、お互い共鳴しながら色づいていく季節のハーモニーに、自分も参加しているような気分です。これって新しい体験型アートなのではないでしょうか?!
和菓子を見てると、もう一度もとネタの絵を見たくなる!
「最初は和菓子が目当てだったとしても、『もとの絵はどんな作品なのだろう?』と思って、展覧会場の実物を見てくれることがとても重要です」と山種美術館さん。
確かに、和菓子のメニューにも、もとになった絵の解説が丁寧に書いてあるし、展示会場のキャプションにも和菓子になった絵にはマークがついているのでわかりやすくなっています。今回、私自身も改めて気が付いたのですが、日本画だけを鑑賞する時よりも、和菓子とセットで鑑賞する時のほうが、もう一度見に行ってじっくりと作品を観察したくなるのです。
例えば、先ほどの「ほの穂」をゆっくりいただいていると、『和菓子は丸いけど、絵の炎は長細く上方に燃え上がっていた。炎の表現は二層になっていた気がしたけどどうだったかな?』『敷紙に蝶2匹で画中の蛾を表しててステキ。画中の蛾は、結構たくさんいたけど何匹だったかな?種類も多かったけどどんな色だったかしら?』『お菓子の上に金粉が散らしてあるけど、絵に金粉ってあったかな?』など次々と問いが湧いてくる自分がいます。
居てもたってもいられなくなって、再び展示室へ!
ありがたいことに、一旦カフェを利用してから、同じチケットで展示室に再入場することができます。
やったー! 実物の作品の中に次々と答えを見つけることができました。
日本画と和菓子でゆったりくつろぎながらも、普段とは違うクリエイティブ脳が自然に回転して心地よい「Cafe 椿」。広尾散歩がてら、ふらりと訪れてみてはいかがでしょうか。
【山種美術館・Cafe椿の基本情報】
所在地:〒150-0012東京都渋谷区広尾3-12-36
開館時間:午前10時から午後5時
月曜休館。入館は閉館の30分前まで
※今後の状況により、開館時間は変更になることがあります。※カフェのみでもご利用いただけます。
休館日:毎週月曜日(祝日は開館、翌日火曜日は休館)展示替え期間、年末年始
ホームページ:https://www.yamatane-museum.jp/information/
【菓匠 菊家の基本情報】
所在地:〒107-0062 東京都港区南青山5-13-2 菊家BLDG 9F
お問い合わせ: TEL:03-3400-3856
ホームページ:https://www.ycraft.co.jp/kikuya/